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2 飛来峰石窟にある水月観音像

2.5 第 95 龕

95

龕(図

2-63-1

4

2は呼猿洞口の上方の岩壁に位置し,飛来峰に現存する,唯一の

観音菩薩を主尊とする三尊像である3

主尊の水月観音菩薩は保存状態が良くない。右手が欠損し,顔や冠も損ない,細部を識 別するのは困難であるが,輪王坐をとり,第

54

龕と同じく右手の掌に摩尼珠を持っている。

衣服や装身具は第

92

龕の様子と,宝冠は第

50

龕の様式と類似している。体はやや左後ろ に寄りかかっており,背後に頭光や身光の無地円形の二重光背が彫られている。

前述した

4

龕は,いずれも台座がとても簡素であり,ほぼ岩そのままであるのに対して,

95

龕の台座は,荷葉や満開した蓮華,未開敷の蕾まで,丹念に彫られている。巧みに「水」

1元代には二つの「戊子」年があり,一番目は西暦1288年,二番目は1348年。飛来峰にあるほかの題記と合わせて考えると,

92龕の年代は,古いほうの1288年と推定されている。

2『飛来峰造像』,図版138-141pp.168-171

335龕観音菩薩と韋駄天の二尊像,左脇侍が未完成。第40龕四臂観音の両側に脇侍像が従わせた跡がうかがえるが,逸失。

50龕観音菩薩の左右に力士像が作られたと思われるが,現存していない。

をイメージさせようとしているように思える。

右脇侍の善財童子は,稚児の風貌をしている。両手の部分が欠損しているが,残ってい る部分から合掌するしぐさであると思われる。両足はふたつの蓮華の上にある。主尊の観 音菩薩に振り向いて,敬慕な表情がうかがえる。

『華厳経』「入法界品」に善財童子の求道の旅を説き,観音菩薩は善知識の一人になる。

善財童子が観音菩薩に訪れる場面に,

「於此南方,有山,名補怛洛迦。彼有菩薩,名觀自在。……漸次遊行,至於彼山。處 處求覓此大菩薩。見其西面巖谷之中,泉流縈映,樹林蓊欝,香草柔軟,右旋布地。觀 自在菩薩於金剛寶石上結跏趺坐。」(『大方広佛華厳経』巻第六十八)

とある。観音菩薩の住む補陀落山の様子が,山谷,泉,樹木や草などの要素によってイメ ージされている。

善財童子が眷属として観音菩薩の傍に登場するのは,四川省大足石窟にある宋時代の彫 刻において,しばしば見られる。その中に,明確な制作年代がわかる作例も現存しており,

たとえば,大足北山第

136

窟に紹興十二~十五年(

1142

1145

年),北塔第

8

窟に紹興十 八年(

1148

年)の題記が残されている1

12

世紀前半までにすでに一般的に表現されてい たことが認められる。ただし,注意すべき点は三つある。まず一つ目は,大足石窟にある 善財童子は単独ではなく,龍女と合わせて菩薩の脇侍として一対像に造像されていたが,

飛来峰においては,このような善財童子と龍女とを組み合わせた像が見られない点である。

二つ目は,善財童子は,大足北山第

133

136

窟などに見られるように,髭を蓄える長者,

あるいは方冠をいただき,袍を着せ,両手で笏を捧げる若い儒生のようなイメージである が,飛来峰第

95

龕に見るような稚児形の善財童子像は見られない点である。三つめは,善 財童子と龍女は,水月観音の脇侍として限定されていなかった点である。大足北山の第

133

窟水月観音以外に,第

118, 126, 136

窟にある玉印観音や,第

127

窟にある不空羂索観音,

北塔第

8

窟にある楊柳観音などにも従っているし,あらゆる観音菩薩に伴う眷属にあたる だろう。それに対して,飛来峰にある善財童子は,ほかに数珠観音や楊柳観音等も存在し ているにもかかわらず,第

50

95

龕の水月観音像にしか表現されていなかった。それは,

おそらく

13

世紀末頃になって,ほかの様式の観音が作られている中で,水月観音こそが観 音菩薩の主要かつ最も流行した様式になってきたことと深くかかわっていると想定できる だろう。

1 『大足石刻研究』より,p.394-396

なお,敦煌石窟にある西夏時代の水月観音壁画や,黒水城出土の水月観音絵画には,常 に善財童子が現れる。いずれも可愛らしい稚児の容貌をして,雲に乗って観音菩薩に合掌 礼拝する姿で表される。飛来峰第

95

龕にあらわれるこの善財童子は,四川省にある宋時代 の石刻より,西夏仏教図像に見るイメージに近いことになる。

水月観音の左側には,忿怒相の金剛力士がある。この像は体が主尊の観音菩薩に向き,

顔が外側に向いている。目を見張って,口も威喝しているように大きく開いている。眉間 やほうれい線に皴を深く寄せて,線条の刻みが深くて荒っぽく,威勢を引き立てる。左手 で武器を突き,右手が拳をにぎり高く振り上げている。武器の様子についてであるが,上 半分が円筒形で幾つ重の装飾紋も彫刻されており,棒か,または杖であると考えられるが,

下半分は損傷が著しくて判別するのは困難である。宝冠をいただき,腕にまとう条帛が両 側で舞い上がり,裸足で堂々と立つ。力量感や躍動感があふれる優作である。

『飛来峰造像』(高念華編,文物出版社,

2002

)と『江南蔵伝仏教芸術:杭州飛来峰石 刻研究』(謝継勝ほか著,中国蔵学出版社,

2014

)の両書では,これを韋駄天あるいは韋 天将軍と比定されている。韋駄天と韋天将軍はもともと違う人物であるが,漢伝仏教では よく二人は混合し同一視される1。韋駄天は梵語

Skanda

の音写で,もとはバラモン教の神 で,シヴァの子である。仏教では,仏舎利を盗んだ捷疾鬼を追いかけて仏舎利を取り返し た神話で,仏法を守護する護法神として信仰される。いっぽう,韋天将軍を説く文献とし て,南山道宣律師(隋

596

-

624

年)の著作『律相感通伝』と『法苑珠林』などがあげ られる。

「又有天人韋琨,亦是南天王八大將軍之一臣也。四天王合有三十二將,斯人為首。生 知聰慧,早離欲塵,清凈梵行,修童真業,面受佛囑,弘護在懷,周統三洲,住持為最。」

(『法苑珠林』巻十六)

南天王の部下で,三十二将軍のひとりである。仏法を護持つ役目をつとめるのは,韋駄天 と同様である。およそ宋時代から,仏教寺院の前殿において弥勒と背中合わせにして祀ら れるのが,一般的になった。大雄宝殿(正殿)に向かって立ち,仏法を守る役割をつとめ ている。

飛来峰においては,観音とセットで造像された韋天将軍(あるいは韋駄天)がもう一例 存在する。第

35

龕(図

3-2-1

2

)である。第

35

龕の主尊は勿論,観音菩薩であり,蓮華 の蕾を手にして結跏趺坐する姿である。脇侍の韋天将軍(あるいは韋駄天)は第

95

龕のそ

1 本稿では区分しない,同一視する。

れと違い,兜と鎧を着て武将をイメージさせる。武器を片手で突くのでなく,両手を合掌 し,臂の上に武器を横向きに置く姿勢である。ここに現れる武器は,片端が円筒状の棒に 見え,もう片端が鋭い刃を有する形をしている。第

95

龕の金剛力士が持つ武器の下半分が 不明であるため,残念ながら,両者は同じ武器であるかどうかについて判断できない。ま た,京都泉涌寺に木造韋駄天像(図

3-3

)が

1

例所蔵されており,南宋の作という1。合掌 し,臂の上に棒を横置く,第

35

龕の韋天将軍と同じようなポーズをとっているが,兜,鎧 や棒の様子が多少相違を見せる。特に,臂に横たわっている棒は両端が同じくボールのよ うに作られており,第

35

龕の韋天将軍が持つ武器とは異なっているのが明らかである。

中国国家図書館所蔵の元代に刻されたの河西字(西夏語)仏教経典で,巻首の賛に続い て,単独の護法金剛像が刻される版画は

3

点ほど確認できる(図

3-4

2。容貌,姿勢や服 装の様子から,飛来峰第

35

龕の韋天将軍像と酷似している。特に,臂に横たわっている武 器は片端が刃を有し,剣のような形をしていることから,第

35

龕の韋天将軍が持つ武器と 同種類であることが確認できる。

なお,前に言及した北京法海寺の明時代の水月観音壁画にも,韋駄天の姿が確認される。

武将の姿で,左手を胸に拝し,剣に見える武器を右掌で持っている。兜の羽翼や赤い房は 第

35

龕のそれと似ている。法海寺にはもう一点の韋駄天像が見られる。大雄宝殿の東・西 の壁面に二十諸天が描かれ,東壁の右端から二番目は韋駄天である。水月観音壁画のそれ と違って,合掌して,両腕に武器を横向きに置く姿である。これら二点の壁画において韋 駄天が持つ武器は,片端がボールに,もう片端が刃を有する剣のように作られている。飛 来峰の第

35

龕に現れるそれが半分円筒状にしている点において,相違が存在するが,同種 類のものが伝播されるにつれて次第にどこか形が変わっていくと考えられる。

以上述べたように,韋天将軍(あるいは韋駄天)が人間の将軍で表されるのは一般であ り,飛来峰第

95

龕の忿怒相の韋駄天はむしろ少数派で特別であることがわかる。実は,筆 者が知る限り,忿怒相の韋駄天は飛来峰第

95

龕のみである。そもそも,第

95

龕の忿怒金 剛が確かに韋駄天に比定されるかどうかが疑問になるだろう。

大足北山石窟第

133

窟水月観音の左右に,金剛力士像が

4

体安置されている。一面四臂 が

3

体と,一面六臂が

1

体である。兜と鎧を着ているが,顔だけが忿怒金剛の様子をして いる。このような金剛像は,ほかの窟にも確認できる。なお,黒水城出土,

1189

年題記の

1『世界美術大全集 東洋編6 南宋・金』,挿図200,p.191。

2『西夏芸術史』pp.167-169,図2.113-3