3 水月観音の図像学系統
3.3 水月観音の彫刻作例
水月観音と明記される最古の彫像として,四川省魏城聖水寺大仏殿の後壁に彫られた一 龕があげられる1。龕の左側に残る題記には,「敬造水月観音菩薩一身
/
並及須菩提/
弟子王 宗建/
敬造。中和五年二月廿三日」と記されている。「中和五年」は唐僖宗の年号で,西暦885
年である。つまり,この像は,周昉の時代から数十年しか離れていない時期の作例に あたる。正面向きで,レンガのようなもので積み上げられた台に坐す。右足を踏み下げ,左足を 組み,両手で左膝を抱く姿である。ギメ美術館所蔵の紙本水月観音図に似たポーズである。
頭をやや左へ傾け,高い宝冠をいただく。繒帯が垂れて,肩より舞い上がる。後ろに,上 半身をとりかこむ円光が浮き彫りされている。
ほぼ長方形に掘られた龕であるが,左壁の下段にもうひとつ小さな龕があり,中に老年 の供養者の像が残されている。
時代が下った四川省大足石窟では,宋時代の彫刻が豊かに残されている。その中で,特 に観音菩薩は多様な造像が見られ,千手観音,不空羂索観音,そして,持物によって名付 けられる数珠手観音,宝珠観音,玉印観音等が作られている。特に,北山仏湾第
180
号は 主尊と脇侍を含め,計13
体の観音菩薩像をそなえる特殊な配置をとる作例である。主尊は 右膝を立てて坐す水月観音として造形されており,左右に各6
体,それぞれ異なる持物を 持った観音菩薩立像が安置され,あわせて「観音十三変相」または「十三面観音変相」と1http://bbs.scol.com.cn/thread-14853656-1-1.html。
呼ばれる1。このほかに,同北山仏湾の第
113
,120
,128
,133
,135
,180
号は,主尊が水 月観音として比定できる作例である。第
113
号(図3-16
)の水月観音像2は石台の上に安坐し,左足を踏み下げ,右膝を立てる。左手は傍らに押しつけ,右腕は右膝に載せる。華やかな化仏宝冠や瓔珞で飾られ,天衣は やや煩瑣なほど身に巻きつけている。このような衣装は大足石窟の菩薩像に共通しており,
宋の彫刻の特色として認められる。
それ以外の数体の水月観音像は,上述した第
113
号の様子に似ている。その特徴として,まず,正面向きで,華麗な宝冠や瓔珞で飾られている。服装がやや重々しく見え,条帛の 線がやや硬直しすぎて,柔軟性に乏しい。そして,両側には常に男女の侍者を一人ずつ従 わせている。一般的にその二人は善財童子と龍女として認識されているが,善財童子のほ うは髭の長者か若い儒生のように表現され,稚児形の童子としては表わされない。さらに,
第
133
号には四人の天王像(図3-17-1
,2
)も従わせている3。忿怒の面貌の金剛力士相で ある。兜と鎧でしっかり身に付け,武器を持つ。3
体が一面四臂,1
体が一面六臂である。飛来峰石窟第
35
と95
龕に見られる観音菩薩の脇侍としての韋駄天は,ここの金剛力士相 の天王像に起源が求められるかもしれない。最後に制作の時代についてであるが,第180
号には「政和六年」(北宋,1116
年)銘が残されていることから,これら水月観音像の年 代は12
世紀初期まで遡ることができる。次に,同四川省の安岳にある作例を取り上げたい。安岳には数多くの石窟造像が散在し ていて,これらはまとめて安岳石窟と呼ばれる。その中で,もっとも名高い水月観音像と して,毘盧洞の観音堂に,「紫竹観音」と呼ばれる作例(図
3-18
)が現存している4。 本像は,全身が金色で,顔が正面を向いているが,腰以下が左へ傾いている。大足北山石 窟第113
号に似ていて,左足を踏み下げ,右膝を立て,右手を右膝に軽く載せ,左手を傍 らに押している姿である。水月観音と比定されるのが妥当である。観音が坐す台座は,普 通の岩でなく,細かく葉脈を表していることから,巨大なハスの葉がイメージされている と思われる。下方には左足の踏む蓮華や,未開敷の蕾,縁の巻くハスの葉が写実的に美し く表現されている。なお,後ろに逆U
字形の身光が彩色に描かれ,周縁に火炎紋がついて いる。両側に竹が浅く浮き彫りされ,黒紫色に塗られていることから,「紫竹観音」と呼ば1『大足石刻研究』,pp.222,231-232,407-408。
2『中国美術全集 彫塑編12 四川石窟彫塑』,図143,p.145。
3『大足石刻芸術』図版37,38。
4『安岳石窟』,p.56。
れるのであろう。
菩薩の右膝の近くの岩の上に,紺色の水瓶があり,その中に挿した楊柳が竹と同じく浅 く浮き彫りされている。また,左側の壁面に観音経変図が浮き彫りされている。清時代の 後補であると言われる。
前節に述べた絵画の作例によれば,水月観音を囲む要素が時代とともに豊かになってい くことがわかる。しかし,彫刻の場合,素材に制限されたかもしれないが,水や竹等の要 素がまったく現れず,水月観音本尊しか表現しないのが一般的である。上述した大足北山 石窟第
113
号はそのような作例にあたる。安岳毘盧洞観音堂にある「紫竹観音」に見られ るような,蓮華,竹,水瓶や楊柳などが完璧に表現されているのは,むしろきわめて稀で ある。3.3.2
木造の観音像石窟造像以外に,各美術館や博物館等に散在に所蔵され,水月観音の様式を継承する彫 像も多数現存している。木造が主であり,もとは寺院内の造像であったと推定される。た とえば,ネルソン・アトキンス美術館に,安岳毘盧洞の「紫竹観音」と非常に似た遼時代
(
907-1125
年)の観音菩薩像(図3-19
)が所蔵されている1。左足を踏み下げ,右足を台座の上に膝を立てて,右腕を載せ,左手を台座に押している 姿は,「紫竹観音」とそっくりである。ただし,本像は全身が正面に向くように作られ,「紫 竹観音」は腰から以下が片面に傾く様子と少々異なる。なお,菩薩の坐る台座の表面に葉 脈のような模様を,下方に池から浮かび出る蓮華などを細かく描出していることからも,
「紫竹観音」と同じような作品をもとに造像されたことが想定できるだろう。背後の円光 や竹,水瓶などは現存していない。失われたのか,あるいはもともとなかったのかは不明 である。身体や手など細部の彫刻は,安岳毘盧洞にある「紫竹観音」より優れていると考 える。
このような様式の木造観音菩薩像が,およそ
10
世紀後半から12
世紀にかけて,広範に 遼・金・宋の統治下の領域において,よく作られていた。ボストン美術館やペンシルヴァ ニア大学付属美術館にも,類似の様式の木造観音像が所蔵されている。なお,中国歴史博 物館に,浙江省金華市万仏塔塔基から出土した北宋の水月観音金銅像(図3-20
)も見られ る2。いずれも片足を踏み下げ,もう片足を膝立てている姿である。このような様式の観音1『世界美術大全集 東洋編6 南宋・金』,挿図199,p.190。The Nelson-Atkins Museum of Art,31-136/15号所蔵品。
2『世界美術大全集 東洋編5 五代・北宋・遼・西夏』,図版92,p.152。
像は一般に「水月観音」とされる。
中国においては,一般的に「自在観音」または「翹脚観音」とも呼ばれている。「翹脚観 音」という名は,その姿勢から名付けられたのだろう。いっぽう,「自在観音」という名は 誤解を招く可能性がある。観音菩薩は観世音,または観自在とも呼ばれ,それは経典の訳 者の相違によるものである。しかし,ここに言う「自在」は,観自在の「自在」でなく,
たいていくつろいだ姿をして自由自在な印象と読みとれ,結跏趺坐という伝統的な仏像の イメージと対比して「自在観音」に名付けられたのではないかと思われる。必ず片足を膝 立てて坐すわけではないが,いわゆる片足を踏み下げる遊戯坐から変容してできた,くつ ろいだイメージを示しているのである。文献上の用例については,古くは北宋宣和庚子年
(
1120
年)に成立した『宣和画譜』にはすでに「自在観音像」というような言い方が現れ る1。飛来峰第