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課題

ドキュメント内 untitled (ページ 44-49)

山本かほり(愛知県立大学・准教授)

4.  ブラジル人住民にとっての「多文化共生」施策 ―意義と課題―

4.2   課題

 ただし、課題も多い。ここでは2点だけ指摘しておくことにしよう。

 ひとつは、これまでの多文化共生施策は、地域社会で起こった問題に対応することに力点がおかれ がちで、当事者であるブラジル人(のみならず、外国人)コミュニティを支援することが少なかった ことである。このような問題は以前から指摘されてはきていた(その意味で豊橋市とABTとの連携 はモデルケースとしてみなすことができるのである)が、経済不況下において、その問題が明確になっ たように思われる。

 冒頭でも述べたように、極端な雇用情勢の悪化の中で、多くのブラジル人労働者が解雇された。以 前ならば2週間もしないうちに、次の仕事が見つかったそうであるが、今回の不況は深刻で、雇用保 険の支給期間(人によって異なるが、3ヶ月から6ヶ月)が過ぎても、失業状態にある人は多い。た とえば、岐阜県が2009年7月から9月にかけて(つまり、リーマンショック後、約1年経過して)

おこなったブラジル人対象の失業調査では、対象者中40%が失業状態にあると答えている。

 「今は、100円が前の1万円くらいに感じる。そのくらい、お金がない。」「夫が失業した。下の子 どもはまだ小学生。私の給料では生活ができない。運良く、上の子どもが今年学校を卒業して会社に 勤め始めた。だから、上の子どもの給料も生活費としてあてにしている。」「仕事は探しているけれど ないねぇ。僕は日本語ができないから、余計に難しい。いくつもの派遣会社に登録はしているけれ ど、全然、連絡がこない。今まで、15年間、僕はまじめに、まじめに働いてきたのに、誰もそれは 認めてくれない。」等々、ブラジル人たちが語る現実は非常に厳しい。先にも指摘したが、この問題 は不況下で顕在化しただけで、かれらの雇用のあり方では常に潜在していた問題である。

 先にも述べたようにこの厳しい現実はブラジル人コミュニティに大きなダメージを与えた。ポルト ガル語新聞の廃業、スーパーやレストランの閉店、さらにはブラジル人学校の閉校など、エスニック な機関の衰退はコミュニティ内のつながりを弱化させる。

 さらに、コミュニティ内部の人間関係もぎくしゃくしている。たとえば、西尾市のある県営住宅に は、居住者のブラジル人を中心にした40名ほどのネットワークがあった。これは、元々は住宅内で 開催されていた子どもたちのポルトガル語教室を支える親たちを中心に形成されたものである。ポル トガル語教室を運営していくために、団地内でシュハスコ(バーベキュー)やブラジル人の祭り、ま た運動会を開くなど、活発に活動を展開していた。フォーマルに組織化されたものではなかったが、

友人関係を通じた緩やかなネットワークが広がり、インフォーマルな相互扶助も存在していた。

 しかし、そのメンバーの何人かの失業が長期化するにつれて、様相が変化してきた。失業している 人は「お金がないから、友だちに誘われても遊びにも行けない。家に招待されても何かもっていかな いといけない。バーベキューに行けば会費が必要。誕生日会に呼ばれたら、プレゼントも用意しない

といけない。そんなのできないよ。今日食べるご飯だって、どうしようかと思っているのに」10と語 り、一方で、雇用を維持している人は、「Sさんとは全然会わなくなっちゃった。仕事がないって知っ ているから、誘いにくいし、こっちから、仕事のことは聞けない」といい、互いに疎遠になっていっ ていることを認める。

 つまり、ブラジル人のインフォーマルなネットワークが弱体化しているのである。そして、コミュ ニティ内部で自助する力も弱くなっているのだ。このような事態に地方自治体はほとんど何の策も出 せないでいるのが現実である。

 二つ目は、これまでの多文化共生施策は、一定の生活基盤をもつ層のみに焦点をあてていたという 点である。失業して生活に困窮するブラジル人が、今のように大量に、かつ一気に出ることを想定し ておらず、そのようなブラジル人を支援する施策はほとんど考えられてこなかったのだ。緊急の雇用 対策と同時に、打ち出されたのは「帰国支援事業」11だった。もちろん、帰国を望みつつも、飛行機 代がない人に対する支援としては有効だった。しかしながら、いくつかの自治体の窓口では、生活保 護支給と引き替えに帰国支援の申請を条件づけるところもあったようだ。外国人相談を受けている人 は次のように語った。「去年(2008 年)の暮れに失業した人の雇用保険の支給が3 月に始まって、そ ろそろ半年が過ぎるでしょ。ブラジルに帰れない人は、仕事がなければ生活保護をすすめるんだよね。

一緒に市役所へ行くでしょ。そうすると、どの市役所も3ヶ月の生活保護しか認めない。ということ は、3ヶ月以内に仕事が見つからなければ、例の帰国奨励金を使って帰国しないさいっていうことだ よね。」12

 このような自治体の対応は、「この機に乗じて余剰となった不要な外国人労働者を切り捨てる」13 とも読み取れる。自治体がかかげてきた多文化共生の理念とは大きくかけ離れているとみなされても 仕方ないだろう。

5. まとめにかえて

 本報告では、愛知県内の自治体を事例にして、どのような多文化共生施策(外国人施策)が行われ てきたのか、そして、それらの効果および問題点を検討した。日本に定住可能な在留資格を付与しな がら、かれらをどう受け入れるのかという政府の基本方針がない中で、自治体は独自に様々な施策や プログラムを実施し、地域内における日本人住民との「共生」関係の形成には、一定の役割を果たし てきた。しかしながら、外国人住民の定住化傾向に目をむけ、かれらの「住民」としての側面に焦点 をあてた政策は、一方で、かれらが不安定な労働者であることを結果として無視し、かれらの問題を

「脱政治化」してきたという批判(梶田・丹野・樋口、2005 樋口、2010)も妥当ではある。経済危 機以降、ブラジル人の雇用環境の激変は、こうした矛盾を露骨にさらけ出したのである。

 それでは、どうするべきなのであろうか。短期的には、雇用対策、教育対策、住宅対策、情報提供 など様々な施策が出され、また、運用もされている。しかし、長期的に考えた場合、たとえば、景気 が回復して、雇用が生まれたときに、再度、ブラジル人たちを同じような労働条件で雇うのは、また 同じことが繰り返されるだけになる。(派遣会社によると、派遣先はやはり「非正規・間接雇用の単 純労働力」を求めているという。)

 以下に引用するのは、日系2 世のブラジル人夫婦の言葉だ。日本の生活を振りながら「2-3 年でブ ラジルに帰るって思っていて、何も手に職つけていない。仕事して、お金貯めて、ご飯食べて、それ でいいって感じで来たでしょ。ブラジルに帰って、日本で何を覚えてきたんだと言われてもわからな い」14と語った。かれらは自分たちの反省として、こう語ったのであるが、かれらの言葉は、日本社

会がかれらをどう扱ってきたのかも示している。かれらを単純労働力とだけみなし、熟練工になれる ような現場での訓練が何もなかったことが読み取れる。

 2007年に静岡県で行われた『静岡県外国人労働実態調査』の結果もブラジル人の職業移動の経路 が閉ざされていることを示している。対象者の76%が日本での初職を「技能労働・一般作業」とし て答え、さらに65.3%が現職でも同じ職種についていると答えている。日本での滞在年数や仕事の 経験にかかわらず、ブラジル人たちは同じ職種にとどまっていることが調査から明らかになる。

 外国人がスキルアップできるような雇用環境の創出、また、それを支えるような日本語学習機会の 保障などが求められよう。愛知県の『多文化共生推進プラン』(2008年)では、ブラジル人の労働問 題について言及し、「外国人県民を対象とした職業訓練」をすすめることを政策目標としてはいる。

また、ハローワークや商工会議所との連携および連携のための支援も上記プラン策定のための会議で は言及された15。しかしながら、具体的なその方策は打ち出せないままでいる。もちろん、こうした 課題は、地方自治体レベルだけで到底解決できるものではない。むしろ、国レベルでの政策が必要で あろう。

 しかし、住民と直接対面し、住民のニーズや小規模な市民運動・NPOの動きも把握することがで きる地方自治体としてのメリットを生かすことができないだろうか。つまり、地域内を拠点した取り 組みを、各自治体の行政が把握し、それを支援しかつ連携の可能性をさぐるという方向性である。本 稿でふれた豊橋ブラジル協会と豊橋市との連携16などがその一つの可能性であると考えられる。

 さらに、外国人のコミュニティ自体の強化と同時に日本人コミュニティの関係形成を支援すること が必要であろう。先にもふれたが「共生」が「同化」に転じやすい概念であることを指摘し、「異な るエスニック集団が、社会文化的領域で集団と境界と独自性を維持しつつ、政治経済的領域での平等 を可能にする」(梶田・樋口・丹野、2005:298)という「統合」をキーワードにすべきであるとい う議論がある。しかし、統合実現のためには統合を推進する力としての共同(conviviality)関係の形 成が重要であり、日本人住民とブラジル人コミュニティとの結合が前提になる(稲月,2007)。両者 の結合関係の形成においても、行政が果たす役割は小さくないだろう。

 経済危機において、日本に在住していたブラジル人のうち1/4は帰国した。しかし、逆に言えば、

3/4は日本に残ったことになる。岐阜県の調査でも、経済危機を理由に帰国予定と答えた人は回答者 中3割のみで、しかも、「すぐにでも帰国できる」と答えた人は3%、73%の人が「いつ母国に帰国 できるかわからない」(岐阜県外国人失業者支援相談窓口センター,2009)と答えている。

 外国人支援のNPOの代表が「リーマンブラザーズショックから1年たってね、ブラジル人は大き く分断されましたよ。仕事がある人、失業してもブラジルに帰れる人。僕が見る限り、ある程度力の ある人は、帰るね。うちの会社(彼の本業は派遣会社経営)でも、日本語ができて、きちんと生活し ていた人が帰国をはじめた。今、日本に残っている人の半分は、仕事がない、日本語はできない、ポ ルトガル語の読み書きも十分ではない。県や市がいう『多文化共生』には全くのせることができない 人なんです。子どもたちの非行はますます深刻になっている。一度、日本が、ブラジル人など外国人 を含めた人たちと、どういう『多文化共生』社会をつくろうとしているのか、再検討しなければいけ ない」と語っていた。

 地方自治体がこれまで積み上げてきた施策の上に、ブラジル人住民自身が日本社会で安定した生活 を送ることができるような施策の展開が求められているといえよう。

ドキュメント内 untitled (ページ 44-49)