第二章 野性と本能
第一節 野性的な自然
ダーウィンの進化論やエルンスト・ヘッケルの生態学的な知識は、明治時代に、丘 浅次郎の『進化論講和』(1904)などの西洋思想の研究者によって日本に紹介された。
賢治がこの書を読んだのは16歳の頃である(ガリー 146)。ガリーは、賢治が丘の他 の著作である『人類之過去現在未来』(1910)なども熱心に読みながら、「ダーウィン 的な進化と『無常』という仏教的な概念」を結びつけたと指摘している(ガリー122)。 また、『進化論講和』で、丘が説明するヘッケルの生態学は、全ての存在が仏であり、
仏の下でつながりあっているという仏教的な自然観を持つ賢治には、受け入れ易いも のであったと考えられる。
賢治が丘の『進化論講和』から学んだことの中でも、最も影響を受けたと考えられ るのは、「人は獣類の一種であること」という説明であった(ガリー 147)。これと同 様の言葉は、この書の中で7回繰り返されている 25。丘は、人間が動物のように本能 的で粗野な部分を持っていることを強調していたと考えることができるだろう。賢治 がこの言及に興味を持ったとするならば、それは人類の祖先に当たる生物が進化して 今の人類になる過程で、本能的な性質は進化を遂げながらも残存している、つまりそ のような「過去の生物の記憶」(大塚 15)を今も引き継いでいると考えたからだ。つ まり、賢治の内部にも、本能的な性質が潜在していて、それが自分でも説明不可能な 感情や情動として現れると考えたと言える。賢治は、このような感情や情動を、自分 が常に苛まれていた「修羅」だと考えていたので、このような性質が人間にはごく自 然なものであるということを説明した論を肯定的に受け入れたのだ。
大塚常樹によると、ヘッケルの進化論的生命発生原則は、恐竜時代の地質の中から 生まれ出る新しい生命の印象を賢治に与えたという(大塚 148)。詩「真空溶媒」に描 かれた「石炭紀の鱗木のしたの/ ただいつぴきの蟻」のような生き物が逞しく生まれ 出る原初的なイメージで賢治は恐竜時代を見ているのである。そのように生物が、魚 類から両生類に進化し、両生類が鳥類に進化したように、下等な存在である修羅も進 化することができる、つまり「より高等な意識の段階に進化すれば人々は幸福になる」
(大塚 148)という、楽天的な進化論の解釈を賢治がしたと推測することもできる。
生物が、進化論の下層の生き物の記憶を残したままでも、より高い意識に向かって進 化してきたという説を知るということは、賢治にとって「修羅意識」を克服する一つ
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賢治は、童話「注文の多い料理店」や「狼森と笊森、盗森」に、山男や森の恐ろし い生き物たちを登場させている。賢治の作品では、そのような存在が人間の態度を戒 め、それらと共存していくための手がかりの役割を担って登場する。つまり、「野性」
を語ることで、人間の問題の解決を示唆しているのである。賢治はこのような人里か ら離れた所で生きていて、ふだんは人間と接触することのない生き物について、あた かも存在するべきでない、けしからぬ生き物であるかのような書き方はしていない。
むしろ、それらもまた存在して当然であるという書き方で、それらを作品に登場させ るのである。つまり、賢治が野性的な自然から人間が何か学ぶものがあると認識して いたとすれば、それはアニミズム的な自然の解釈や仏教における自然の解釈によると 考えられる。つまり、賢治が理解する自然の中には、種々様々な存在がおり、それら 全てに「カミ」や仏性が宿ると示唆していると考えられるのだ。
次にソローについてであるが、リンドン・シャンリー(Lyndon J. Shanley)は、ソロ ーの「より高い法則」の章が、1852 年の『ウォールデン』の大幅な改訂の時期に追加 されたと記している(Shanley 67)。この時期は『メインの森』の1章、2章を執筆し た時期に重なり、メインの野生(原生自然)を体験する旅をしたことにより、ソロー の野性観が確立していった時期とも言えるのである。『ウォールデン』の推敲にあたっ て付け加えられた「より高い法則」の章には、ソローの野性観と言える決定的なフレ ーズこそ見られないが、外界の動物たちの野性的な部分と同じように、人間にも内部 に野性的な部分があると知り、これを踏まえてどのように「野性」を理解したかにつ いて説かれている。
例えば、「より高い法則」の章の冒頭においてソローが自己のなかに野性的な部分を 持つことに対して自己認識をしている部分がある。それは以下のようである。
As I came home through the woods with my string of fish, trailing my pole, it being now quite dark, I caught a glimpse of a woodchuck stealing across my path, and felt a strange
thrill of savage delight, and was strongly tempted to seize and devour him raw; not that I was hungry then, except for that wildness which he represented. (W. 210)
私は釣った魚を糸に通し、もうすっかり暗くなっていたので、釣り竿を地面にひ きずりながら森のなかを通り抜け、わが家に向かっていたところ、一匹のウッド
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チャックがこっそり通り道をよこぎっていくのが目にとまった、すると私は野蛮 な歓びの奇妙な戦慄をおぼえ、そいつをつかまえて生のままむさぼり食いたいと いう強い衝動に駆られた。別に空腹だったわけではなく、彼に代表される野性的 なものに飢えていたのである。 (『森の生活』(下)飯田訳 75)
ソローは、ある時、村からの帰宅途中で彼の前を通り過ぎるウッドチャックを目撃し、
食欲に関係なく掴み取って食らいつきたくなる。ここには、自分自身が野生動物の同 じような本能に駆られて行動したくなる衝動について書かれているが、そのような衝 動を、ソローは、「野蛮な歓び」“savage delight”と表現している。自己の野蛮性につい てソローは否定するのではなく、このような新たな自己の側面を発見したことをあり のままに書き綴っていく。ウッドチャックが“represents”する「野性」に魅かれたから、
ソローの内面の「野性」も刺激されたということであるが、その時ソローは、自身の 中に潜んでいた野性的な性質を認識することになったのであり、この体験は野生(原 生自然)との繋がりを意識するきっかけとなっている。
この「野性」の感覚も、彼が実践のなかで辿り着いた感覚であり、このような、確 かに自己内に確認される感覚をソローは見逃さず解明しようとしたのである。野性的 な自然は、第一章で述べたように、彼の理解を越え、怖れさえも感じるものであり、
調和することができる対象物ではなかったが、生涯をとおしてその違和感に着目し、
それとの関係性を探りあてようとしていたのだ。
また、「野性」の問題が、『ウォールデン』推敲のプロセスにおいて重要であったひ とつの理由として、「野性」は彼にとって「善」の問題に並行する命題であったことで ある。ソローは、前述のウッドチャックのエピソードに続けて、野性と善を並べて、「善 良なものに劣らず野性的なものを愛している。」(“I love the wild not less than the good.” W.
210 『森の生活』(下)飯田訳 75-6)と述べているが、この言葉があらわすように、ソ ローは自然の「善」の部分も「野性」の部分も同時に崇めるべきだと主張するのであ る。ソローは、このようなそれまでのニューイングランドにはなかった新しい自然の 解釈をしようとしていた。これについてフレデリック・ガーバー(Frederic Garber)は、
ソローが、野性に純粋性を見出そうとする傾向があったことを次のように指摘してい る。
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Both Hawthorne and Thoreau use the wilderness as a place of work for the soul; but in Thoreau’s usual readings of the wilderness it is not instinct with evil, nor is it the locale of a battle for the soul’s salvation; in Hawthorne one has to struggle against what the wilderness holds, while in Thoreau one goes in it to look for the purity which only wildness has to offer. (Garber 72)
ホーソンもソローも原生自然を魂のための仕事場として用いている。しかし、ソ ローの理解においては、ふつう、原生自然は悪に満ちた場所ではなく、魂の救済 のための戦場でもない。ホーソンの場合は、人間は原生自然がもつものと闘わな ければならないが、ソローにおいては、人間は野性的な性質だけが提供する純粋 性を求めて原生自然へはいって行くのである。 (拙訳)
ガーバーは、ソローと同じ超絶主義者としてホーソンを並べ、その違いが野生の理解 にあるとしている。ガーバーによれば、ホーソンにおいては、野生(原生自然)の悪 しき要素に対して人間は闘争しなければならないが、ソローにおいては、野性的な性 質が悪しき要素ではなく、人間にとって貴重で必要な純粋性を提供しているのである。
またナッシュは、ソローが同時代の詩人や哲学者たちの中でも、異色であった要因 がソローの文明観にあると、次のように指摘している。
Unlike many Romantic contemporaries, Thoreau was not satisfied merely to announce his passion for wilderness. He wanted to understand its value. The 1851 talk to the Concord Lyceum offered an opportunity to defend the proposition that “the forest and wilderness”
furnish “the tonics and barks which brace mankind.” Thoreau grounded his argument on the idea that wilderness was the source of vigor, inspiration, and strength. It was, in fact, the essential “raw-material of life.” Human greatness of any kind depended on tapping this primordial vitality. Thoreau believed that to the extent a culture, or an individual, lost contact with wilderness it became weak and dull. (Nash 88)
同時代の多くのロマン主義者たちと違い、ソローは原生自然への情熱を口にす るだけでは満足しなかった。彼はその価値を理解したかったのだ。1851年のコ ンコード文化講座での講演は、「森と原生自然」は「人を元気づける強壮剤や 樹皮」を与えてくれる、という主張を擁護する機会を提供した。ソローは自ら