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5-1.第7回党大会

朝鮮労働党の最高指導機関・党大会は党規約で5年ごとの開催が決まっていた。しかし 実際にこの原則が守られたのは1956年の第3回と1961年の第4回大会の2回だけ だった。第4回から第5回(1970年)の間は9年、第5回から第6回(1980年)

開催までに10年かかった。そして、今回の第7回大会は36年ぶりの開催だった。

朝鮮労働党規約によると、党大会が開かれない間、党の路線・基本政策、党中央委員・

候補委員の除名、欠員補選などを行うために党中央委員会が必要に応じて召集され、党大 会の「代役」を果たす。2010年に改定された党規約第14条にも相変わらず「党の最 高指導機関は党大会であり、党大会と党大会の間は、党大会で選出された党中央委員会が その役割を果たす」と規定されている。党大会の開催間隔が長い北朝鮮では、約100人 で構成される党中央委員会が事実上の「最高指導機関」の役割を果たし、そのメンバーで ある中央委員の役割を補完するために、約100人の党中央委員会候補委員が選出されて いる。

この中央委員会も常に開催されているのではなく、通常6カ月に1回程度の間隔で召集 される。その間隔を埋めるのが、いわば「専従」である党中央委員会政治局であり、党中 央委員会政治局の上部機関である政治局常務委員会は、すべての党事業を決定・指導する 権限が与えられているのが実態だ。こうした組織実態は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝 鮮)成立時に、後ろ盾のソ連の組織スタイルをそっくり取り入れたものだった。

しかし、党中央委員会政治局による国家指導体制は北朝鮮では長続きしなかった。19 74年、後継者に確定した金正日総書記は、北朝鮮の権力の中核を政治局から、政策の実 行機関に過ぎなかった書記局(北朝鮮での公式名称は秘書局)に移し始めた。すべての政 策と人事の決定権が党中央委員会書記局と、その傘下の専門部署に移管された。政治局は 既に決定された政策や人事の追認機関に転落した。最高指導者が事実上、最高決定権を握 るとはいえ、形式上「集団指導体制」を取る党中央委員会政治局における政策・人事決定 のプロセスは、首領の唯一体制にとっては不都合だったのかもしれない。

金日成主席が生存していた1980年の第6回党大会当時、政治局常務委員は5人いた が、金日成死去直前の1994年には金日成、金正日、呉振宇(人民武力相)の3人にな り、金日成、呉振宇の死去後は金正日1人だけになり、有名無実の組織となった。北朝鮮 は、名実共に金正日の唯一独裁体制と、それを支える朝鮮人民軍というスタイルで「先軍 政治」を推し進めてきた。

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5-2.組織変化

第7回党大会で注目されるべき変化は、金正日体制の下で弱体化した、政治局をはじめ とする党組織全体の刷新と将来に向けた強化策の実行だった。その顕著な例は政治局と軍 事委員会に現れた。

☆党中央委員会政治局

①政治局常務委員に崔竜海党書記、朴奉珠総理という党育ちで実務派の幹部を入れたこと は、政治局を重視し、党中央委員会の権限・権威を引き上げようという金正恩委員長の意 図を明確に示している。(5章図-1の<表1>参照)

②軍部エリート勢力の李勇武、呉克烈の両国防委員会副委員長が政治局構成員から外れた のは、軍部の力を一層抑制する効果を狙ったものと考えられる。(5章図-1の<表1>

参照)

③金寿吉・平壌市党責任書記(平壌市長)、金ヌンオ・平安北道党責任書記、朴泰成・平 安南道党責任書記ら地方党幹部が、政治局候補委員に選ばれたのも異例だ。従って地方で の経済特区建設による経済再建とそれによる体制維持を重視している証拠と判断できる。

(5章図-1の<表1>参照)

④党中央委員会序列では85位に過ぎない李洙墉外相を政治局委員に、同じく98位の李 容浩外務省副相を政治局候補委員にそれぞれ選出し、外交エリートを重用する姿勢を強く 示した。(5章図-1の<表1>参照)

☆党中央軍事委員会

①ユン・ジョンリン保衛司令官、チェ・ヨンホ空軍・対空軍司令官、金洛兼・戦略軍司令 官ら実戦部隊の司令官がすべて軍事委員会メンバーから外れた。(5章図-1の<表2>

参照)

②内閣のトップである朴奉珠総理が党中央軍事委員会委員に選出された。(軍出身エリー トの権力低下を象徴)(5章図-1の<表2>参照)

この2つの組織の変化を見ると、金正恩委員長は、金正日時代に党まで支配するほどに はびこった、軍部エリートによる党組織の職責独占状態を解消し、その代わりに党や政府 で政策実務を担当してきたエリート集団を党中核に引き上げようとする意図が良く見える。

第7回党大会は、「先軍政治」の金正日体制を、「党中心政治」の金正恩体制に完全変 化させる大きな契機と位置づけられる。

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参考資料(75)*表中の(?)は構成員がすべて明らかになっていない可能性があり人数の確定が出来ない部分(推計)

<表1>

<表2>

常務委員会委員

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<表3>

5-3.まとめ・反対勢力出現の可能性最小化

5月6日から9日まで開催された朝鮮労働党第7回党大会を巡り、国内の朝鮮半島専門 家は様々な分析をした。しかし、メディアや専門家の分析の中で「過小評価」されていた のは、党中央委員会政治局の「権限・機能」復活である。序章でも述べたように、北朝鮮 労働党の本来の組織体制をよく理解しない朝鮮半島研究者やメディアは「新旧世代交代の 幅が小さかった」と発言し、「世代交代を一気に進めると軍部元老らによる反発の危険性 があった。だから少しずつしか世代交代は進まない」という根拠のない説明をした。

だが、今回の党大会で明らかになった党中央委員会政治局、党中央軍事委員会、党中央 委員会書記局・政務局の組織改編・人事によって、金正恩・朝鮮労働党委員長(この職責 も政治局の機能・権限強化と無関係ではない)は、建国者・金日成主席が目指した、党中 心の国家運営の完成を目指していることが、明確に表れたと判断できる。さらに、党中央 委員会政治局常務委員に国家機関最長老である金永南を除けば、黄炳瑞(軍事担当)、朴 奉珠(経済担当)、崔竜海(外交担当)の3人の最側近を配置したことによって、金正恩 体制に挑戦できる勢力が北朝鮮内部で生まれる可能性は、極めて小さくなったと評価する ことができる。

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