第 4 章 近代化と大気汚染
4.1 近代化とともに変化を遂げる大気汚染
4.1.1 ロンドンスモッグ
(1)ロンドンスモッグの実態
「霧の町」と呼ばれるイギリスの首都、ロンドンは、その地形的および気候的な特徴によ り、霧が発生しやすいだけではなく、産業革命以降、100 年間にわたるスモッグ問題の存 在が、その名に隠されている。
17世紀後半、世界で最初に産業革命を迎えたイギリスでは、人口の増加を原因とした木 材需要の増加と、森林を耕地へと変換する動きが重なって、燃料としての木材資源の不足 が起こっていた。その代替エネルギーとして石炭が用いられ始め、大気汚染の問題が徐々 に発生するようになった。
この産業革命により、蒸気機関のような技術革新が起こり、石炭消費量が急激に上昇し た。産業革命以降、勃興した諸産業に石炭が大量に使われると同時に、都市化とともに人 口が増加し、家庭の暖房用として主に石炭が使われるようになった。このように、産業お よび一般家庭において一気に増加した石炭の使用を原因として、産業革命の中心地であっ たロンドンでは、硫黄酸化物と煤塵が大量に排出され、スモッグが多発するようになった
(川名2007:117-121)。
図4.1は、産業革命以降の、ロンドンの人口成長とイギリスの石炭生産量の増加を示す ものである。ここに示されているように、ロンドンの人口は、1800年までは、緩やかに増 加しているが、1800年代に入ると、爆発的に増加し始め、1850年には230万に達し、1900 年になると650万を突破した。一方、石炭生産量も、1800年から1900年の間に倍増して いることが分かる。
このように、ロンドンの大規模な人口増加に伴って、大量の石炭が消費されたことによ り、排出された煙やススが、当時の大気環境を一気に悪化させたと考えられる。このロン ドンにおける大気汚染問題は、「ロンドンスモッグ」と呼ばれる公害問題までに深刻化した。
49 図4.1 ロンドンの人口の膨張とイギリス石炭生産量の上昇
資料:大場(1979:98&167)の「図3.4 都市人口の急膨張」と「図4.6 イギリ スの石炭生産量の伸び」のデータに基づいて筆者制作
表4.2 19世紀から20世紀におけるロンドンスモッグによる死亡の増加率 時間帯 突然死増加の割合(先週と比べ)
全死因 気管支炎による死亡 1873年12月9日~12月11日
1880年1月26日~1月29日 1882年2月2日~2月7日 1891年12月21日~12月24日 1982年12月28日~12月30日 1948年11月26日~12月1日 1952年12月5日~12月9日
1.4 1.5 1.3 1.9 1.4 1.3 2.6
1.7 2.3 1.6 2.6 1.9 2.0 9.3 出典:三浦(1975:82)表3−1
50 表4.2に示されているのは、1873~1962年の90年間に、ロンドンで発生したスモッグ に伴う突然死の増加率である。ロンドンスモッグが生じた期間において、ロンドン市民の 死亡率は1.3倍から2.6倍となり、呼吸器系疾患による死者は1.7倍から9.3倍まで増加 している。その中で、突然死の死亡率が最も高かったのは、1952年12月5日から9日ま での5日である。
1952年12月5日、大きな移動性高気圧が南イングランドに停滞し始め、気圧の谷が大 西洋から西アイルランドにゆっくり近づき、ロンドン附近では気圧差がなく、完全な無風 状態となった。家庭や工場の煙突から吐き出された煙が垂れ込めて、濃いスモッグが発生 し、一週間も続いた(三浦1975:71)。
1952 年のロンドンスモッグの状況について、BBC ニュース11が行なった経験者に対す るインタビューによると、事件が発生した当時のロンドンは、霧のようなスモッグに覆わ れており、空気が暗いだけではなく、黄色く色づいており、空気中には腐った卵のような 匂いが充満していた。スモッグの影響で視程が悪くなり、交通事故が多発したのみならず、
外出した住民が道に迷うケースも増えた。さらに、住民の記憶によると、短い時間室外に 居ただけで、服と顔に黒い粉塵が付き、咳が止まらなくなることがあった。
前述したように、1952年のロンドンスモッグ事件が発生した一週間だけで、約4000人 が死亡し、ロンドン住民の死亡率が 2.6 倍に、気管支炎による死亡率が前週に比べて 9.3 倍となった。近年発表された、1952年に生じたロンドンスモッグ事件に関する最新の研究 においては、1952年から1953年にかけて、約1万2000人がスモッグに曝露したことを 原因として死亡したことが、明らかにされている(Bell and Davis 2001)。
(2)ロンドンスモッグへの対応策
続いて本項では、産業化と人口増加に伴う石炭使用量の上昇に伴って生み出された、ロ ンドンスモッグに対して、イギリス政府は、どのような規制や対応策を実施したのか、そ して、それらの施策はいかなる効果があったのかについての検討を行う。
以下のイギリス政府におけるロンドンスモッグへの対応策については、三浦(1975)の
『大気汚染からみた環境破壊の歴史』、大場(1979)の『環境問題と世界史』、門脇(1990)
11 ロンドンスモッグの経験者による経験談については、
http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/pop_ups/02/uk_the_great_smog_of_1952/html/2.stm を参照、The Great Smog of 1952, BBC NEWS HP、2018年10月閲覧。
51 の『技術発達史とエネルギー・環境汚染の歴史』、および川名(2007)の『世界の環境問題
-第2巻 西欧』に基づいて整理するものである。
これらの研究に基づいてまとめると、イギリス政府が、ロンドンスモッグに対して実施 した対応策は、主に4 つの段階に分けることができる。まず、産業革命以降から20世紀 初頭までが、第1段階であり、当時のイギリス政府は、石炭の使用をめぐる規制措置を中 心とした対応策を実施した。次に、1905年から1939年までの第2段階では、ロンドンに おける大気汚染を公害問題として扱い、特別措置を実施した。1939年から1952年までの 第3段階では、戦争を原因として、大気汚染に関わる規制は停止されている。さらに、1952 以降の第4段階においては、イギリス政府は、石炭の使用を制限すると同時に、燃料を他 の物質に切り替えるという、エネルギーの転換によってスモッグ問題を解決することに、
ようやく到達することになった。
第 1 段階におけるイギリス政府の対応を詳しく見てみると、以下のように整理できる。
1819年、イギリス議会は大気汚染をめぐる調査を行い、蒸気機関の炉からの煙を除去する 可能性を見出した。その結果、1830年代の終わりまでに、イギリスの大都市における商業 用炉の煙に対する規制が行われたが、大気汚染の拡大は抑えられなかった。1847年には、
「都市整備法」が設定され、工場内での燃料の完全燃焼が規定された。また、1853年およ び 1856 年には「煤煙法」が制定されている。「煤煙法」では、蒸気機関用炉、工場の炉、
公衆浴場、洗濯屋、テームズ河の蒸気線の炉からの煙に対する規制を実施する権限が、警 察に与えられた。1863年には、新興のアルカリ工業や銅精錬工場から排出される煙を規制 するため、「アルカリ法」が議会を通過し、1866年には、「衛生法」が制定され、煤煙の取 締りの権限が警察から保健局に移された。しかし、1873年のロンドンでは、スモッグが一 週間継続的に発生し、それに応じて1875年、「公衆衛生法」が起草された。1881年には、
化学工場を規制するため、「アルカリ等工場規制法」が制定され、同年、政府が主導とする
「煤煙防止委員会」が成立し、対して1899年には、民間団体の「煤煙防止協会」が設立さ れた。しかしながら、産業革命以降の石炭消費の激増という現実の前に、これらの一連の 規制や対応対策は、実質的な効果を上げることができなかった。次々に取られる規制措置 にも関わらず、大気汚染の悪化に歯止めをかけることはできず、大気汚染は一連の死亡事 件をもたらし、さらに拡大していった。
このような状況に対し、20世紀の初頭、イギリス政府による汚染対策は第2の段階に入 り、ロンドンスモッグを公害問題として特別に扱うようになった。1905年、ロンドンで公
52 衆衛生会議が開催され、この会議で初めて、「スモッグ」という言葉を用いて、当時のロン ドンの大気汚染が定義された。1912年、「大気汚染調査委員会」が設立され、1921年には、
「煤煙問題の解決に失敗した最大の原因は中央政府当局の無為にある」という調査結果が 出された。1926年、「煤煙防止法」が制定され、大規模な大気汚染調査が行われた。
しかしながら、1939年から1952年までの第3段階においては、大気汚染への対応が停 滞を強いられることになる。1939年、第二次世界大戦がヨーロッパで始まり、敵機の空襲 を煤煙により妨げる方針が取られたため、スモッグをめぐる調査、対応措置、法律の設定 は、全面的に停止された。しかし、第二次世界大戦終結後の 1948 年の冬には、スモッグ が再び発生し、1952 年、ついにロンドンスモッグ事件という公害事件が発生するに至っ た。
1952 以降の第 4 段階においては、イギリス政府は事態の深刻さを認識し、戦争で停止 となった第2段階の汚染対策を再度起用し、徹底的な管理対策を開始した。1952年、再び
「大気汚染調査委員会」が招集され、翌年、調査報告書が出され、「大気汚染防止には国家 的規模での支出なしには解決不可能」という見解が示されて、国家、地方自治体、企業、
家庭に対して、その費用の支出を求める結果となった。続く 1956 年の「大気清浄法」で は、一般家庭からの煤煙も規制対象となり、さらに、それまで「アルカリ法」の対象外で あった工場、汽車、汽船から排出された煙も規制対象とされた。
一方で、1956年の「大気清浄法」をきっかけとして、イギリスでは、エネルギー改革へ の取り組みが始まった。『諸外国の公害対策の実態』(日本環境調査会 1972:38)による と、「大気清浄法」に従って、規制対象とされた建造物は、石炭燃料から電気、ガス、石油、
コークスなどの無煙燃料へ転換することが義務付けられた。無煙燃料利用設備への転換が 必要なものには、地方公共団体が所要費の70%を補助金として交付し、国はその7分の4 を地方団体に償還する制度が設けられている。その後、1956年から1962年にかけて、ロ ンドンスモッグが数回発生した記録があるが、規制の効果と 1950 年代からの石油への転 換による石炭使用量の減少により、ロンドンスモッグは改善の方向に向かった。
以下の表4.3は、本項で検討したイギリス政府の大気汚染への取り込みをまとめたもの である。