5−1.運用力につながる文法記述のために必要な視点
以上、第2章から第4章にかけて、ハズダという表現を例に、教材での扱われ方、学習 者による産出データ、教師による誤用訂正行為のそれぞれの角度から、現行の文法記述や 文法教育の問題点を探ってきた。そこから観察された結果をもとに、運用力につながる文 法記述のために必要な視点をまとめてみたいと思う。
まず、第2章では、教材におけるハズダの扱われ方の問題点を見た。その結果、文型が 文脈から切り離されて提示されていることから生じる問題点として、意味に偏った練習、
コミュニケーション上の用法の未整理、機能や話し手の資格の不在、類義表現との使い分 けの視点の不足など、様々な項目が観察された。筆者は、文法というものは、本来、使い ながら帰納的に身につけられていくべきものだと考えている。しかし、外国語学習の場合 は、母語を子供が身につけていくようには、時間も経験もかけることができない。そこで、
理解と運用を助けるために、解説的に文法説明が利用されるのである。したがって、基本 的意味等の文法解説が演繹的な説明となるのは、ある意味仕方のない面もある。しかし、
問題は、帰納的な理解を助けるはずの練習までもが、演繹的なものに終わってしまってい る点ではないだろうか。一定のルールを用いて、そこからトップダウン的に、コミュニケ ーションの機能につながらない「抽象的な文」を作成するだけでは、実際の運用力を養う ことはできないだろう。現行の説明や練習は、「どう述べるか」を自分で決めていくための 情報としては、十分に機能していかないのではないかと思われる。
次に、第3章では、学習者の産出した会話例や意見文を通して、学習者は「何ができな いのか」を観察した。そして、表現意図を支えるための終助詞や接続助詞、副詞等との共 起が見られにくいこと、伝達効果が不明瞭であったり、発話意図にずれがあったりするも のも多いこと、母語話者が思うよりもずっと広範囲に類義表現をとらえる必要があること、
などの問題点が洗い出された。また、母語話者や学習の進んだ学習者に見られる文章展開 のパターンが、運用力が不十分な学習者にはうまく使えていないということも観察された。
「根拠から導き出される判断」という意味だけを理解しても、会話や文章の中で、適切に 利用していくことには結びつきにくいということが改めて確認できたと思う。
これらの問題はいずれも、学習者に、ハズダを用いて何をするのかというコミュニケー
ション上の機能が十分に伝わっていないことを示唆するものである。モダリティ表現の運 用に必要なのは、その意味だけではなく、「いつ、どのように」その述べ方が利用され、そ れによって何が表現できるのか、ということである。外国語学習の現場では、こうした機 能を意識した使用を促す練習が試みられなければならないと思う。また、教育現場が共起 表現や文章展開を含めた「使える形」で言語表現を教えていないという点も反省しなけれ ばならない。コミュニケーションの目的を明確にし、それを支える共起表現や文章や談話 における展開も含めた運用の中で、意味や機能の認識を深めていくことが表現教育のため には有効である。学習者のための文法を考えるならば、説明の精緻化ではなく、「使ってい く中で」意味や機能の理解を深めていけるような、言わば「体感型」の文法を目指す工夫 を試みていきたいと思う。
また、第4章では、教師の誤用訂正行為を通して、文型の意味だけに頼った説明では解 決できない問題があること、にもかかわらず、教師は誤用訂正においても文型の意味に着 目する傾向があることなどを見た。適切な使用のためには、一文単位で文を作り、その前 件と後件の意味的な関係を見るだけでは十分ではない。場面があり、発話者の意図があり、
その上で一つの文が成立するという方向での文の産出が不可欠である。しかし、現在、教 師が参考にしようとする文法解説書や先行研究の文献は、一文レベルでの意味記述に留ま っているものが多い。これでは、教師の説明も、どうしても意味の精緻化の方向へと進ん でしまうであろう。教師のために必要な文法記述とは、その文型が何であるか(=意味)
はもちろん、どう使うのか(=機能)、また、練習の際に、どのような場面を設定し、授業 をどう組み立てていくのか、といったことについても、ヒントとなるものが理想的ではな いかと考える。現場に立つ教師を支援する教材を考える上でも、やはり、当該文型が「ど んなときに」「何のために」使われるのかという、文脈に関する視点を取り入れることが要 請される。
以上をまとめると、以下の3点が、現在の文法記述には不足している観点なのではない かと言うことができる。
① 「どういった人物が」「どういった人物に対して」「どんなときに」「何のために」そ の表現を用いるのかということの情報から切り離されていること。
② 共起表現や文章展開を含め、「使える形で」の提供がないこと。
③ 類義表現との使い分けが、基本的な意味からのみ説明され、広い範囲の類義表現の中 から「なぜその表現を使うのか」を自分で決めるための情報が少ないこと。
本研究では、従来の意味に偏りがちな文法記述ではなく、こうした観点を取り込んだ記 述を試みたいと考える。
この姿勢は、第1章で見出した本研究の理想とする文法記述のあり方と重なっていくも のである。すなわち、「その表現をどう使うのか」といった観点から、コミュニケーション のまさにその中に文法を見出すことのできる記述、意図や場面、文脈といったことをも対 象として文法を記述していくという姿勢である1。そうすることで、文法記述は、学習者に とっては、その表現をどう使えばよいのかを考えるヒントとなり、実際に使ってみること で意味を試すことができ、また、教師にとっては、学習者の言語経験の充実を目指した教 室活動の組み立てに寄与しうるものになると考える。そのような文法記述のあり方を、本 研究では、運用力につながる文法記述であると考えたい。そして、そのために必要なのが、
機能をもとに文型をとらえなおし、文脈を明らかにしていく作業である。
5−2.文脈とは何か
ここで、運用力につながる文法記述のために不可欠であるとした「文脈」とはいかなる ものかについて、先行研究もふまえ、今一度、考えてみることにする。
5-2-1.文脈の定義に関する先行研究
「文脈」という言葉は、様々な立場で様々に用いられることがあるが、日本語学の場合 は、主に文章・談話研究の中で、考察が進められてきた。その中で、「文脈」は、大きく二 つの意味で取り上げられてきている。1つは主に言語的要素の連接関係をめぐるものであ り、もう1つは、言語要素以外も含めた「話の場」(三尾1948:21)とも言えるものを「文 脈」と呼ぶものである。三尾(1948)では、前者を「文法的文脈」、後者を「心理学的文脈」
と呼んだ。
(184)ここに注意すべきことは、文脈という言葉にだいたい二つの意味があると いうことである。1つはこれまで述べてきた文の脈(すじ)として、時間の中 にあるところの文脈である。国語辞典の説明や英和辞典(context)の訳語と
1 第1章1−5の①〜⑥を参照。
して、「文章のすじ」とか、「文のあとさき」とか、「文の前後の関係」とか書 かれてあるのもだいたいそれである。これをかりに文法的文脈ということにし よう。
もうひとつは話の「場」とほとんど同じ意味に用いられるのもで、心理学 者がさきにとりいれたものと思うが、言語学者の中にもこの意味に用いてゐ る人もあるようである。たとえば「あゝ、あつい」という文があるとする。
(中略)「あゝ、あつい」は「場」の中で行き、意味をあたえられている。
「あゝ、あつい」の意味脈絡は「場」との間でなされる。「あゝ、あつい」の 前後の文は「場」である。すなわち「場」こそ文脈にほかならぬ。
(三尾1948:16-17 原文は旧字体)
ただし、三尾(1948)は、心理学的文脈は直接には文法の対象とはならないとし、それを 話の「場」と呼び、文脈という言葉を文法的文脈に限って用いるとした。
文章・談話論においても、文脈の研究は、主に表現された言語的要素の連接や展開の問 題として発展してきた。そこでは、以下の記述にあるように、従来は「文の文脈」と「文 章の文脈」に分けられ、その構成要素についての観察と考察が行われてきた。
(185) 『日本文法大辞典』(1971) 「文脈」の項
言語表現の意図のもとに生ずる内容上の脈絡。文または文章の内部に見られ る。文の文脈は、語もしくは文節の結合によって成立し、主語・述語・修飾語 などの「文の成分」の関係によって構成される。それに対し、文章の文脈は、
通常、文または文段の連接によって成立し、接続詞などの示す、順接・逆接・
添加・転換などの「連接関係」によって構成される。文脈を示す手段としては、
接続語句(接続詞および接続詞的機能を持つ語句・接続助詞も含められる)を 用いるほか、連用中止法による、指示語を用いる、同一語句を反復する、意味 上連関のある語句を用いる、など多くの形式があるが、これらはしばしば併用さ れる。(『日本文法大辞典』1971:751 市川孝)
(186) 宮地(1960:56)
広義文脈とは、「文章での、構成単位の意味のつながりとまとまり」である。