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リスクと危険の連動

第 6 章 リスクの規制からみる圧縮された近代社会

6.4 リスクの規制からみる中国近代化の圧縮性

6.4.2 リスクと危険の連動

前節においては、改革開放以降の中国では、産業社会である第一の近代とリスク社会で ある第二の近代が同時に進行しており、約200年という長い時間をかけて近代化を進めて きた欧米社会に比べて、リスクの在り方が複雑であると述べた。このリスクの複雑性は、

2つの側面から理解することが可能である。

1 つは、多種多様な環境リスクが同時に発生するという点である。中国が直面している 大気汚染の現状は、伝統社会に現れる黄砂問題、第一の近代のロンドンスモッグやロサン ゼルス光化学スモッグ、さらに第二の近代で遭遇するPM2.5問題に比べて、より一層複雑 なものである。すなわち、現在の中国の大気中には、二酸化硫黄、窒素酸化物質、粒子状 物質などの多様な汚染物質が、渾然一体となって存在しているのである(4.2.1参照)。そ れは、欧米先進国の歴史的な経験と比べて、現代中国社会に発生する大気汚染という一次

129 的リスク自体が、圧縮されていることを示すものである。

今1つは、一次的リスクへの規制策に伴って生起する被害が多発しているという点であ る。リスクを克服するための社会的合意が限定される中国では、社会の要請に沿わないリ スク規制策が打ち出されており、それにより、環境破壊や国民の健康被害という一次的リ スクが、社会全体の危険へと容易に転化することになる。

以上の点を踏まえて、本節においては、リスク規制という観点から、一次的リスクであ る汚染と、政府の暫定的な規制策を原因とする危険が連鎖し、環境リスクとその他の社会 問題がいかに悪循環を生じているかを中心に検討を展開する。

(1)規制策の暫定性に伴う危険

前述したように、2012年以降、中国政府におけるPM2.5への対応姿勢には変化が現れ、

その危険性を認めた、新しい規制基準(GB3095-2012)が設定された。そして、2014年には、

新しい「大気汚染防止法」が公布され、実施された。この規制基準の改定と、「大気汚染防 止法」の修訂を始めとして、中国政府は、次々と汚染に対する規制措置を打ち出し始めた。

具体的には、第4章で挙げたように、北京市が2012年、工場作業、一部公用車の使用、

露天串焼き、爆竹などを禁止する緊急措置を期間限定により実施した。加えて、中央政府 は2013年に「大気汚染を防止する10項の措置74」を公布し、それに従って、汚染物質を 産出する工場の北京市からの転出が始まった。また、人口および自動車保有台数の増加抑 制のため、北京市への戸籍移動や、北京市以外の登録車両の市内での長期滞在が厳しく制 限され、トラックなどの大型車両の北京市への進入も禁止された。さらに 2017 年には、

「青空保衛戦」というスローガンが打ち出され、北京およびその周辺地域では、「石炭禁用 区」が設定され、冬季の暖房燃料としての石炭の使用が禁止された。

しかし、このような政府の政策措置が実行されたとしても、北京スモッグ、すなわち

PM2.5による汚染問題が、根本的に解決するかどうかについては、懸念が残された。また、

これらの規制策の実施により、企業や住民が新たなリスクに包囲されることとなった。

2013年から実施された、北京市からの企業および工場の転出に従い、2018年までに、

1992社の鉄鋼業、化学工業、加工および研磨作業など、汚染が大量に生産されうる企業・

74 中国政府の公式書類においては、「国務院大気汚染保治十条措施」を「大気10条」と略称 している。

130 工場が北京から転出しているが、政府はさらに、2019 年までに500 棟の工場立退きを計 画した75。しかしながら、これらの企業および工場は、北京市から転出後、新たな受け入れ 地域の獲得が困難な状況にある。また、政府の出資と支援を受けている国有企業とは異な り、自ら運営資金を捻出する一部の中小企業は、北京市からの転出に伴う費用および新し い地域での工場建設資金を捻出することができず、赤字や倒産という危険にさらされるよ うになっている。このように、政府が、市場原理を無視して、行政命令により企業や工場 を特定の地域から一気に立退かせるという措置は、民主主義制度を持つ欧米社会において は、稀有な現象と言えるだろう。

加えて、2017年の北京および周辺地域における石炭使用禁止という汚染への対応策も、

大きな問題を引き起こした。第4章で言及したように、北京とその周辺地域は中国の北部 に位置しており、都市部にせよ、農村地域にせよ、冬季には石炭を燃料とする暖房が家庭 における重要な採暖手段である。しかしながら、禁止された石炭の代替エネルギーとされ た天然ガスは、該当地域においての供給体制がまだ整備されていない。それにも関わらず、

北京を始めとする4省の26都市は、同年10月末までに集中暖房供給システムの主要燃料 を石炭から天然ガスへの変更を強制され、石炭使用が厳禁となった76。その結果、北京周 辺地域の農村部では、学校、病院、役所などの暖房供給が止まり、そのため健康に支障を きたす住民が続出している77

(2)環境リスクと他の社会問題との連鎖

確かに、中国の首都、北京で生じるスモッグ問題を優先的に制御するために、中国政府 は、汚染を産出する企業を、人口が少なく、相対的に貧しい地域に移転させることにより、

北京における汚染被害を一時的に軽減することに成功した。一方で、これらの企業・工場 を受け入れた地域にしてみれば、元々北京との地域格差や収入格差があることに加えて、

大気汚染のリスクとその脅威も強制的に加えられることになったのである。しかしながら、

75 中国自然資源部が発表した「北京五年退出一般製造と汚染企業1992家」を参照、

http://www.mlr.gov.cn/xwdt/dfdt/201802/t20180207_1748046.htm、中国自然資源部HP、

2018年12月閲覧。

76 日経ビジネスに掲載される「1000万人が凍える中国、「暖房変換政策」の失態」を参照、

https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/121300130/?P=2、日経ビジネス HP、2018年12月閲覧。

77 東京新聞に掲載される「大気汚染の北京に青空、「脱石炭」強行 暖房使えず凍傷の子供」

を参照、http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201712/CK2017121402000121.html、

東京新聞HP、2018年12月閲覧。

131 ベックが主張したように、近代化に伴うリスクは、それが拡大する過程で社会的なブーメ ラン効果を発生させる(Beck 1986=1998:52)。大気汚染のようなリスクの場合、たとえ 汚染源である企業や工場が他の地域に移転したとしても、遅かれ早かれ、その汚染物質は 大気の流動と生態系の循環に従って、再び北京を襲うこととなるのである。

本論において何度も繰り返して強調されたように、環境問題が日増しに深刻化している 中国において、そのリスクは、単に人と自然の対立を意味するだけではなく、人と人の間、

地域と地域の間での矛盾をも生起させる状況を生み出す。北京市への人口流入の制限や自 動車進入の禁止などに象徴されるように、北京を中心とした都市圏の環境問題が重視され ている反面で、他の地域の環境は軽視されている。環境リスクと、収入の格差、地域の格 差などの社会問題が、連鎖して悪循環に陥ることになるのである。

ベックにより指摘されたように、富の分布と分配の結果と似て、リスクの分布と分配に も、いくつかの階級や地域に集中するという不平等が確かに存在している(Beck 1986=

1998:29)。つまり、環境問題と貧困問題のような社会問題が交差して重なり、大気汚染 問題の解決の難易度がより高くなるという現象が起きる。中国において、富の分配とリス クの分配がどのように交差しているかについては、第7章において、また詳しく論述する。

中国語に「病来如山倒、病去如抽絲」という言葉がある。それは、「病気というものは激 しい勢いで襲いかかるが徐々にしか治らないものである」ということを意味している。大 気汚染というリスクを規制し克服する過程も、まさにこの言葉通りである。イギリスにお いては、ロンドンスモッグを克服するために、約100年という時間が費やされた。ロサン ゼル光化学スモッグについては、その被害を回避するために、およそ50年もの間、規制の 実施と改定が繰り返された。

しかしながら、中国では、改革開放政策によって、経済成長が一気に促進された一方で、

大気汚染のリスクを一掃する効率的な政策は、なかなか理想通りの結末にたどり着けてい ない。たとえば、「大気10条」は、産業化の構造、エネルギーの転換、技術の革新、法律 の整備、地域間のネットワーク、官産学民の連動などを掲げている。しかし、このような スローガン的なリスク規制策が実際にどのように実現するのか、さらに、それによって、

PM2.5を原因とする大気汚染がいつまでに改善できるのかについては、今のところ全く不

明である。

2014年11月、中国政府はAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の開催に合わせて、自 動車の通行規制や工場の強制休業など、徹底的にして、かつ一時的な大気汚染解消作戦で