第3章 .監査の価値―アメリカにおける監査への需要要因
第二節 3つの仮説の検討
本節では、前節で紹介した3つの仮説について、実際のアメリカにおける歴史的・社会 的状況に基づき検討してみたいと思う。
もちろん、このような検討は仮説の成立を推認するにとどまり、仮説自体を高い確度で 実証するものではない。
しかし、そもそも仮説は帰納的に導かれるものであり、仮説を創出しうるような要因が 存在することを示すことが仮説を定立するための前提であるべきである。
本節の目的は、アメリカにおいて「監査」を財としての「サービス」として認識する、
あるいは、潜在的に認識しようとする社会環境が現在に至るまで構築されてきたことを示 すことにあり、第2章はそのための布石と位置付けられるのである。
(1)「モニタリング仮説」と「情報仮説」
「モニタリング仮説」と「情報仮説」については、第2章第七節、八節で見たように、
1933年、1934年の証券二法前における「任意監査」の存在が仮説成立の要素となっている。
企業は適切に経営や財務報告がなされていないのではないかという、社会的疑念を払拭 するために、監査を利用したのである(すなわち「情報の非対称性によって生じる利害の 対立の緩和」)。
また、アメリカ会計士の源流であるイギリスでは、第2章第四節で引用した「・・・不 正および横領にたいする賢明な予防措置を採りそこねた商人ないし実質的な商人は在庫品 に火災保険を掛けない場合のリスクと同程度の大きなリスクをいつも冒していることにな る」(Worthington, B. 「Professional Accountants」 1895. pp.62~63 ,R. Parker [1986]
邦訳 57 頁:友岡賛・小林麻衣子 訳)という文言が示しているように、監査には従業員に 対するモニタリング効果が期待されていた。
そして、アメリカにおける初期の監査市場がイギリスの会計事務所の寡占状態であった ことから、アメリカにおいても同様に、従業員のモニタリング機能を有する監査が実施さ れていたと推測される。
財務報告への信頼性付与を目的とする点においては、任意監査も法定監査も実質的に異 なることはない。
しかしながら、法定監査は政府が監査の効用を評価するものであるが、任意監査は被監 査会社自身が監査の効用を評価するものである。
特に、任意監査においては、その受益者は監査を受ける企業それ自身であるわけだから、
当該企業にとって監査が「私的財」として強く認識されていることは明らかであろう。
鉄道会社が任意監査を導入した理由については、一般大衆の支持を得るためであったと いう可能性が高いことは前述した。
「一般大衆」の中には、鉄道会社の株主や利用者、あるいは従業員(つまり、ステイク ホルダー)以外の者も含まれていたが、このような直接的利害関係のない者も監査によっ て鉄道会社の財務報告に付された信頼性を享受することができた。
もちろん、このケースでは、資本市場における投資意思決定に財務報告を利用するので はなく、自らの政治的議決権の投資(行使)先を選定するための利用であると考えられる が、鉄道会社は大衆の支持という効用を得るために監査サービスを購入したと推定される ことは強調すべき点である。
このように、監査は公共財的な性格と私的財的な性格を併有するサービスであるとの認 識から、アメリカにおける監査の歴史は始まっているのである。
それは、鉄道会社以外の業種においても同様である。1926年において、ニューヨーク証 券取引所上場会社の内、82%が公認会計士(CPA)によって監査されていたという
(Wallace[1985]邦訳 8 頁)。このような広範な「任意監査」の存在は、需要が供給を創出 したことを示す一例である。
これに加えて、当時の会計士の業務が「監査」だけに限られていなかったことも、「会計 士」に対する評価をより高める原因になったものと考えられる。
非監査サービスの存在は「会計士」という存在の社会的認知度を高め、そして、その結 果、会計士が行う「監査」に対する認知度も向上したものと考えられる。
このようにアメリカでは、会計士及び監査が社会的に認知され、特に監査においてはそ の公共財的側面と私的財側面が社会で理解されているので、会計士の社会的な責任の重さ も強く意識されているのである。
その結果として、社会の期待に応えることのできなかった会計士に対しては厳しく責任 追及がなされ、また、監査の私的財的側面が公共財的側面を凌駕しないようにするため会 計士の「独立性」が強調されるのであろう。
SOX 法のような法の制定は、アメリカにおけるこのような社会の会計士に対する意識を 反映した一つの側面であるともいえよう。
(2)「保険仮説」
「保険仮説」については、第 2 章第十節で見たように高額な損害賠償責任を監査人が実 際に負わされた場合には、投資家や経営者、債権者、管財人等の立場から見れば監査人の 存在が損失を補填する一種の保険として機能したと考えることができるかもしれない。
ただし、原告勝訴や和解による賠償が確約されていない以上、それは常に損失を填補する ものではあり得ない。その点では監査人が完全に保険と同じ機能を果たすとは言い難い。
また、第2章第十節でふれたLaventhol & Horwathのケースように監査人の支払能力は 完全ではなく、この点でも保険と一線を画している。
そのため、こうした金銭面での保険「的」な機能は、監査人の過失が争う余地のないほ どに明確な場合で、かつ監査人が十分な和解金の支払能力を有する場合にのみ限定的に機 能するものであるから、前節で述べたようにあくまで監査の付随的な効用にすぎないので ある。
もちろんこのような訴訟による監査人への威圧は、より監査人をして慎重な監査を行わ せることになるであろうが、結局のところ、それは監査に対する需要が先にあってこその 付随的な効用なのである。
一方、金銭面以外でも、保険仮説が成立しうる状況が認められる。
それは、抗弁の手段として監査人が利用される場合である。
たとえば、1933年の証券法では、告訴されている関係者に対して経営者には「専門家に 依拠した」との抗弁が与えられていた(Wallace[1985]邦訳35頁)。また、徴税機関への会 計士による納税申告書の作成や、異議申立についても、実質的に納税者による「専門家へ の依拠」を抗弁とするものである。
さらに、高額な役員報酬を裏付ける抗弁としても監査は保険機能を有していると考えら れる。
特にアメリカにおいては、大規模公開会社のCEOへ支払われる役員報酬(調査期間2012 年7月~2013年6月)の内、およそ9割(Towers Watson[2013])がストックオプション や業績連動型の報酬によって占められている。
また、2003年においても平均的な従業員報酬の約500倍(L. Bebchuk / J. Fried[2004]
邦訳1頁)にもあたる報酬が受け取られ、さらに、株価上昇がCEOの資産に与える影響(デ ータ分析期間:1990~2003年)に至っては、わが国と比較すると、約100倍の水準にもあ る(久保[2010]159-164頁)。
このような状況下における経営者報酬に対する社会的関心の高さは、報酬委員会へ当該 委員会を支援する報酬コンサルタントの選任権限を付与する旨を要求しているニューヨー ク証券取引所の上場要件(L. Bebchuk / J. Fried[2004]邦訳43頁)にも示されている。
以上のような社会情勢の中では、経営者にとって「業績」の信頼性を保証するサービス、
即ち監査が求められることが推定される。
報酬コンサルタントは同業他社や業績に基づき、経営者の報酬を正当化するが、その判 断の基礎は企業の作成する財務報告である。
報酬コンサルタントもまた、監査サービスの需要者なのである。
もちろん、「適正に算定された業績や、企業規模だからこそ、それに見合った報酬を受け る権利がある」との経営者や報酬コンサルタントによる抗弁がなされるためには、監査が 社会的に認知されている必要がある。
しかしながら、これまで見てきたように、会計士という外部監査人による任意監査を始
まりとするアメリカの監査市場においては、監査の認知度は、(より詳細には次章で述べる ように)わが国に比べ極めて高い水準にあるものと考えられる。
以上、経営者あるいは企業にとっての監査の保険機能について述べたが、政府にとって も監査はある程度の保険機能を有していると考えられる。
任意監査の時代は当然の事ながら、1934 年に SEC が創設された後においても、アメリ カにおける監査は、民間の会計士に委ねられてきた。
また、1960年代以降に監査人の損害賠償責任を拡大しつつも、監査自体を廃止すること はなく、2002 年の SOX 法においても、監査の充実を図ることに終始し、監査を政府に委 ねるという方策はとられなかった。
それは、アメリカ建国にかかる歴史的過程を通じて一般大衆に生じた独立精神や開拓精 神が政策に反映されたという一つの側面の表れかもしれないが、それに加えて政治家(政 府)が自身に対する「政治的保険28」(Wallace[1985]39-40頁)を掛けるような政策を選択 した結果が、現在まで民間の会計士による監査を継続させている要因であるとも考えられ るのである。
法定監査の導入は、第 2 章第七節で述べた様に「適切なディスクロージャー」を促すこ とで潜在的投資家である大衆の資本市場に対する信頼を取り戻すためのものであるとされ るが、任意監査が既に広範に存在していた中においては、一部の悪意ある企業を除き、適 切なディスクロージャーを行おうとするインセンティブが企業において存在していたと考 えられる。
また、法定監査といえども、従来の任意監査と全く異なる監査が行われたわけではなく、
何よりも、任意監査の時代の監査市場の占有者は現代においてもなおBIG4という市場占有 者であり続けている。
以上を勘案すると、超一流の会計事務所がどれほど「監査の失敗」を起こそうとも、監 査が民間の監査人に委ねられてきた理由は、政府が「一般投資大衆を保護する」というシ グナルを発することができるものであり、かつ、政府に対する直接的な非難を逸らすこと ができるような保険的価値を「民間による」監査が有していたからだと考えられるのであ る。
28 監査人の責任範囲を拡大させ、監査の失敗に社会の目を向けさせることで、政府への直接 的な非難をそらすことができると考えられる。つまり、景気対策や制度的不備による破産や不正 事件が生じた時に、監査人は政府のスケープゴートとして使用されることとなる。