• 検索結果がありません。

- 155 -

- 156 - 6章図-1

総合点数

<説明>上の韓国語資料は、2016年1月1日付韓国・朝鮮日報が報じた、同指数を使 った専門家15人による北朝鮮体制安定度評価である。

朝鮮日報による15人の評価点数の平均値は

①1.7 ②1.4 ③1.1 ④1.2 ⑤0.3 ⑥0.4 ⑦2.1 ⑧0.4

⑨0.1 ⑩1・3

総合点数は「10.1」で「危機はない」と「危機」の中間にあたる評価となった。

「ソ連・東欧圏」崩壊の動きが本格化した1989年に、ブレジンスキーが実施した当時 の社会主義体制各国の評価結果は以下の通りだった。

ソビエト社会主義共和国連邦 15点 中華人民共和国 8点

ドイツ民主共和国(東独) 7点 ポーランド人民共和国 27点 チェコスロバキア共和国 16点 ハンガリー共和国 23点

ルーマニア社会主義共和国 18点 ブルガリア人民共和国 6点

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 22点 ベトナム社会主義共和国 12点

キューバ共和国 15点

- 157 - 朝鮮民主義人民共和国 8点

アンゴラ共和国 19点 モザンビーク共和国 21点 エチオピア人民民主共和国 20点

<大澤注:国名は1989年当時>

朝鮮日報は1989年と2016年の調査結果を以下のように比較している。

「単純比較は困難だが、27年前のブレジンスキー指標の評価(8点、『危機はな い』」)より、約2点上昇した。『危機』(10~19点)が無いということではないが、

『深刻な危機』(20点以上)に陥る段階ではないという解析が可能だ」

◇ 李鍾奭の安定度評価方法による2016年の金正恩体制の評価◇

一方、ブレジンスキー指標について、前出の李鍾奭は「西欧式市民社会を経験した国家 に対するものであり、周辺国関係も含まれていない」(77)と批判している。

その代案として、危機指数を「急変事態発生可能指標」と「漸進的変化指標」に分け、

軍部、政治、経済、社会、対南情報遮断程度などで細かく評価するシステムを提案し、金 正日体制を分析している。その結果を●で表に示した後、大澤による労働新聞動静報道分 析内容から判断した金正恩体制の安定度評価を○で表に挿入すると、次ページの通りの結 果となる。

- 158 - 6章図-2

- 159 - 6章図-3

参考資料(78)

<説明>李鍾奭が最も深刻に評価した食糧事情は、 国際連合食糧農業機関(FAO)による 2015年4月公表の穀物生産量データによると以下のように改善・安定化の傾向にある。

6章図-4

参考資料(79)

<説明>経済的には中国への依存度を高めることで、工場稼働率や輸出入総額は急激な減 少局面にはならないと推定される。

160

-前述の金正恩体制の統治スタイル変化や、それに伴う組織変化によって、北朝鮮を取り 巻く情勢には、以下のように良くなった面と悪くなった面があったことがわかる。そして、

良くなった面の数が、悪くなった面の数を上回っていることから、金正日体制に比べ、金 正恩体制が比較的安定していると見ることが可能となる。

<良くなった面>

①食糧難の改善 ②大量脱北の相対的減少 ③官僚機構の機能強化

④権力集団の動揺減少 ⑤工場稼働率の上昇 ⑥住民生活の向上

⑦個人崇拝体制の動揺減少 ⑧脱北者の減少

<悪くなった面>

⑨社会流動性の増加

⑩外交的孤立

現在の北朝鮮体制は漸進的危機進行に関する指標が示すように、全般的に「危機の水準」

にあることは間違いない。しかし急変事態発生可能指標を見れば、最も危険な状態にあっ た『食糧問題』が改善し、相対的安定状態を示している。

懸念されるのは核・ミサイル発射の連続による外交的孤立だが、歴史的な同盟国である 中国や、米国と対立するロシアが後ろ盾となり、完全孤立には至っていない。

従って、金正恩体制の現在の状況は、経済を中心に一部要素で危機水準にあるが、体制 崩壊または崩壊直前の段階にあると判断するのは困難であると言えよう。

- 161 -

6-2.脱北者調査

本研究は、これまで全容は非公開だった韓国政府委託研究による、金正日体制最末期か ら金正恩体制発足以降(2011年5月~2015年6月、一部それ以前の脱北者を含む)

の脱北者インタビューの調査結果の利用と内容分析の許可を得た。このアンケート調査に 関する韓国の北朝鮮研究専門機関と本研究の分析を比較することによって、さらに客観的 に金正恩体制の安定度が検証できると考えた。

脱北者アンケートの内容について詳述しよう。

調査を実施しているのは、韓国の康仁徳・元統一相(80)が設立した民間研究機関・極 東問題研究所(ソウル市)。調査結果のとりまとめと分析は、20年以上の北朝鮮情勢分 析の実績を持つ同研究所の尹洪錫・東北亜研究室長。本研究は、通常は未公開の資料の一 部公開と、研究使用の特別許可を得た。調査報告書本編では脱北者の出身地、名前が記載 されているが、本研究では、脱北者の身辺安全を保障するうえから、前記2点については 削除または仮名にして、利用することとなった。

調査は下記の方法で実施されている。

① 毎年、韓国に入国する脱北者を対象とし、北朝鮮の政治、軍事、経済、社会及び外 部情報流入動向、日本の拉致問題など、最近の北朝鮮の実情を具体的に把握するた めに実施する

② 調査は個別訪問調査または個別招聘調査による面談形式をとる

③ 事実を過大に話したり、虚偽を話したりすることを防ぐため、調査は十分な経験を 積んだ北朝鮮専門家が1対1で行い、回答の真偽を確認する

④ 回答をテーマ別に分類し、分析と評価を行う

以下に2012~2015年に実施された、主な脱北者インタビュー内容を紹介する。

ただし、各年のインタビュー調査の質問項目に対する回答をすべて分析するのではなく、

本研究の対象である金正恩体制の安定性に関する質問について、各年のインタビュー対象 者全員の回答を紹介し、極東問題研究所の見解と本研究の見解を加えて、金正恩体制の調 査当時の安定度と展望について分析を試みた。なお、回答の番号は調査対象者名簿の番号 と一致する。

- 162 -

◇2012年調査の紹介と回答の分析・評価◇

調査対象者は以下の通り(年齢は調査当時)

性別 年齢 脱北時期 韓国入国時期 1 男 26 2012年1月 2012年4月 2 男 39 2011年11月 2011年12月 3 女 27 2011年5月 2012年2月 4 女 42 2011年11月 2012年2月 5 女 38 2012年1月 2012年3月 6 男 19 2012年7月 2012年10月 7 女 72 2012年2月 2012年3月 8 男 50 2011年5月 2011年8月 9 女 45 2012年2月 2012年7月 10 女 57 2012年2月 2012年4月 11 男 17 2012年2月 2012年3月 12 女 41 2012年2月 2012年5月 13 女 45 2012年1月 2012年4月 14 男 33 2012年5月 2012年8月 15 女 27 2012年3月 2012年6月 16 男 38 2012年9月 2012年11月 17 女 31 2012年3月 2012年9月 18 男 46 2012年4月 2012年6月 19 女 49 2012年4月 2012年6月 20 女 50 2012年2月 2012年5月 21 男 51 1997年4月 1999年2月

<金正日死亡について>

1、 金正日死亡はニュースを聞いて知った。悲しいとか愛惜とかいう考えはまったく 持たなかった。近くにある金正日の銅像に1週間、花束を持って行き追慕する行事 が行われたが、人民班で組織して全住民が集まり、人数を確認して集団で行事に参 加した。

2、 2008年朝鮮労働党創建日(10月10日)の閲兵式のとき、金正日が欠席し た。その時、金正日が脳卒中でドイツの病院に入院したと言う噂が流れた。その当 時、多くの住民が金正日の健康悪化について心を痛めた。しかし2011年12月、

金正日の死亡をニュースで聞いたとき、すでに彼の健康悪化について大部分の住民 は知っていたので、ひどく驚いたり、悲しむと言うことはなかった。

3、 金正日死亡について悲しく残念だという住民はいなかった。

4、 金正日死亡直後、各工場・企業所、人民班、学校別に参加者を組織して追慕式に 参加するようになった。追慕式が終わり家に戻るときにも組織単位で動いた。追慕 式に参加しなければ処罰を受けるため大部分の住民が参加した。兄弟が追慕式に行 き、足に凍傷を負った。

- 163 -

5、金正日が死亡したニュースを聞いてひどく驚いた。しかし悲しいとか心配だとかい うことはなかった。金正日時代に住民が苦しい生活を送り、私もひどく生活が厳し かったから「金正日が政治をちゃんとしていれば、住民も良い暮らしができ、脱北 者も生じなかったのに」と思った。むしろ(金正日が)死んでくれて良かったと考 えた

6、金正日が死亡した時、悲痛な心情はなかった。金正日体制発足以降、住民の生活が ひどく困難になったからだ。大部分の住民は彼についてよい評価をしていない。公 開的に「悪いやつめ」などと言えば、政治犯としてつかまってしまうから、口に出 さなかっただけだ。

7、最近はテレビに金正日に関するニュースが出れば電源を切ってしまうほどだった。

金正日が住民のために列車に乗って現地指導をし、おにぎりを食べたなどというの は、すべてうそだということを知らない住民はいない。

8、住民が厳しい暮らしをしている理由は金正日や金正恩のせいだというより、米国の せいだと考えている住民がより多い。相当以前から「我々がこのように厳しく暮ら すのは米国の軍事封鎖のため」という教育を受けたからだ。

9、金日成が死んだ時には、この世が終わってしまうのではという悲痛な気持ちになっ た。すべての住民が泣き崩れ、悲しがったが、金正日の死亡については、少し驚い たが、悲痛な感情は起きなかった。「年をとり、死ぬ時がきたから死んだのさ」と 思った。それ以上の感情や考えはまったく浮かばなかった。

10、テレビのニュースで金正日死亡を聞いた時、ひどく驚いた。金正日の死亡が悲しく、

残念で驚いたのではなく、あまりにも突然、早く死んだので驚いた。金日成は82 歳で死んだので金正日もそのくらいまで生きるだろうと思っていた。正直に言えば、

金正日時代に人民の生活水準が大きく落ち込んだ。住民生活をひどく統制したため、

金正日に対して良い認識を持つ住民は多くない。それにもかかわらず、金正日が成 果はないものの、人民が良く食べ、よく暮らすように、それなりに苦労したと考え る住民も少なくはない。なぜなら北朝鮮以外の他国の事情や、そこに暮らす人がど のように生活しているかをまったく知らないからだ。

11、外部世界の情報を多く聞いていた私としては、金正日死亡を聞いて。それほど驚か なかった。しかし農村地域の年寄りたちはひどく驚き、泣いてもいた。

12、金正日死亡の知らせを聞き、ひどく驚いた。学校に出勤するなり、全体教職員と学 生を講堂に集め、中央放送を聴取すると言われた。全員が集まった中、朝鮮中央放 送で金正日の死亡が伝えられた。年寄りの教員は声を上げて泣いていた。

13、金正日の政治が始まってから、多くの人々が餓死したと言っても、大部分の農村住 民は金正日について、人民生活向上のため努力した指導者と考えていた。金正日死 亡を聞いて、非常に残念だった。しかし、後継者もいるので、未来については心配 や不安はなかった。

14、金正日の健康悪化については少し知っていたので、それほど大きく驚かなかったが、