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西夏の水月観音絵画と宋刻経典に見る観音菩薩版画

3 水月観音の図像学系統

3.1 周昉の「水月之体」

3.2.3 西夏の水月観音絵画と宋刻経典に見る観音菩薩版画

水月観音は西夏において盛んに流行していたことが,西夏時代の水月観音図が数多く残 されていることからもわかる。現時点では石窟壁画として,十数点余り1確認されている。

紙本または絹本の絵画は少ないが,筆者の管見の及ぶかぎり,少なくとも

4

点が確認でき る。これら

4

点は現在,すべてロシアにある。まず一つ目の以下①について述べよう。こ れは鄭怡楠論文2

X-2439

と紹介された作例にあたり,鄭の論文にはもうひとつ,

X-2438

と番号づけられる水月観音図も紹介されている。また,潘亮文論文3の中にも,西夏時代の 水月観音図として

2

点あげられている。ひとつは上述の

X-2438

であり,もうひとつは布本 着色のものである。残念ながら,筆者は以上

2

図の図像資料を入手できなかったため,こ こでは詳しい解説を省略する。最後の

1

図は版画であり,西夏語『法華経』普門品の見返 し絵である。敦煌研究院に所蔵されている西夏語『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品の挿絵 とまったく同じ構図であるので,以下②においてまとめて説明する。

いっぽう,西夏時代の作例の豊富さに比べて,11世紀から

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世紀にかけての宋の水月 観音絵画の作例は,皆無に等しい。すでに述べたように,

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世紀頃の水月観音図が現存し ている以上,その後の

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世紀においても制作され続けていたはずであったが,残さ

1前掲王恵民論文に15図,潘亮文論文に16図,瀧朝子論文に17図が言及された。比べると計19図が確認できる:敦煌莫高 窟第951幅,第1642幅,第2372幅;楡林窟第22幅,第292幅,第382幅;安西東千仏洞第22幅,

31幅,第51幅;粛北五個廟石窟第12幅,第42幅。しかし,劉玉権氏「敦煌西夏石窟研究瑣言」『敦煌研究』

総第116期,2009年第4期,pp.8-11)によって,莫高窟第237窟(前室および甬道)は回鶻窟に改められたこととなってい

るので,西夏窟水月観音壁画の数もしだいに変わる。

2鄭怡楠「俄藏黒城出土西夏水月観音図像研究」『敦煌学輯刊』,蘭州大学敦煌学研究所,2011-02,pp.132-139。

3潘亮文「水月観音像についての一考察 下」『佛教藝術』225号,毎日新聞社,1996-03pp.15-39

れている作品はほとんどない1。石刻や木造の水月観音像は現存しているが,絵画は知られ ていないのである。幸いなことに,北宋刻の『大佛頂陀羅尼経』の巻首に水月観音の版画 が

1

点確認されている。

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世紀以降の宋における水月観音図像の研究に貴重な手がかりを 提供する。以下③において述べる。

① エルミタージュ美術館所蔵,黒水城出土,西夏,

12c.

1

エルミタージュ美術館所蔵の西夏時代の絹本水月観音絵画(図

3-13)

2は,黒水城から出 土し,

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世紀の制作とされる。画面の構成がますます豊富になっている。

供養者の像が描かれているが,前述した

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世紀頃に敦煌を中心に作られた水月観音図に比 べて,菩薩の部分と供養者の部分をはっきりと上下段に分けるのではない。山水画のよう な構図をしており,水から岸への表現は非常に写実で巧みに描かれている。画面の右下に 西夏の民族衣装を着た四人の男性や

2

頭の馬が描かれ,踊ったり楽器を演奏したりしてい る場面である。他に例を見ない場面である。その左側の空中には,黒い帽子を被った老人 や侍従が雲に乗っており,菩薩に向かって供物を捧げている様子が見える。

前に紹介した五代・宋の水月観音図に比べて,ほかにもいくつかの相違点を示している。

まず,本尊である水月観音は右足を組み,左膝を立てる輪王坐である。左手を膝の上に乗 せ,右手を右太腿の後ろに支え,体は軽くくつろいだ様子で,下方の奏楽の場面を見おろ している。楊柳と宝瓶が表されているが,菩薩は手に持つのでなく,傍らにある岩を積み 上げた机の上に宝瓶を置き,その中に楊柳を挿しいれる表現である。菩薩を覆う円光は淡 い光の輪のように表現されている。

また,菩薩の後ろには竹のみでなく,岩山のイメージが増えている。菩薩の前に満開の 花樹も描かれている。これらは山水画が流行するようになったことと関わりがあるだろう。

さらに,空中には,雲に乗ってくる童子が合掌して礼拝するイメージが現れる。善財童子 と解釈されている。

こうして,すでに存在した要素(竹,円光,楊柳と宝瓶,水面と岸など)を整え,その 上に岩山,善財童子や民族服装を着けた人物像などを加えたことにより,西夏の水月観音 図は独自な展開を遂げたと言える。

この形式は敦煌石窟にある西夏水月観音壁画に見られる図像とほぼ一致する。同時に,

1于君方『観音――菩薩中国化的演変』図6.9,南宋水月観音図,Nelson-Atkins Museum of Art所蔵。仏画より文人山水画,図 像学の視点から取るべき特徴がないと判断し,本稿では水月観音の絵画作例として取り扱わない。

2『世界美術大全集 東洋編5 五代・北宋・遼・西夏』,図版78p.120

高麗時代に数多く作られた水月観音(楊柳観音)図1と図像学的に関わっていることも指摘 できる。残念ながら,およそ

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世紀から

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世紀にかけての宋で制作された水月観音の絵 画がほとんど知られていないことから,「西夏―宋―高麗」という水月観音図の展開のルー トはまだ明確ではない。今後の研究が必要である。

② 西夏語『妙法蓮華経』観世音普門品見返し絵,二点,敦煌研究院蔵とロシア科学院東 方研究所サンクト・ペテルブルグ分所蔵

敦煌研究院とロシア科学院東方研究所サンクト・ペテルブルグ分所に

1

点ずつ所蔵され ている『妙法蓮華経』普門品の巻首に飾る観音菩薩版画(図

3-5,3-14)

2は,酷似する図 様を有する。

周昉の「水月之体」の節においてすでに言及されたように,水波で満たされている方形 の構図で,やや右寄りに円が表され,その中に観音菩薩がくつろいで坐す。明らかに水上 に浮かぶイメージである。左の上下には小さな空白の部分を残し,その中に人物像が描か れる。両図を比べると多少相違点があるが,いずれに上には飛天あるいは天人,下には供 物を捧げる供養者が描かれている。なお,敦煌研究院蔵本では画面の一番下には岩山が描 かれているのに対して,ロシア蔵本は水波しか表現されていない。それを除き,全体的な 構図から,水波や菩薩の姿勢と服の線の表現まで,驚くほど似ている。

敦煌研究院蔵本は敦煌の近くで発見されたのに対し,ロシア蔵本は黒水城出土であった。

おそらくこれら二図は同じ原本に基づき,異なる版本によって印刷されたものであると考 えられる。ロシア蔵本のほうは線がきれいであり,それに比べて,敦煌研究院蔵本は画面 がやや汚れていて,保存の悪さか,あるいは版本の過度使用などの原因でもともときれい ではなかったのかと思われる。時代の前後は判断がむずかしいが,あまり離れておらず,

図様に継承関係があることは疑いないだろう。

飛来峰石窟の第

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龕を,これまで紹介した水月観音の美術作例と比べると,その姿から,

本節で述べた二種の版画に表された水月観音の図様に近いと考えられる。よって,絵画,

壁画や彫刻に加え,版画も飛来峰石窟にある元代造像の源流のひとつとして取りあげるべ きであると考える。

1高麗時代に制作された水月観音(楊柳観音)図は現在,大半日本に所蔵されている。たとえば,京都大徳寺蔵本,浅草寺蔵 本,鏡神社蔵本(至大3年在銘,1310年),養壽寺蔵本,至治3年(1323年)銘の徐九方筆1点などがある。

2敦煌研究院蔵本図版出典,陳育寧『西夏芸術史』,図2.98,p.149。ロシア蔵本図版出典,『世界美術大全集 東洋編5 五代・

北宋・遼・西夏』,挿図116,p.140。

③ 『大佛頂陀羅尼経』巻首版画,

1

点,北宋刻

以上のことから,水月観音にはおおまかにふたつの形式が認められる。ひとつは

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世紀 頃に敦煌を中心とした五代・宋の水月観音の系統であり,もうひとつは西夏の水月観音で ある。しかし,

11~12

世紀の宋の水月観音の絵画作例が確認できないため,以上二形式の 間における展開の過程についてわからないことが多い。西夏の水月観音信仰や図像が宋か ら伝わってきたことは疑いないだろうが,いつ,どのような形式や様式で伝わってきたか については,まだ解明されていない。ここでとりあげる北宋刻の『大佛頂陀羅尼経』巻首 版画の観音菩薩図(図

3-15-1,2)は,11~12

世紀の宋の水月観音絵画の空白を埋め,水 月観音図像の宋から西夏への展開を解明する手がかりとなる。

『中国美術全集 絵画編

20

版画』(図版

8

p.8

)と『西夏芸術史』(図版

2.88-2

p.131

) に本図が収録されているが,原本は鄭振鐸編,二十冊本『中国版画史図録』の第

1

冊に収 録されている1

方形構図の右寄りに海に臨む岩があり,その上に蒲のようなものが敷かれ,観音菩薩が くつろいで坐す。左足は組み,右太腿の上に置いている。右手は斜め後ろに置き,左手は 胸の前で数珠をつまんでいる。宝冠や瓔珞で華麗に飾られている。円形頭光があり,頭光 の下側の周囲に雲気が取り巻く。後ろに岩山が画面の上端まで描かれていて,その右側か ら竹が生えてくる。さらに,左上から柳の枝が垂れて,鳥が一羽その下を飛んでいる。飛 来峰第

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龕を説明する時に言及された白鸚鵡の説話を想起される。

空中には雲気が悠々と昇り,空白なく満たされている構図である。

菩薩の右側の岩に,水瓶が鉢の中に置かれ,柳枝を挿し入れている。岩台の前の水中か ら,蓮華が満開になっている。さらに,左右の両隅に人物像が表現されている。右側は女 性で,宝珠を乗せている皿を捧げている。頭光があり,足が雲気に乗っている。龍女であ ろう。左隅の小さな岩に童子が立ち,菩薩に向かい合掌して礼拝する。善財童子であろう。

海(水)辺の岩,菩薩の後ろにある岩山,竹,数珠,鉢の中に置かれる楊柳を挿し入れ る水瓶,および鳥(鸚鵡),善財童子,龍女等,水月観音の図像にあらわれる要素がすべて そろっている作品である。これは,

11

12

世紀の宋に流行していた水月観音図像の典型と 見なされるだろう。

1『大仏頂陀羅尼経』巻首版画の時代について,『中国版画史図録』に言及されていないが,目録の順番に「趙城蔵扉画」の 前に置かれることから,それより早くの12世紀初期まで遡るとよかろう。なお,『中国美術全集 絵画編20 版画』(図版説

pp.3,図版8)や『西夏美術史』(p.129,図2.88-2)の中に,本図を北宋(960-1127)の「開宝蔵」によるものとして認識し

ているので,本稿ではそれに準じる。