賀川の人生の転機(turning point)は,1909年12月24日に神戸市葺合新川に住み 始めたときであろう.そしてスラム街で出会った人々の生活は,賀川にとってキリス ト教に基づいた社会福祉への具体的な活動に大きな影響を及ぼしたのである.第 3章 では,賀川がスラム街で具体的にどのような活動をしたのか,特に「救霊団」,「本 所基督教産業青年会」,「農民福音学校」での賀川の活動を中心に言及していく.
第1節 救霊団
賀川が死を覚悟して入った神戸スラム街の生活は悲惨なものであった.彼は,スラ ム街での10年間の経験を次のように記している.
私は貧民窟へ這入って,初めて,金の大切なことに気がつきました.そして金 五円の為めに…それが欲しい計りに,段々いためられてしまつた貰ひ子を,お粥 で殺して,栄養不良として届出すものですが,私はその種類の中に,最も悲惨な ものを見ましたのは,明治四十四年一月二日にその貰ひ子が死んで,私が葬式を して,その後四五日してその家を訪問して見ると,また同じ形の赤ン坊を抱へて 居るのです(賀川1920b:157).
賀川にとって最も悲惨だと感じた出来事は「貰い子殺し」で,罪の意識なしに「貰 い子殺し」が繰り返されている光景に大変ショックを受けていた.この点について賀 川(1915:260)は,神戸葺合新川でどのくらい「貰い子殺し」が起きているのかに ついて調べたことはなかったが,数百人の「貰い子殺し」があると断言している.こ うして貰い子を殺す人は背徳者であると批判し,貧民特有の犯罪であると痛嘆してい る.生活難により,スラム街の人々の生活は惨憺たるものであった.そして賀川は,
次のように述べている.
私は朝から晩まで貧民窟に住んで居るので,貧乏のいかに辛いものであるかと 云ふことをつくづく思ふのである.が,そのまた貧乏といふのが,精神生活に及 ぼす影響の如何を考へまた目撃すると,実に口にも筆にも及ばぬ惨担たるもので,
折々窮りない厭世感に魘われることがある(賀川1915:5).
つまり金銭的な困窮が,貧民の精神にも影響を及ぼしたということであろう.しか し,金銭的な困窮のために行われている犯罪について,賀川の考え方は肯定的ではな かった.賀川は貧しい人々が社会環境によって疲弊していくことを痛感し,その解決 方法を見つけようとしたのである.次の【表3‐1】は,1911年12月の『救霊団年報』
に載せられている事業である.事業の内容を把握するため全文を載せる.
【表3‐1】救霊団の事業報告
事業 内容
伝道 □一週間 集會総計十二回以上,傳道個處四ヶ所葺合,糸木,辨天,橘通,毎月一 回位い巡回するは住吉,林田,等其他東出町,川崎町は造船所の職工を主として傳 道なし六月まで試み六七名の改悔はありましたが,軍艦の建造に急しく思ふ様に集 會に出來ず,夜になれば皆湊川へ聴衆を奪れるので,湊川の天幕傳道をお助けする に決心し四月より九月末まで,大抵週二回出張しました,其外大祭祝日は朝より湊 川 で 日 暮 れ る ま で 説 教 し ま す , 天 長 節 に も 八 回 集 會 し 千 人 以 上 の 聴 衆 が あ り ま し た,一月二日より四日間毎夜,紀元節,春季皇靈祭,秋季皇靈祭,神嘗祭に湊川で 説教しました,湊川の遊民にも良心が入ります.
□日曜日,葺合北本町六丁目救靈団
▲午前五時より三十分間勞働者禮拜平均十四名出席▲六時より一時間半朝讃美傳道
▲午前八時吾妻通六丁目貧民窟日曜學校平均十五名出席▲午後二時日曜學校平均出 席十七名▲午後六時半より一時間辻説教▲七時半より傳道説教多い時で五十名少な くて二十名,平均三十名.
□月曜日,福音印刷會社にて七時半より聖書研究,八時より讃美歌練習.
□火曜日,最も愉快な傳道,朝五時より辨天濱にで沖仲仕,石炭夫,掃除夫数名に トラクト配布,讃美傳道,結果が非常に面白ろいのです.
□水曜日,午後六時半路傍説教,七時半祈祷會
□木曜日 家庭集會.金,病者訪問或は湊川方面,橘通,土曜日朝糸木,尻池,夕 青年及少年の組々の聖書研究と親交會
□婦人會 第一月曜夜パーク先生ベチット先生の説教,婦人三十五六名出席.
無料宿泊所 之と云ふて取りたてゝ云ふことはありませぬが,大阪朝日で『浮浪人の家』だと批 評があつた通り,全く無料宿泊などと云ふ看板もかけているわけで無いので,一年 半も無料宿泊どころじゃなく,只で食つて學校へ行く子供もあれば,近所で蒲團が 無いので,泊りに來る人もある,全く家内同様で唯今合計八人の家庭で,喧嘩など は男計りでもあつたことはありませぬ.それで六ヶ月も居れば獨立するもあり,相
當に神の愛が解つて出て行きます.それでだれでも泊めませぬ.また蒲團が足らな いのも一つの理由ですし.浮浪人は東京と違つて必ず仕事はありませず,多くは低 能か病人ですから食物がいります.宿泊して食物與へますと惰ける.それで出來る だ け 人 選 し て 救 済 し て 居 り ま す . 之 で 三 十 人 以 上 の も の が 一 ヶ 月 以 上 居 た で し ょ う.其外無料給飯....
は二十名以上に渡り,大抵二週間以上食ひに來ます.
病者保護 去年十月金が無くなつて止めようと思つていると有名なアメリカの牧師,エ,チ,
ピアソン氏より寄附があつて,去年十二月には五人,一月十人,二月六人,三四五 月四人,六月二人,七月より九月迄二人,九月より一人,今は金が無いから一人き り病室に寢ていられます,本年は葬式代のかわりにと思つて金を多く出して病人の 世話を致しました甲斐あつて,藤田,安川,高瀬,本多,松本,坂根,佐竹,山本 等,十人以上の生命を救ひました,之は神の力です.
醫療施療 前田醫師と江澤醫師へ毎月十五名以上送ります,八月は藥代四拾圓拂ひ十月は拾六 圓拂ひました,それで一年二百名以上のものが病苦より救はれて居ます,救靈團で は,貳百藥代を拂ひました,前田氏が藥價三分の一にて江澤氏が二分の一で施藥し て下さるは感謝の外ありませぬ.
無料 葬式執行
本年は貧民窟に死人が少なかつた為め苦痛が少なう御座りました,それでも十二人 計りの葬式料を拂ひました,たヾ死亡診断書を取つて上げたのは五六人あります.
生活費支持 十七名計りに資本金百拾數圓を與へました,拾圓三名,六圓六名,其他一年間リュ ウマチスの一家族に米を日に五拾平均に與へましたもの,壹圓以上與へたものも大 分あります,此中半分以上成功して居ります,或者は二百圓も儲けて居ります.
児童受護 昨年クリスマスに貧民家庭招待を願ひましたが,日本基督教會の有志の家庭で十二 人家族川井様,青木様,野口様,出口様,鎌田様,富田様,西川様,大村様,上岡 様,團野様で三十五名計りの貧しい子女を御招待下さいました,之が非常に結果が よく彼等は生まれて初めての印象を受けた様です.此處で皆様にお禮を申します.
家庭 感化避暑
大阪朝日通信部花田大五郎氏の御盡力で八月十五日より二週日の間で,家庭に一日 なり一週間なり,中流以上の家庭を見せて頂き一方避暑のため,一方感化のため御 同情を仰ぎたいと大阪朝日の神戸附録で御發表を願いました,其結果御賛成を仰ぎ ま し た の は 十 一 家 庭. . . .
香 櫨 園 の 牧 野 耕 三 氏 , 御 影 加 藤 直 士 氏 , 神 戸 に て は 折 坂 , 渡 邊,内川,野口,竹田,村上,上岡,西川,吾孫子諸氏でありました.然し其の中 三 家 庭 は 賀 川 主 幹 の 関 東 貧 民 研 究 旅 行 の 都 合 或 は 御 家 庭 の 都 合 で 冬 に 延 び , 七 家 庭,八人だけ八月中に御世話願いました,其中一家庭は下女にと云はての御望みで したが之は不幸にして中折し成功しませんでしたが,外は大成功でした,深く大阪 朝日新聞と花田氏始め皆様に感謝いたします.其結果としてお辭儀を覺えたことな どは著しい事實です,又云へぬ所に賢くなつた様です.其外,新聞紙により,下女 を送れの御申込は數家庭より,又十月になつて但馬より熊々貧児を世話したいと貧 民窟へ出て來られた特志家もありましたが,下女になる迄には貧民窟で旣に墜落し ていること,十二三の女子でも外に出て女中になると家計が持てぬことを説明して 御辭退しました,また職工に送れと云ふことでしたが,職工に送れるものは救靈團 の手を借らずに出て言つて居りますから,御辭退しました.
避暑 慰安旅行
□八月十八日午前八時十八分三宮發,一行六十五人の貧児を一日須磨で遊ばせまし た,子供は天に飛び上る様に喜びました,其中二十四名だけは昨年明石へ行つたも のでした.