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第3章  インタビュー事例調査

第二節  逃走中の絆

【ケース2】円さんと建さん

場 所:台中市東区東英十五街22号

時 間:8月15目、8月28一日(2回)

    19:30〜20:15〈勤務終了後、毎.回約45分>

インタビュ]対象者(インワォーマント):建さんの両親 世帯構成:父親(世帯主)、.母親、息子(建ざん)

○ベトナム人花嫁について

夫婦の生年:本人(円さん)1984年(24才)、夫(建さん)1980年(28才)

ベトナム人花嫁の台湾滞在時間:4年 出身地:南ベトナム(Dong Thap省)

中国語のレベル=流暢。台湾語でも会話ができる。

宗 教:仏教

職業:工場の従業員、パン屋さん(ベトナム滞在時)

    台湾では、舅姑の鉄工所を手伝う一方で、自分でも店を経営 夫婦の学歴:円さん:中学校2年修業(15歳)、建さん:高校(18才)

兄弟姉妹:1男3女の2番目

(1)はじめに

 私の家庭背景の関係で、約15年前から母は、一建さんの両親と知り合いになった。建さ んは生まれつきの知的障害者である。5歳ごろ発覚した。気付くのがあまりにも遅かった ので、手術や治療・を受けられなかった。また、23年前の医学のレベルに対する不安もあ

った。

 建さんは小学校から高校まで知的障害養護学校に通った。当初、両親はどうしても建さ んの境遇を受け入れることができなかったが、建さんが大きくなるにしたがって、事実を 徐々に認めることができるようになった。両親自身は身体的な問題がないにもかかわらず、

障害を持っ子供が生まれたことは、宿命としか思えなかったという。

一私の母は、建さんの両親も家庭のことも良く知っている。4年前のある日、建さんのお 母さんは、建さんと嫁を連れて挨拶しに来た。母もとても嬉しそうで、ふたりのこれから の幸せを祝福した。そのとき、円さんは台湾に来てから2カニ月経ったに過ぎず、会話すら できず、ずっとニコニコと恥ずかしそうに笑っていただけだったそうだ。

 現在、両親は大きな鉄工所を経営し、建さんも毎日そこで仕事をしている。私が初めて その工場に行ったとき、建さんは私のところにやってきて尋ねた。「あなたは誰?」、「何

しに来たの?」といった簡単な言葉での質問だった。私は、建さんの質問に分かりやすい

言葉で説明をしてから、建さんの母親の所に案内してもらった。

(2)ベトナムでの生活と実家の家族構成

 円さんの家族は4人兄弟で、彼女は2番目である。兄弟たちは、彼女と同じく中学を中 退すると、社会に出て働き始めた。なぜ中学を終えないまま、仕事をするのかと建さんの 母親に聞くと、そのとき中学校に行くためには学費が必要であり、円さんの兄弟はみん存 中途退学して、仕事を始めたそうだ(ベトナムでは、2001年に9年義務教育法案が成立

した)。

 円さんの実家は、店や畑を所有一しておらず、両親から子どもまで皆外で働いている。靴 工場で働いたり、喫茶店の手伝いや清掃員などをしたりしている。毎月の給料(約8300 円)の3分の2は、円さんの両親に渡している。家族で一致協力している。

 円さんの姉は7年前に結婚して、主人の家に嫁いだ。円さんあ兄弟は妹と弟2人が実家 にいて両親と一緒に住んでいるが、妹は、将来、円さんと尚じ1ように台湾に来て、台湾人 と結婚したいと話しているという。

(3)2人の婚姻

 建さんは脳に障害があるとはいっても、ベトナムに行って、相手を選ぶときも給麗でス タイルのいい女性を指定したそうだ。円さんの母親も、ちゃんと建さんの事情を承知した 上で、ふたりの結婚を認めたという。

 建さんの両親ぽ約80万円を仲介会社に一括で支払った。そのなかには、見合いと結婚 式の費用も含まれている。抜露宴はベトナムのレストランで行われ、6テ]ブル(親戚、

親友)の宴席が設けられた。

 建さんの両親はたいへん嬉しかった。いいお嫁さんに来てもらって建さんのそぱにいて もらえること、やっと息子も自分の家庭.を持てるようになったことなど、幸せなことだと 思った。ただ、子どもを生むのは望ましくないという。もし、障害を持った子ができると、

ふたりにも、両親にも良くないと考えている。このことについては、事前に、ふたりに説 明したという。

 円さんが帰国する際は、建さんも同行し、円さんの家族にいろいろと招待された。建さ んの両親は60万円を円さんの家に援助し、実家の家が新築された。建さんは円さんの家 族を自分の家族と同じように思って、心を開けて皆と伸良くなった。

(4)円さんの台湾での生活

 円さんは賢い女性で、建さんの両親が家事や工場の仕事を彼女に頼むと、必ず効率よく こなしてくれるという。円さん白身、料理に関心があらたので、一生懸命に勉強して、料 理人になるための免許まで取った。建さんの両親は、彼女の才能を誇りに思ったりもし牟。

 しかし、彼女が台湾に来た目的が、だんだん皆の目に明らかになっていったという。2,

3目ごとに同郷の人と遊びに出て、家に帰らないときも多くなった。中国語の能力もずく 上達した。3年間、夜間の中出語教室に在籍したが、よく授業を欠席したので、実際の勉

強時間数は少なかったという。

(5)建さんの生活状況

 建さんの外見は、他の人たちと少し違ったように見えるが、心はとても優しくて、明る い人である。母親が料理している間、建さんは茶碗や箸などの用意をし、食べ終わった後

も後付けを手伝うという。

 建さんは20歳で自動車の運転免許を取ると、たまに車に両親を乗せて、ドライブに出 かけたり買い物をしたりする。

 会社と契約して銀行に行き(銀行の行員は建さんのことを承知している)、お金を預け ることも、引き出すことも自分でできるので、母親はあまり心配していない。

 工場では、父親のいいアシスタントであるが、鉄鋼材を製造する工場なので、危ない仕 事は建一さんにはさせず、簡単な手作業をさせている。毎日、会社のユニフォームを着て出 勤し七いる。

 両親には3つの家があり、建さんの好きなようにさせている。毎日違う家に住むときも

ある。

(6)家出をした嫁一

 私は2回、工場でインタビュー調査を行ったが、1回も円さんの姿を見なかった。建さ んの両親の話によると、円さんは2週間に1回ぐらい家に帰ってきて工場 の仕事を手伝う

という。2年前、円さんは「この家を出たい」と姑に言い出した。当然のことだが、この 家を出させるわけにはいかないので断った。その後、「もし、この家を出られないなら建

さんを連れて外で住む」と言い出したという。母親はとても心配で、建さんを手放すこと などできない。せめて自分の息子を守ってあげたいと考えている。

 しばらくすると、円一さんは1人で出て行った。最初の半年はよく家に帰ってきて、工場 の事務から現場の仕事までした。あまりにも頭がよく、悪いこともよく考えていた。母親 は毎月3万円の給料をあげていたが、少ないとしきりに言われたので、ダブルにしてあげ た。このお金の用途を聞くと、なんだか自分の店に使うのだと言う。母親もこれ以上聞か ないようにした。本当に店をやっているかと・うかも問いかけなかった。彼女には、多分、

悪い友達ができたのだと思う。

 この家に悪い影響をもたらさないのなら、彼女の好きなようにしてもかまわない。だん だん家に帰って来なくなった。給料をもらう目しか帰らなくなってきて、母親も彼女のこ

とを諦めた。

 この調査では、嫁ρ写真は撮ることができなかった。もちろん、彼女と会話はできなか った。調査の資料提供者は建さんの両親である。

(7)本ケースに対する考察

建さんの両親の夢は潰えて大きな心の傷となり失望した。

特に、建さんは、あまり自分の気持ちをうまく人に伝えることはできないが、自分自身

のなかで、きっといろいろな疑問を持って、自問自答していることだろう。

 彼女が自分の店をやっていると言っても、建さんの両親に場所を教えてあげないので、

家に帰るときは、ただお金が必要なときに帰っただけであろう。台湾にやってきたばかり のときの円さんと、今の円さんとでは、ずいぶん変わったという。家に帰ってきても夫と コミュニケーションをしない、両親にも話かけない。工場で何時間かの仕事をしてから給 料をもらって家を出る。

 この家に帰り、両親に顔を見せるのは、お金のためだけではない。円さんのパスポート は、まだ母親が預かっているので、双方で約束した通りにやり取りをしている。

 台湾籍を取るために、台湾人と結婚する。台湾籍を取ってから、台湾人のようないい生 活をして、台湾人の福利を享受する。自国の困難な環境を逃げ出す。台湾にいればもらえ

る資源を使って、ベトナムにいる家族たちを援助するのは、ベトナム人花嫁にとって最大 の利一点であるという。

 誰でも子どもは、両親にとっての宝物である。どんなことに遭っても、両親は子どもの 後ろ盾になる。諦めることなく、この両神の愛は、自分の子どもに注ぎ続けられると思う。

しかし、あと20年、30年経って、両親は年をとると、自分の人生すら分からなくなる。

そのとき、建さんのキうなケースの子どもに、どんなことが望めるのか?

 社会的に低い立場にある台湾人は、本気で家庭を守る気がない外国人と結婚して、様々 な社会問題や家庭問題を引き起こしている。お金をたくさん稼ぐために台湾に来ているの で、台湾人の就職権利にも影響を及ぼしており、社会負担にもなっている。政府は国際結 婚の増加の中で、次から次へと生じている問題へ対処し、何らかの政策を打ち出す必要が あるだろう。

(8)補足調査

12月27目 午後3時半から(35分)

 2009年8月に帰国して、インタビューした時、建さんの両親の結論は、2人をこの

ままに.して、嫁が家に帰りたければ、自分で帰ってくる。もし帰らないなら、法律の 手段を利用して、離婚させたいというものだった。

 12月27目、建さんの家の鉄工場に伺いに行くと、建さんはそちらにいなかった。

嫁が家に帰ってくるか待っていると建さんの両親から聞いた。建さんの両親は毎日息 子のことで心配している。建さんの小さな体はだんだん弱くなるかもしれない。食欲 もない、工場にも来なくて、もし1人で何かあったらどうしようかと言いながら…。

 嫁は去年のiO月から家に帰ってきていない。建さんの両親の友人たちは、ある外 国人労働者のよく集まる広場で彼女の姿を見たことがあるという。私たち台湾人はあ まり行かない、フィリピン、タイ、ベトナムから来た人びとの集散所だ。もし、外国 人労働者が行くと、すぐ嵌ってしまう遊廓のようなところだとも言われている。

 円さんは、もともと椅麗で、賢く、建さんや両親のこともよく聴く嫁だったが、友

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