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リーベラ・テッラ( Libera Terra )

ドキュメント内 イタリアの有機農業(要旨) (ページ 65-68)

1995年、ルイジ・チョッティ神父を中心に、マフィアやマフィアに順ずる組織などの社 会的腐敗への対抗活動を目的とするグループが形成された。彼らは様々なかたちで反マフ ィア運動を展開していたが、翌96年にマフィア等から財産を押収して社会的に有効利用す るための法律(法令1996年第109号[注11

「リーベラ・テッラ」(「マフィアから解放された土地」を意味する)は、このプロジェ クトおよびプロジェクトへの参加を認められた団体で構成される社会的協同組合(B型

[注

)が成立すると、押収された土地を身体的にハ ンディキャップのある人たちや麻薬・アルコール依存症の治療に励む人などのための農園 として運営する活動を始めた。また、これら農園の生産物および加工品は、高い品質を追 求するとともに環境を守るものでなければならないとの理念に基づいて、有機農法を取り 入れることとなった。

12

11 土地の利用方法は様々だが、その土地が所属するコムーネ(市町村などの地方時自体)が所有することが 可能であり、コムーネは地域の事情に沿った目的で、直接運用または団体や法人に管理を委託することが できる。ただし、社会共通の利益を目的とした活動に使用されなければならない。

12 社会的協同組合とは、1991年に成立した「社会的協同組合に関する法律」381号によるもので、その第 1条で「社会的協同組合は、市民の、人間としての発達及び社会参加についての、地域の普遍的な利益を 追求することを目的」とすることとされている。社会的協同組合はA型とB型とに分かれ、A型は社会 福祉、保健、教育等のサービスの運営を担う協同組合で、B型は社会的不利益を被るものの就労を目的と して農業、製造業、商業及びサービス業等の多様な活動を行う協同組合とされている。B 型については、

社会的不利益を被る労働者の数が報酬を受ける労働者の30%を下回らないことが条件とされている。「オ ーガニックなイタリア 農村見聞録」(家の光協会出版、蔦谷栄一著)

:社会的不利益を受けやすい立場の人の社会的教育機関として機能)の名称であり、

同時に彼らの製品ブランド名にもなっている。

現在もマフィアによる放火や脅迫などの被害を受けており、活動は簡単な状況ではない が、様々な組織からの支持も受けながら、経営規模を広げつつある。リーベラ・テッラに 所属する組織はシチリア州が中心だが、最近ではイタリア半島南部のカラブリア州にも広 がっている(2008年8月時点):

シチリア州

・プラチド・リッツォット(Cooperativa Soc. Placido Rizzotto、パレルモ県)

・ラヴォーロ・エ・ノン・ソーロ(Cooperativa Soc. Lavoro e non solo、パレルモ県)

・ノエ (Cooperativa Soc. Noe、パレルモ県)

・ピオ・ラ・テッラ (Cooperativa Soc. Pio La Terra、パレルモ県)

カラブリア州

・ヴァッレ・デル・マッロ (Cooperativa Soc. Valle del Marro、レッジョ・カラブリ ア県)

このほか、カーザ・デイ・ジョーヴァニ(Associazione Casa dei Giovani)は近年リー ベラ・テッラからは脱退したが、マフィアから押収した土地を麻薬・アルコール依存症患 者の治療プログラムの一環として、野菜・果物やオリーブオイルなどの有機農園を運営し ている。生産物は主にヴィータ・ビオ(Vita Bio)という組織を通して、コープや大規模流 通店で販売している。

同様にリーベラ・テッラには所属していないが、シチリアやカラブリア以外でも没収地 で有機農業を行う団体が増えており、有機農法を守りながら活動している。

リーベラ・テッラの製品の流通に関しては、発足当時からコープ・イタリアとの協力関 係があったが、2006年5月にコープ連盟に所属する生協やその他の協同組合、企業等がリ ーベラ・テッラの活動を支援するため、「リーベラ・テッラとの協力−協力作業の発展と合 法性のための協会 (Cooperare con Libera Terra – Agenzia per lo Sviluppo Cooperativo

e la Legalita’)」を立ち上げ、流通を中心とした支援活動を行っている。現在55団体が参

加しており、コナピやスローフード協会も名前を連ねている。また、プラチド・リッツォ ットとラヴォーロ・エ・ノン・ソーロはコナピの会員でもある。

リーベラ・テッラはコナピの組織的な支援を受けているが、このほかにも、例えば参加 組合の発起人がいわゆるインテリ層で農業経験に乏しい場合が多いことから、カッシー ナ・コルナーレの会員農家が指導に赴くなど、異なる組織間で複雑に絡んだネットワーク の支援が広がっている。

⑤ 「有機の里」ヴァレーゼ・リーグレ(Varese Ligure

i)歴史と背景

ヴァレーゼ・リーグレは、リグーリア州ラ・スペツィア県の中山間地にあるコムーネで ある。表面積は同県(882k ㎡)のおよそ 15%(136 k ㎡)を占めるが、人口は全体(22

万788人)の1%(2,221人)に過ぎない。1800年代終盤に8,000人を超えていた人口は、

第2次世界対戦後の海外や国内大都市への激しい人口流出によって、1980年代には3,000 人を割るほどまでに減少した。ワインやオリーブの生産には適さず、野菜生産には不適な 地形であるため、歴史的に畜産が基幹産業となっていた。

2030年頃には消滅するとまでいわれていたが、1990年代にマウリツィオ・カランツァ村 長による活性化計画が次々と実行されたことにより、変革が訪れた。

最初に村の中心地の整備に着手し、半ば放棄されていた中世起源の住居地や広場を修復 した。続いて取りかかったのが、村を「有機の里」にする計画と再生可能エネルギー計画

であった。ヴァレーゼ・リーグレは、かつては交通の要所であったが、高速道路など交通 網の発達に伴い人の往来が減少し、鉄道も通っていないために産業の導入もできなかった。

しかし、同村長は、この「何も無い」からこそできることに価値を見いだして、それを積 極的にアピールすることで成功したのである。高速道路や国道など交通量の多い道路や工 場の周辺では「有機農業」が成立しない。人口流出を招いた負の要因は、反対に農業にと っては「有機」の付加価値を与える最高の条件であった。

これまでの農業も実質的に有機に近かったため、特に変えるべきことはほとんどなく、

むしろ今までの農業に「価値」を認識することが大切だった。しかし、有機認証を受ける ためには、検査を受けるだけでなく、多くの書類を整える必要があるが、高齢者が多い農 家では、この書類作成に対する抵抗が強く、カランツァ氏は農家を 1 軒ずつ説得して回っ たという。こうして、1997年にヴァレーゼ・リーグレは有機農業率95%を超す文字通り「有 機の里」となった。同時に、風力発電(現在 4 基)と太陽発電、わずかだが水力発電の設 備を整え、住民の需要200%以上にのぼる再生可能エネルギー施設と3カ所の浄水装置設備 を設置した。

これらの活動により、1999年には、コムーネとして初めてISO14001、さらにEMASの 認証を受けて、世界的に有名な「持続可能な」村となった。同村には1700年代半ばから続 いている3つ星ホテル、アミーチ (Amici) があり、ホテルやレストランに必要な電力を太 陽発電でまかなっており、ホテルとしてISO14001の認証を受けている。

ii)農業にかかわる組織

ヴァレーゼ・リーグレは、村の農業関係組合の改革にも着手した。それまでは大手乳製 品企業「パルマラット(Parmalat)」に卸すために牛乳を集める機能しかなかった協同組合 から、集収した牛乳を自らの工場でチーズに加工し、敷地内に直売所を経営してそこで販 売できるようにした。食肉の協同組合についても、牛の食肉解体処理場を整備するととも に、直売店で販売を開始した。

さらに周辺のコムーネにも活動の輪を広げ、それら製品の販路開発のための組合

(Consorzio Valle del Biologico)を組織した。これら協同組合のほか、養蜂家、家禽類・

豚・ヤギを飼う農家、野菜・果物の栽培農家が参加している。なかでもラ・サリータ(La Salita) という農家は、絶滅していた黒鶏(Gigante Nero)を復活させて飼育したり、豚を野生に 近い状態で飼っていることで注目されている。

この組合には属さないが、有機ヨーグルトの製造工場もあり(原料は他のコムーネから 買っている)、自社ブランド製品のほか、大手スーパーチェーンのエッセルンガ (Esselunga)

や有機食品のスーパーマーケットであるナトゥラシ(NaturaSi[注13

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