前章では、食料生産における主体として位置づけられる農業の食料問題に関する問題お よび課題について検討してきた。農業に関する数々の問題や課題を解決していくことが食 料生産において不可欠な課題となっていることが明確になったといえよう。一般的に、農業 問題を扱う場合、農業経済学あるいは農業経営学という分野でこれまで議論されてきた。こ れらの分野の中で検討すれば、序章でも記述したように、低い食料自給率の問題解決の打開 策がみいだせてはいないのではないかと考えられる。そこで、本研究では、この問題につい て議論するにあたり、経営学分野の視点からビジネス(business)に着目し検討していくこ とにする。ビジネスという視点に立てば、農業が抱える数々の問題および課題の核心に迫る ことが可能となり、しかも、食料生産における問題点や課題への解決策を見出せる可能性が 模索できるのではないかと考えられるからである。本章では、食料問題の主体である農業に 焦点を当てビジネスという視点に俎上にあげ、これを起点として考察していくことにする。
1.社会の問題という位置づけ
前章で検討してきたように、食料生産に関する食料問題は、いったいどのような側面から 考察すべきであるかという疑問を抱かざるを得ない。食料安全保障という言葉にも象徴さ れるように、自国の食料を自国で生産し高い度合いで賄うことができなければ、食料安保の 核心に迫ることから遠ざかるものといえよう。むしろ、この問題の核心に迫る必要性から、
本研究では、ひとまず、社会の問題として捉えていくことからアプローチを試みる。
ここで、社会の問題を解決する1つの切り口として、様々な側面が考えられる。本研究で は、上述したように、研究の対象となる分野を経営学のビジネスから検討していくことにす るが、この食料生産に関する問題点および課題について、創造的共有価値(Creating Shared
Value、以下CSVとする)という概念に着目する。この概念は、ポーターとクラマー(Poter,
M. E. and Kramer, M.R.)によって提唱された概念である。このCSVという概念は、ビジネ
ス社会の関係の中で社会問題に取り組み、社会的価値と経済的価値の両方による共通の価 値を創造する52という視点である。この視点に基づいてみると、食料問題は社会の問題とし て取り扱い、そして、食料の問題点をいかにビジネスで解くかということになる。
(1)社会の問題と企業の目的の共通
本章でアプローチする社会の問題をビジネスで解くという概念的枠組みについて、図Ⅱ-1
52 ポーターとクラマーは、CSVという概念を発表している。Porter, M. E. and Kramer, M.R. (2011)。この概 念は、もともと企業の社会的責任論(CSR)の立場からはじめられ、外部不経済を社会的ニーズとして捉 え、企業が戦略的に内部化することで、社会的価値を高めていくという共有価値創造を説いている。な お、本研究でも関係する文献として次のものをあげておく。水尾(2014)。
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に示した。この図Ⅱ-1は、社会の問題を解決するのも、同時に社会へ還元するのも、必要不 可欠な事柄として示したものである。この概念的枠組みの視点に立てば、経営学の中で、企 業論やコーポレートガバナンス論の中で、企業家の独占や支配の問題をはじめとする概念 に対する議論が行われてきた概念である。食料生産に関する農業を社会の問題点として、こ こで棚上げすると議論の俎上に乗せやすくなると考えられるためである。
図Ⅱ-1 社会の問題をビジネスで解く概念図 出所:筆者作成
これまで多くの研究者によって、これらの研究および指摘がなされてきた経緯があるが、
本研究で注目する研究は、ドラッカー(Drucker, P.F.)による指摘である。ドラッカーは、
「様々な見解が見出される中、企業があくまで目的と称するビジネスは、顧客の創造にある」
53と指摘している。もちろん、企業にとって収益性は重要な事柄であることは確かである。
しかしながら、企業が将来の危険(risk)を補い、事業の損失を補償し、生産力を維持する のに必要不可欠な最小限の利潤を上げる必要性があることに疑問の余地はない。利潤は、ま さに企業活動の妥当性を検証する 1 つの基準を提供するものとしてドラッカーが捉えてい る通りである。利潤の追求を目的として企業の経営が行われているとは解さず、企業経営の 目的は顧客の創造(もしくは市場の創造)にあると指摘している。人々の欲求は、事業家の 行為によって有効需要に転嫁するとき、顧客と市場が生まれ、そしてこれに対して顧客の判 断が事業の成功を決める役割を担うことになる。顧客は企業の土台としての位置づけであ り企業を支えるものとなる。同時に、顧客の欲求を満たすために、社会は企業に対して、経 営資源の活用を期待し委託している。そして、顧客を創造するためには、企業はマーケティ ング(marketing)とイノベーション(innovation)という基本的な機能をもつことになる。
企業は市場が要求する財あるいはサービスを創造し、技術のみならず、製品、デザイン、販 売技法、顧客サービス、原材料取り扱いの手段など、さまざまなイノベーションを遂行する
53 この代表的な文献は、次の通りである。ドラッカー、上田訳、第7章「事業の目標」。この流れをわか りやすく説明しているのは、次の文献である。経営学検定試験協議会監修,経営能力開発センター
(2010)、p.33。
社会の問題
ビジネス 社会還元 現状と改善点
社会の問題解決
収益性の確保
32 ことをドラッカーは指摘しているのである。
そこで、本研究では、社会の問題として位置づけられる食料問題の核心に迫る前に、分析 上の起点として、ビジネスという視点に立ち、これを俎上に上げる形で、顧客の創造の視点 に着目することにした。これはマーケティングとイノベーションという 2 つの概念的枠組 みで構成され、この2つの視点から、本章では食料生産の問題解決のアプローチしていくこ とにする。
(2)ビジネス定義についての先行研究
ここで、ひとまず食料生産そしてこの主体としての農業について、経営学、より具体的に いえば経営戦略論に焦点を合わせ、ビジネスの視点から考察することにする。上述したドラ ッカーの指摘にみられるように、企業の目的そのものが、まさに企業が策定する経営戦略で 検討される事柄であるというのがその理由である54。そこで、本研究では、まずアンゾフ
(Ansoff, H.I.)の指摘について注目をする。アンゾフは、ビジネスの展開について成長戦略 に位置づけられる多角化(diversification)という概念の重要性について、その主著『企業戦 略論』の中で説いている。そこでは、経営戦略について「部分的無知のもとで企業が新しい 機会を探求するための意思決定のルール」55と定義したうえで、製品(product:プロダクト)
と市場(market:マーケット)の戦略という 2 つの側面に基づいて考察を行っている。そし
て、この2つの側面の重要性に対する指摘は、多角化という新たにビジネスを手掛けるうえ で、成長戦略の基本的なフレームワークをなすものとして位置づけられた。経営戦略に関す るその後の様々な研究および理論をレビューする限りにおいて、この 2 つの側面の指摘が 重要な指摘であったことはいうまでもない。このアンゾフの主張する多角化の理論は、おお よそ企業が行うビジネスについて、2 つの側面から論じられていることからも推察される。
そのためこの製品と市場から分析することは、一般的なことになっている。
また、企業の経営戦略という視点からビジネスを検討するのではなく、ビジネスそのもの から定義づけを行い、経営戦略の考察を行ったのはエーベル(Abel)である。エーベルは、
ビジネスの定義として、製品(技術)と顧客層と顧客機能(顧客のニーズ)の3つの要素を 主張した56。ここでエーベルはこの3つの要素について、次の通り指摘する。
まず、製品(および製品に利用された技術)(Technologies Utilized)とは、当該事業がどの ような技術によって実現できるのかを意味しており、ニーズを満たすための技術との関係 が非常に深い。そして、客層(served customer groups)とは、その事業の恩恵を受ける顧客 は誰であるのか、事業の対象となる顧客をターゲットにするかである。最後に、顧客機能
(served customer functions)とは、その事業で満たすべき顧客ニーズは何なのか、満たされ
54 アンドリュース、山田訳(1976)。
55 アンゾフ、広田訳(1969)、p.150。
56 エーベル、石井訳(1984)、p.22。