法
が @登
と把握 場
さし
て る
古ハ
59
(59)
けに
遍計所執 自性というものが存在するので はないこと﹂︵大正・六六三上︶ と明芸目 している ︒とにかく 摂 決択分の 間 ヨ リオ︒Ⅰアミ ヨ鐸 ︵仮説性 法︶ ︑
p すずぢゆづ︶ゆみ
5%の
4 車 瓦ぷ廿︵
所言 自性︶などともいわれる︒存在 を人と法とに分類した 場合︑人以外の存在︵ 法 ︶を︑このように︑ わば﹁概念・言語で把握されたもの﹂と 押 える ところに菩薩地所説
の 特徴がある︒ここに︑存在を認識内の領域で 把 えよう とする唯識 稔 励行派の基本的立場を如実 に 読みとることがで
き る
︒
次に﹁ 摂 決択 分 ﹂の考察に移ろう︒﹁間所 成 意地 ﹂︵大正︑六五六丁︶に次のように説かれている
若齢︐俊也 起 自性戒 円 成美自性
‑
所有漏 計所 敷目 性 妄執︒ 当 ︒知名工増益 辺 4 所以者 何︒
此 自性中波 自性右下︒ 応 ︒理政︒そして︑通計折敷自性の無は既に本地 分 中の菩 塵地 で 略して顕示してあるという︒この言明によ って菩薩地の所説
と 比較してみると き ︑次のような諸概念の対応 がえられる︒
俊也 起 自性と 円 成美自性における通計 所 敷目性 の 無は︑すでに
司
解深密経口に説かれているが・ 右の﹁ 楡伽論 日間 所成 意地の一文は︑菩薩 地 にみられる認識論的 な 存在否定を﹁解深密経口所説の︑どちらかとい えば存在論的な概念醍
︵
三 自性︶を用いて表現しょうとしたもの である︒そして次の﹁思所 成 意地﹂において﹁ 法 無我とは︑世俗言 名 以外㈲全体を通覧すれば︑①本地 分 独覚他までは 基 本 的には従来の小乗的な空説に基づき︑②本地 分 菩薩 地は ︑﹁非有罪
無の空説﹂を独自の概念を用いて理論化し︑③ 摂 決択 分 以後は・声聞の空説と菩薩の空説との 区 別を明確にし︵ 大 る ︒そして通計 所執 自性はこの五事のいずれに も 摂せられないから非存在であるという論理のも とに 法 無我を説明す
る ︒すなわち法界に㈲差別 相 ︵常住 相と 寂静︶ と ㈲宮相との三相あるぅ ち ︑ 自相 とは﹁ 相 ・ 名 ・ 分別・真如・上智 所
摂 の一切法において通計 所執 自性が存在しない 法 無我性﹂のことであるという︵大正︑七三八上 ︶︒ここにいたって ︑
五事と三自性という唯識独自の二大思想と結合 した 法 無我の定義を認めることができた︒そして 声聞は差別 相 のみに
よるが︑菩薩は差別 相 ・宮相の三相によって法界 に 通達すると強調していることより︑ 法 ︑︑︑︑ 無我を
概念で把握するところに大乗の優越性を認めよ ぅ としたことが判明する︒
㈲ 空 ・空性
㈹﹁ 楡伽論 ﹂における空性説の概観
詳しい論述は省略して︑﹁ 楡伽論ヒ における 空 ・空性説の問題点を列記してみよう︒
㈹全体にわたって﹁ 空 ﹂は︑二三摩地︵ 空 ・ 無 願 ・無相︶あるいは苦諦の四行 相 ︵無常・ 苦 ・ 空 ・無我︶の一つとし
て 考察されている︵大正︑三三 セ上 以下︒大正︑ セセ四 中など︶︒つまり︑﹁ 空 ﹂とは観法の一 つ として把握されて
いる︒この傾向は特に本地方菩薩 地 以前に強い︒
㈲しかるに本地 分 菩薩 地 ︵大正︑四八八丁以下︶ にいたって︑あらゆる存在を否定する 悪取 生者︵ 目口〜 ︐幅 Ⅱ ゴ Ⅱ ヰ 卸の目 コせ舶ヰ卸 ︶
を 強く批難し︑実無︵ 臣 P 倖 すゴ 目 P ︶を増益せず︑ かつ実有︵ すず 0% ︶を損減しない︑ 善取 生者︵の 建 ・ 幅ドプ Ⅱ ヰゆぃ由コ Ⅱ P 丑曲 ︶
の 空観︵非有罪無の空説︶を宣揚する︒
㈹ 空 と無我とは能記されている 場 ムロもあるが・ 全 体 としては空と無我とは峻別されていない︒
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E. 六七二中︶か つ ﹁通計 所執 美哉﹂﹁通計 所塾 三ロ 説 自性﹂という唯識独自の用語を用いて空性を 定義している︵ 大
正 ︑七四三上︶︒
㈲しかし全体か り みれ ば ︑木地方菩薩 地 にとか れる﹁非有 非 無の空説﹂以外には注目すべ き 空性 説 はない︒しかし︑
如来所説の契経ほ空陸と相応する︵ ま ロ ゼ a ︵ ゅ ・ 窄い 東田 ぎ Ⅱ / 打 p ︶と強調しているよ う に︵大正︑五 五 0 上 ︑六 セセ中 ・ 六九 0 上 ︑ セ 四二丁︶ ︑ 決して空性︵ぎ とぷ荻 ︶ と い う 概念を軽視したわげではない︒ただ空性 が ︑無我・無目性 という用語で代弁されているまでのことであろ ︵ @ @, ︒ 右にあげた五点のうち︑㈲の非有罪無の空説は 唯識思想全般にかかわる問題であるから︑これに ついては項をわ け
て 別に論じてみよう︒
㈹空における否定と肯定
唯識 楡伽 行 旅 が用いる空性の一般的叙述は﹁ 小
である︒
の ︵が 田 サプ p づ p ヰ ︵ 巾 ︶︵や︶ ︵ 2 6 ︶ ︵の神のの 倖 りずゆの 日 Ⅱ トオ ㎏曲チ リサず由円 P き せⅠ ど 曲目 卸ヰ ︵㏄︶ ︵の︶ この空の論理は円 楡伽 請口をはじめとして︑唯識 講書の随所に認めわれ︑この論理にそって空性 は 否定面と肯定面 醍 との二重性をもち︑全体として非有罪 無で あると説く︒今︑右の一文の内容を簡潔にするた めに記号を用いて表現し る
簗 ① A の中に B が存在しない時︑ A は B とし て空 ︵ 寮け悶 ︶である︒
棚
︒お㍉㍑ 議 ㌶㍑ 牡鰯 ㌔
由 すれば空性が成立する 墓61
(61)盤 である︒ と︐ ﹂ろで唯識 諸 端書はこの A.B. C の三つをさまざまな概念によって 把 えているか ら ︑それらを分類し
て 表にまとめてみよう︒
B C A
色等 仮説性 法 色等 仮説所依︵ 離 言出仕︶ ㈹ 色等想事
㈲ 艦界処 我 無性無我有性 我我 所
二 無我 有 実性
㈹諸行
衆生自性・ 法 自性 ︵ 4 6 ︶ 二の無の有㈲虚妄分別
所収︐ 熊 取︵俊也 起 自性︶ ︵ 円 成案自性︶ ︵通計 所執 自性︶
㈹は 楡伽論 ︵大正︑二一 0 ︑四八九上︶ ︑ ㈹は大乗 阿毘達磨 集論 ︵大正︑三一︑六セ玉上︶ ︑ ㈹は 顕 揚 聖教論︵大正︑三
一 ︑五五三十︶ ︑ ㈲は中辺分別論︵
旨せ
・男せ ト ㏄︒ 目 ・ 肚1 の︶右の四書はそれぞれ相違する表現を用いている が ︑これは各論 善 のもつ特異性を如実に物語って いる︒
㈹の﹁ 楡伽論 日本地方菩薩地の所説には︑現象 ︵ 事セ ps 宮 ︶に対する概念付与︵仮説 づ qp 目ゅ や ︵ 片 ・づり 宙曲 ︶を否定し︑ 現
象の本質︵離宮目性三 あヴ 臣道 遇 ︒ 砦き訂尽 ︶に 迫ろ う とする初期唯識 楡 加行派の姿勢が認めら れる︒
㈲︒㈹は小乗︑大乗いずれにも共通な用語を用 いて表現している︒とくに﹁大乗阿毘達磨 集論 ﹂ はその題名が示すご
とくに従来の小乗の阿毘達磨の方法で唯識思想 を 宣揚したものであると言われるが︑そのことは ︑空性の定義に 緯
界処 ・我我 所 ・無我という小乗・大乗共通の 一 段 的な概念が用いられていることからも首肯でぎ る ︒
㈲の﹁中辺分別論﹂の所説は︑﹁大乗荘厳経論 L ﹁ 法 法性分別﹂など︑いわゆる弥勒 作 といわれる 講書に特有の虚妄 分
別 ︵ きずロ叶 名曲 由ォ斗球 ︶・所収熊取︵ 隅豊せ甲笘 卸 す 焚軒 ︶という概念を用いて表現されている︒ こ の二 概念は﹁顕現﹂
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唯識思想に
ぅ 問題の考察に歩を進めなければならないが︑
︐ しの問題の倹討は他時に譲ることにする︒
輔 止まらず同時に肯定に通ずる ︐ ﹂とを唯識恵和 心は強調する︒したがって我われは次に﹁肯定さ るべきもの﹂は何かとい ︵ づ 〜 酉 ︵ ぎ宙痙 ︒ 単 詩き︒の 宮 ・︶という概念とともに ︑以後の唯識理論を構成する重要な用語である 0 この意味で口中
ぬ 分別論 ヒの 空性説は︑﹁解深密経﹂や﹁ 楡伽論 ﹂のそれを乗り越えた︑あるいは流れを異した ものとして特記さ
れるべきである︒
右のごとく各論書はそれぞれ表現を異にするが︑ 本質的にみれば︑ A は俊也 起 自性︑ B は通計 所 執 自性︑ C は 円成 実 自性にそれぞれまとめられる︒空性を三自性 によって総括的に押えようとする姿勢はすでに﹁ 解深密経 L の
﹁ 若於二 俊也 起相及円成 実相中り一切品類船梁 清 薄遇 計所執相畢寛 遠離性 及於 :北中 ‑ 都 無所得︒ 如 ︒ 是 名馬丁船手大乗 中 ‑ 総空性相上﹂︵大正︑一 ‑ ハ︑ 七 0 一中︶︒
という論述の中にみることができる︒
とにかく︑唯識 楡 加行旅に一貫して流れる基本 的立場は ︑ 前にも述べたよ う に︑現象に対する 概 全的把握を否定し て 現象の本質に迫ろ う とする態度である︒そして 存在的には︑概念︵遠計 所執 自性︶を否定し本 質 ︵ 円 成美自性︶を 肯定し︑かつ︑認識的には︑概念の無と本質の 有 との二重性を包括する現象そのもの︵俊也 起自 性 ︶をありのままに 眺め︑ひとっは無を有とみる見解︵増益︶ ︑も ぅ ひとつは有を無とみる見解︵損減︶との二つの 見解を離れた真実の
智見を身につげること︑つまり中道を行ずるこ
るべきもの﹂の何たるかを考察してきた︒しかし とを主張するのである︒
否定がたんに否定だげに
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(63)註 ︵ 1 ︶﹁ぺり 芽 w ::や:: ‑ ︵ 注ォ w ::㏄:・・﹂の代表例を列 記してみる︒ ①二曲 す @t の ゆ曲弓 @ づヒ円 Ⅰ り Ⅰ
ぎ
Ⅱ ヨ 卸の ヰり こ す囲はヨく @ 串 せり コ 話せ い ︵ ア 卸 す a‑a づヤ ︵すい g‑a コ曲のゆⅠ ヒ巨づドコ ︵ 0. ヴ牙 〜 コ @V かゆ ︵舛田︵ ト寮 Ⅰ め Ⅰかむの ぺや Ⅰ・⑥ちド ミ国 由 ㌧ ぬき ミ臣ぬ @ ・ 色すド吟ヲ日 3 ︑ ワこ ‑ 日 ︶ ん ・︶
︵ 如ニ 諸愚夫異生所 執 ‑ 非三切 法如 ︒ 是 有 ‑ 枚︒﹁大般若経 ﹂ 巻 第五三八︑大正︑七︑ セ 六五丁︶︒
@@ ︵り口 ぺ簿田す幽ヨ由ヤ阿コ ac 帥セ ㏄ ヰす 由井下 せ 阿ま︵ ド ︵ 甘曲 ㎡ ま ・︵ 田 め ・ 趣 ・ ︑ロ ・めの o.‑‑ ︑ ︶ べ l Ⅱの・︶ ゆで ぬ 餓ぃ荘昌 ︵ qP.‑p オゅ㏄中り ぎ 村井 す 出コ目の︵ ‑ Ⅰ 簿円ア自 ㌧ 銭 〜オド与せ ジ ︵の・︵ コヘ ・㌔ ︐ ㏄︐ b. ㏄の ︑ ‑PP ︶ ハ U ︵ い 目す曲り ド ︵㎡ セ @d せ曲 ︵のせが手創㌧Ⅱ い ︵ @ すず 曲終 ︵の・︵〜 け Ⅰ 簿 :Ⅰ のり ‑. ㏄㏄・︶
行 u ヴ由オせ 0 牛が つ @ 年 せが︵のす ぜ銭臼 0 セぃ ︵ オ 幽 す w‑p@ ﹁ ぺ @ オ凹つ せ い 汀 ・︵ 卜 Ⅰ 苗 沖田 eQ 〜Ⅰ ぺ Ⅰ め驚マ Q. 色 ・ ヴ せい・ 之 りこ @0. ㌧ ド鯛︑ ‑ 肘 ・︶
⑥ ヒ ㏄片オ 出 す @ 戸別 ヨ甲 ︵ すのせ Ⅰ り Ⅱ伐日神の叶りこ す 川井 が円 二の @ ついコ 曲の ︵ @. ︵ コヘ ・ Ⅰ・ イ 目 Ⅰ・・ ロ ・︶ 40 ︑ ‑‑.PNl ト の ・︶
なお﹁大般若経﹂の①の一文は︑安意の 司 唯識三十 頗 秋 口の中で︑通計 所執 自性の無の教 託 として 引 用 されている
︵ づ ふき れ 〜 か N.. っ ・のの・日ト で ︶の︶︒またこのような認識的 反省は﹁大乗荘厳経論﹂ 述求品 第五 0 頗 ︵ 寒 ・ め ・ ナ口 の q.‑ Ⅰ㍉︶で は ︑四種の無自性︵自然 無 ・自体 無 ・自性小壁 住 ・ 如 執 取木 有 ︶の最後の無自性説︵ 執敬 するが如くには 有 ではない︶を 構 成する論理として用いられている︒この四種の無自性 説は ㍉摂大乗論﹂︵大正︑三一︑一四一七︶や﹁大乗 阿毘達磨 集論ヒ
︵大正︑三一︑六八八上︶などにも認められ︑世親 と虹 @ 性は︑最後の無自性説を大乗独特のものとみなしてい る 点に注目す
べ ぎである︵大正︑三一︑三四六上︒大正︑三一︑四 0 爪甲︶︒
︵ 2 ︶﹁解深密経 L 巻 第一︵大正︑一六︑六八八丁︶︒
︵ 3 ︶いさき薄い 由さ 〜Ⅰ ま鰻 Ⅰ ぉ Ⅰ の 曲〜 ド Ⅰ・ ム ・ ヴへ い・Ⅰ ぃヨ 0 ︵斤の・ づ のの︑戸口 @%. を参照のこと︒なお︑ 串餌 @ 乱ゆセりココ の については 註 ㈹㈹
㈹を参照のこと︒
︵ 4 ︶﹁解深密経﹂ 巻 第一︵大正︑一一八︑六八九丁 | 六九 0 上 ︶︒
︵ 5 ︶ コ 曲ヨ い については拙稿﹁仏教の言語 観 1名義を 中心としてー﹂︵月報与一茂﹂ 一 0 セ ・ 一 0 八︶を 参昭 のこと︒
︵ 6 ︶ ミリト Q め漸臣 さめⅠ〜 討簿 ︒㌧ⅠⅠⅡ 苗鯛寸 Ⅰ べ Q き 音曲︐③・ す Ⅱ・ ゆ ・ 呂か ︵ ra. づ ・ い 切ト ト ㏄Ⅰ b.NOo ︑ ‑ の : 0. ㏄ 肚 0.‑ の ・の 珪ぃ
︵ 7 ︶ こ逮 : やゴノト の・大正︑七︑七六四上︒大正︑ 八 ︑五三セ 下 ︒
︵ 8 ︶すけ出札:や・ い の・ ‑. ㏄︒