本章では,賀川の講演資料として韓国に残された張時華編の『賀川豊彦先生講演 集』を中心に賀川が韓国でどのように活動したのかを検討する.その資料は 1939 年 の賀川の訪問を記念して,京城姉妹園によって 1940 年に出版されたものである.韓 国に関する賀川の考えを明確にするため,日本の『全集 24』と『雲の柱』の記述を 援用しつつ述べていく.
第 1 節 韓国の訪問に関する賀川の感想
『賀川豊彦先生講演集』の序章をみると,賀川は次のように述べている.
序
私のつまらない講演を京城姉妹園が出版發行せられる由であるが私はそれを心 より喜んでゐる.私はこの度の朝鮮傳道旅行を非常に享楽した.キリストにある 同志達の歡迎には心より恐縮した.それと朝鮮のキリストにある同志達の教養に は實に深く尊きものがある.私はこの美はしき礎の上に更に尊きキリスト愛の建 築がなされる事を祈る.キリストにある同志は神の姿である.朝鮮の同志達が神 の栄の為めに一層努力せられん事を祈る.昭和十五年二月三日 賀川豊彦(張時 華編 1940:1,下線‐筆者)
韓国への訪問に関する賀川の感想を一言でいうと,肯定的な評価であった.それは 日本だけでなく,韓国においても同じ信仰を持っている人々に出会えたことが賀川に とって印象的であったのだろう.これについて賀川(1940)は『雲の柱』第 19 巻第 1 号の「朝鮮印象記」の中で,より詳しく述べている.
私は朝鮮旅行の印象を語る前に先づ朝鮮に對する今までの考えを改めて貰ひた いと思ふ.今度行つて親しく接してみると,朝鮮の人々は皆熱心に内地人と一つ になつて,同じ道を進みたいといふ気持ちを持つてゐる,私はその點で全く驚い たのである.それならばこちらもその気持ちになつて,内地人と一緒に世話する
ときに世話してあげなければならないと思つた.私はこれまで人をお世話するに も先づ内地人の世話から始めてゐたといふのは,キリストが「先づイスラエルを 救へ」と言つたことに基くものであるが,今度朝鮮へ行つて見て,朝鮮の人々が 内地人と全く同じ気持ちでゐるのを知つて,私は從來の方針を變へ,今後は私の 事業の中に内地人と同じ気持で半島の人々を迎へることにしなければならぬ ,ま た内地人と半島人との結婚式も喜んで擧げてあげる必要があるいふことを泌々と 感じたのである(賀川 1940:23,下線‐筆者).
나는 조선여행의 인상을 말하기 전에 먼저 조선에 대한 지금까지의 생각을 곳처주기를 바란다. 이번 조선에가서 친히 접하여보니 조선 사람들은 전부가 다 열심히 내지인과 하나이되여 한길로 나가겠다는 생각을 가지고있다. 나는 그럼에는 깜짝놀래인것이다. 그러면은 이편도 그런마음을 가지고 내지인과 한가지로 돕는데는 돕지안으면 않되겠다고 생각하였다. 나는 이곳까지 사람을 돕는데도 먼저 내지인의 도움부터 이라는 것은 예수님이 『먼저 이수라엘을 구해라』란 말슴에 기인하는것이나 이번 조선에가서 보고, 조선사람들이 내지인과 전혀같은 기분을 가지고 있는 것을 알고 나는 종래의 방침을 변하여 이후 나의 사업 중에 내지인과 같은 기분으로 반도 여러 사람들을 마지하지 아니하면 않되겠다. 또는 내지인과 반도인과의 결혼식도 할 필요가 있다고 마음속 깊이 느꼈다(張時華編 1940:167‐168).
1937 年 10 月 2 日,日本により韓国において「内鮮一体」を理念とした「皇国臣民 化」政策が展開されており,それがキリスト教にまで影響を及ぼしていた.「皇国臣 民化」政策とは,神社参拝,宮城遥拝,日の丸旗掲揚,「皇国臣民誓詞」の暗唱,日 本語の常用,志願兵制度,創氏改名等,すべての戦時下政策の基になった朝鮮総督府 における戦時下動員政策であった.教会の礼拝においても,長老派の総会においても,
式順の中で「皇国臣民ノ誓詞齊誦」があるというように,政治的な状況が宗教にまで 影響を及ぼしていた.
その中で賀川は,1939 年の伝道日程を終えて,今までの韓国に対する認識を改め ようとしている.「内鮮無差別」というタイトルで書かれたこの文章は,韓国に関す る賀川の考えを素直に表わしたものである.まず,「朝鮮の人々は皆熱心に内地人と 一つになつて,同じ道を進みたいといふ気持ちを持つてゐる」という文章についてで
ある.実際に韓国では,1938 年から日本の国家総動員政策122によって強制的に韓国 人がサハリンに送られて労働させられたため,韓国内では日本に対する評価があまり 良くはなかったはずである.もちろん 1938 年 7 月 7 日に「国民精神総動員朝鮮聯 盟」が組織されたため,韓国側が積極的に寄り添うことをしたのではないかとも考え られる.しかし,それは「植民地時代」という政治的文脈を無視することができない 状況であったことも考慮しなければならない.
日韓の政治的な状況の中で,非常に厳しい関係であったため,「朝鮮の人々は皆熱 心に内地人と一つになつて,同じ道を進みたいといふ気持ちを持つてゐる」という表 現は,韓国側の立場からみる筆者にとって,少し違和感を覚えたわけである.それに 韓国に対する賀川のまなざしも感じられる.今日でも賀川が批判されている側面とし て「上からの目線」というものが挙げられるが,「内地人と一緒に世話するときに世 話してあげなければならないと思つた」という表現からも,賀川の上の目線を感じる わけである.そのような側面があるにもかかわらず,賀川の訪韓は,当時の人々の関 心を集め,講演する場所に多くの人々が集まっていたのも事実である.
短期間であったが,賀川は日々懸命に全国を巡って伝道したわけである.各地域で 行われた礼拝の順序は以下の通りである(【表 6‐1】).なお,説教のタイトルの み,韓国語と漢字が混ざっていたため,日本語に書き替えた.
【表 6‐1】礼拝順
主催 朝鮮基督教京城聯會 日時 昭和十四年十一月十三日(日)二時三十分 場所 京城貞町 貞洞監理會第一教會 聯合禮拝會
(説教)十字架宗教の絶対性
説教 賀川豊彦 司會 丹羽清次郎
一,奏楽
一,皇国臣民誓詞
一,讃美歌 讃美歌五四章 讃頌歌四三章
一,祈祷
一,聖書朗読 一コリント 1:18‐25 李 建泳 一,合唱 監理教會神学校聖歌隊 一,説教 賀川豊彦 一,祈祷 賀川豊彦
122 「国家総動員法」は,1938 年第 1 次近衛内閣によって第 73 議会に提出され,4 月 1 日に制定 された法律である.
一,讃美歌 讃美歌二七四章 讃頌歌二○七章
一,頌栄
一,祈祷 鄭 春洙
主催 朝鮮基督教京城聯合會 日時 昭和十四年十一月十二日(日)午後七時半 場所 京城府貞洞町 貞洞監理會第一教會 聯合禮拝會
(説教)神と永遠の思慕
説教 賀川豊彦 司會 梁 柱三 一,奏楽
一,皇国臣民ノ誓詞
一,讃美歌 讃美歌五○八番 讃頌歌十五章
一,祈祷 秋月 致 一,聖書朗読 ルカ 12:27‐34 金 永燮 一,合唱 日本メソジスト唱歌隊 一,説教 賀川豊彦 一,祈祷 賀川豊彦 一,讃美歌 讃美歌五四○番
讃頌歌一三三章 一,頌栄 讃美歌五六六番
讃頌歌一章
一,祈祷 鮫島頌陸
主催 京城基督教聯合會
日時 昭和十四年十一月十二日(日)午前十時三十分 場所 メソジスト京城教會(旭町二丁目)聯合禮拝會
(説教)神と贖罪愛の勝利
説教 賀川豊彦 司會 秋月 致 奏楽(教師登壇・黙祷) 矢田 高妹 頌歌(五六六)
主祈祷
交讀(二○) 秋月 致 讃美(五八七)
祈祷 三井 久 讃美歌(三五三)
聖書朗読 ガラテア 3:13‐14 笹谷保太郎 二 コリント 5:15
合唱(五九七) メソジスト聖歌團 説教 賀川豊彦 祈祷 賀川豊彦 讃美歌(五二九)
献金 接待委員 報告 各教會役員 頌栄(五六八)
祈祷
後奏 (一同起立)
主催 朝鮮基督教京城聯合會/京城學生基督教青年會 日時 昭和十四年十一月十三日(月)午後四時半 場所 京城府民館大講堂 學生特別傳道講演會
(講演)機械文明と宗教生活
司會者 賀川豊彦 司會者 笹谷保太郎 一,開會辭 司會者 一,皇国臣民誓詞
一,聖書朗読 詩篇十九篇 黒田朝太郎 一,祈祷 三井 久 一,合唱 延禧専門合唱團 梨花専門合唱團 一,講演 賀川豊彦 一,祈祷 賀川豊彦 一,閉會辭 司會者
主催 朝鮮基督教中央青年會
日時 昭和十四年十一月十三日(日)午前七時 場所 中央青年會館 聖書研究祈祷會
(説教) 山上寶訓の瞑想
説教 賀川豊彦 司會 梁 柱三 一,奏楽 一同黙祷 一,讃美 一八五章
一,祈祷 曹 相文 一,聖書 マタイ 5:3‐12
一,説教 賀川豊彦 一,祈祷 賀川豊彦 一,祝祷
主催 朝鮮基督教京城聯合會
日時 昭和十四年十一月十三日(月)午後七時半 場所 京城府太平通 府民館 一般特別傳道講演會
(講演) 新宇宙顴と新人生顴
講演 賀川豊彦 司會 鮫島盛陸 一,奏楽
一,皇国臣民誓詞
一,讃美歌 讃美歌三三四番 讃頌歌二一○番
一,祈祷 柳 瀯基 一,聖書朗読 ローマ 1:18‐32 車 載明 一,合唱 中央教會讃揚隊 一,講演 賀川豊彦 一,祈祷
一,頌栄 讃美歌 五六六番 讃頌歌一章
一,祈祷 三井 久
出所:張時華編(1940:1;17;32;44;59;72)より作成