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122)藤井敏彦r平和教育」(山田町編e新訂平和学議義』動革書崩,1984に所載,P.254)。

t23)文部省7前掲e中学校窩等学校学習指導要領社会科編H一毅社会科昭和26年q951}改訂阪8p.te6。

   同上書,P.t87。124)

125)文部省,前掲e小学校学習指導要領社会科編(試案)aP.6。

126)文部省e学習指導要領一般編(試案)S日本書籍,1947,PP.1一・2。

127)文部省,前掲e学用指導料領社会科緬(試案)』p.2。

128》文部省,前掲e小学校学習指導要領社会科編(試案)SPP.6−T。

129)文部省,前揚e学習指導属領社会科編(試案)sP.5。

130)文部省,前掲y中学校斎等学校学習指導要領社会科目皿 (a}日本史{b》世界史』p.1。

131)文部省r学習指導要領 東洋史細(試案)S申等学校教科奮,1947,PP.t−2。

132}文部省,前掲e中学校高等学校学習指導要領社会科緬11一般社会科昭和26年q951}改訂販Sp. 48。

133)   同上書,PP. 45一一54 。

134)   同前, P.!82e

一 113 一

重35》文部省e学習指導要領一盤編(醜案)S日本醤籍,1947,b.4。

重36)女部省,前掲『小学校学習指導璽領社会科編(試案)』pp.3−4。

   文都省,前掲『学習指導璽領一艦編(試案)sPP.at−21。137)

t38)文麗,欄騒轍学gre*9領社会湘(誌)e.P.8。

   文部省,前va R小学校学習指導要鎖祉会科編(試案)sp.1。139)

   上田薫『社会科教育著作集・3巻一系饒主藏とのたたかい』畷沿図ee s tg78,p.23。玉40)

   同上書,P.il。141>

   岡上書, P。560142)

   萄田,前掲轡,P臥39−53。143>

144)麟田守一9国民教育の諜題s《騰田守一著作集2》国土社,1973s pp.er−95。

   馬場四鄭「杜会科の展翻」前掲『現代教膏学12sP.70。145)

t46》ジョン・デZ 一一イ著,金丸弘幸駅『民主主義と教育一西洋の教膏思想19一 a玉川大学出販暫,1984,

  参照。

S47>   梅根,叡掲『戦薗における社会科」P.28◎

148)   勝組,前掲轡,P.53。

   梅根,前掲「戦前における社会科」を指している。(岩波講座 D車代教育学12』岩波書店,!96重,pp.149)

  2一一acに所収。)

150}   麟田,前掲書,PP,3ひ53。

151)   久篠,前掲書,P6。

重52)   同上書,p17。

163)   海後宗臣翻e教育改革s《戦後日本の教育改革第一巻》東京大学出賑会,pp.68−69。

t54}藤井,前掲書, P.253。また,日永植繕e平和⑳研究・86国達世口細和年論集日本語販』善本社, tg84,

  p.9臼にも同様の分薮がある。

一 114一一

第3:章 昭和20年代から昭和30年代

  への教育政策の変化

 昭和20年代から昭和30年代にかけての,日本における最も大きな出来 事は,1952(S27)年の独立であろう。4月28日,対日平和条約が発効

し,GHQが廃止された。日本の戦後教育改革に大きな権限を行使した CIEもなくなった。そして,日本の独立の前後から,教育政策も大き く変化したといわれている。

 この章では,昭和20年代から昭和30年代にかけて教育政策がどのよう に変化してきたかを,学習指導要領を申心に行政への現れ方からさぐり,

それを,平和研究における暴力論の視点からみたとき,どのように捉え ることができるかを述べる。

1.学習指導要領の内容と構造の変化

(1)学習指導要領の内容と構造

(A)直接的暴力に関連して

 昭和20年代の学習指導要領は,日本の起こした戦争の反省の上に立っ て,直接的暴力としての戦争を否定した。昭和30年代の学習指導要領に おいては,戦争はどのように捉えられているだろうか。ここでは,昭和 20年代の学習指導要領の直接的暴力に関する検討の時と同様,広島平鵜 教育研究所の平和教育の目的の視点を借りる。すなわち,次の3っであ

る。

      一 115 一

ア)戦争の実態とその影響 イ) 戦争の原因追及

ウ) 平和への努力

ア)戦争の実態とその影響

 昭和30年代の学習指導要領には,戦争の実態を知らせる内容が殆ど見 あたらない。

 1955(S30)年齢小学校学習指導要領社会科編には,次に引用する長い 一文の中に「戦争め惨禍jという言葉がわずかに見出されるのみである。

        各学年の学習領鰭案 第6学年 窺易め発達と文化の交流

 モこで,現在の日本の産業と貿易の関係に増す.る具体的事側,過去における日本と諮外国との文 化の交渣や貿易についての重要なことがら(括彊内省略),衣食住の様式その他で外国から学んだ り現在でも大きな恩恵を受けている外国人の発明発見の寧例,交通,細田,報道椴闘の発達が世界 を縮小した顕著な事倒,すぐれた芸術と人々の生活との闘係,興隆過と人々の平和への願い等 を通して,世界を結びつける人々の善意や交通遜戸口道機関の働きが今後いっそう必要なことを理 解させるとともに,われわれの生活⑳発展に貢献した内外の先人に対する麗心を深めてやることが        1)

        (下線,引用者)

有効であろう。

 しかし,この難解な一文は,戦争の惨禍を正面から扱おうとしたもの ではなく,「戦争の惨禍」は,マスメディアの重要性との関係で述べら れているに過ぎない。

 同,申学校社会科編は,歴史学習の中で戦争を次のように扱っている。

   歴史的分野 {2,内容 5.世界の詰国との国交仁基づく近代日本の成立時代

富国強兵,B清戦争,日露戦争,条釣改正,第一次世界大戦とモの前後の世界などの学習を過して,

日本の国際的地位の移り変わりについて理解させる。世界繧済の不況,ファシズムのたい頭,竃部 の政治への介入と日本の大陸進出,日華$変から太平洋戦争への推移,日本の敗戦などの学習を遜

一 116 一

       2)

して,第こ次世界大戦の終結までの世界の情勢について理解させる◎

 日清・日露の戦争は,日本の国際的地位向上のための戦争であったと いう肯定的位置づけになっている。敗戦は,事実として単純に受け止め,

戦争は世界情勢の推移の一藻として学習するのみで,戦争の具体的な実 態を学習することにはなっていない。

 1958(S33)年版小学校と申学校学習指導要領の歴史学習における日本 の近代の部分は,次のような記述となっている。

      小学校第6学年 2.内容  {8》

 開国後やがて明治羅新が行われ,四民平等の世の中に移っていったばかりでなく,モの後の政治 や民闘の先覚者たちの非摺な努力によって,欧米の文化が取り入れられ,憲法がつくられ,謙会政

治への道が開かれた。また近代産業もおこり,旦1直且」孟鐙一屠膣

pmが,その後,第二次世界大鞍における破戦を経て国内の亭情も改まり,民主的な 国家として新たな発展を遂げつつある。3》(下線,引用者)

      中学校第2学年 2。内容  ?)

 「第二次世界大戦と日本sについては,政覚政治の推移,経済界の変動,新思想と文化,中函の 民族四界と日本の大薩進出,軍郭の政治への介λ,日華凄変と第二次世界大戦,日本の敗戦などの 学習を通して,第一次世界大戦後から襲戦にいたる国内情勢の推移を,世界の動きや大陸問題と闘 連させて理解させる。指導に当たっては,国内政治の動きと第二次世界大戦にいたる国際関係の変 転に重点をおくものとするgまた,この大 について反Aし,特に  のもたらした  の 幸に        4}

       (下絵,引用者)

ついても えさせることが大切である。

 1958(S33)年三小学校学習指導要領では,戦争は,昭和30年版学習指 導要領同様,日本の国際的地位向上の一過程として述べられている。中 学校学習指導要領には,「大戦についての反省』と「戦争のもたらした 人類の不幸」という言葉がでてくるが,『大戦J「戦争」と一般的な記

一 117 一

述になっているばかりか,「大戦」の何を反省し,「戦争」の何が不幸 であったのか不明確である。国際関係の変転としての歴史の中に,付け 加えとして書かれているにすぎないとさえ感じられる。高等学校学習指 導要領には,「戦争のもたらす人類の不幸や損失について深く考えさせ

る。」という同じ文言が,「日本史」と「世界史A」および「世界史B」

に書かれている。

 以上のように,昭和30年代の学習指導要領は,戦争の実態とその影響 について具体的に学習することを殆ど期待していない。戦争の一般論を 述べているだけで,他国民に対して行った加害行為はもちろん,日本人 が自分の不幸として実感した被害の実態さえ学習の対象となっていない。

イ) 戦争の原因追及

 戦争の原因追及についての学習は,1955(S30)年版中学校学習指導要 領に見られる。