旅行企業とエスニック・モデル
今西 珠美
1. 研究の目的と分析枠組み
1. 1 研究の目的と方法
本研究の目的は、韓国人の訪日旅行とその取り扱いを行う韓国の旅行企業の 経営行動を分析することにある。第1に、韓国の外国旅行市場の動向と旅行業 界の現状を把握する。第2に、韓国の旅行企業の経営行動を分析する。事例研 究の対象として韓国人訪日旅行において最大の送客数を持つHANATOUR(以 下、ハナツアー)を取り上げ、その成功の要因を明らかにする。第3に、韓国 と日本の旅行企業の経営行動の比較から両者の共通性と相違性を明らかにし、
日本の旅行企業の海外進出における国際経営行動から導き出されたエスニック
・モデルが韓国の旅行企業についても説明することができるのか、その応用可 能性の検討を行う。
研究の方法は、インタビュー調査を中心とする定性的方法である。韓国およ び日本の旅行企業の訪日旅行を取り扱う部門、および一国の観光宣伝活動を担 う政府観光局、それに相当する組織の担当者9名に1人平均2〜3時間、韓国 および日本にて2004年8月〜2005年3月にかけてヒアリング調査を行った。
本研究では、特にハナツアー、韓国観光公社(Korea National Tourism Organiza-tion : KNTO、現Korea Tourism Organization : KTO)、独立行政法人国際観光振 興機構(Japan National Tourist Organization : JNTO)ソウル事務所における調 117
査を中心に論を進める。定性的方法は筆者の恣意的判断が入り込みやすいが、
現場の実態を知るには有用な方法である。先の欠点を補うために、文献研究も 併用する。
なお、本研究で使用する「アウトバウンド」とは、本国から他国へ旅行者が 移動する海外旅行ないし外国旅行を意味している。それに対し「インバウンド」
とは、他国からの旅行者を本国に受け入れる旅行をさす。また、旅行業務を取 り扱う事業者を示す語として一般に旅行業者や旅行会社という言葉も用いられ ているが、本研究では「旅行企業」という用語を用いることにする。
1. 2 問題意識と研究の意義
20世紀後半を特徴付ける社会現象の1つに国際観光がある。国際連合の専 門機関で観光分野に関する世界最大の組織、世界観光機関(World Tourism Or-ganization : UNWTO)によれば、1960年に約6900万人だった世界の国際観光 到着者数は2000年には約10倍の6億8100万人になり、これら国際観光客が もたらした経済効果、世界の国際観光収入は1960年の約70億ドルから2000 年には約71倍の4960億ドルに到達した。2004年の国際観光では7億6300万 人の国際観光到着者数と6230億ドルの国際観光収入がもたらされ、2010年の 国際観光到着者数は10億640万人、2020年には15億6110万人に達するもの と予測されている(UNWTO,2006)。国際観光において他国から旅行者を受 け入れるインバウンドは、自国の観光資源を他国の旅行者に提示・提供するこ と、すなわち、観光資源の輸出を意味することから、現在、先進国、発展途上 国を問わず、国際観光の外客誘致の側面は外貨獲得の重要な機会、収入源のひ とつになっている。世界の貿易という観点から捉えれば、2004年の商品分類 別輸出額(世界総額)では、国際観光・国際旅客運賃(約1兆1230億ドル)
は第1位のオフィス・通信機器(約1兆1340億ドル)に次ぐ第2位にあり、
第3位の燃料化学製品(約9930億ドル)、第4位の化学製品(約9760億ドル)、 118 アジア諸国に学ぶわが国の観光立国政策
第5位の自動車(約8470億ドル)を上回る(JNTO編,2006)。国際観光は先 進国、発展途上国を問わず、いまや重要な産業になっている。
ところが、日本では戦後長らくものづくり産業が日本の経済成長を牽引し、
また国際競争力を強めてきた。そのため、国際観光については経済効果よりも 国際交流や平和などの派生的効用に着目される傾向があった。しかしながら、
世界的な観光の隆盛に伴い、日本でも国際観光がもたらす経済効果について無 視することができなくなり、政府が「観光立国懇談会」(2003年)を設立、日 本も観光立国宣言(2003年)をするに至った。同宣言では、観光の振興に政 府を挙げて取り組み、訪日外国人旅行者数を2002年の約524万人から2010年 までに約2倍の1000万人に増やすことが目標として掲げられた。2003年を「訪 日ツーリズム元年」と設定し、ビジット・ジャパン・キャンペーン(Visit Japan Campaign : VJC)が官民連携の下に展開されるようになったのである。外客誘 致促進を担うVJC事業は、旅行目的地としての日本の認知度向上を狙う。VJC 事業による宣伝強化と、それに呼応して講じられるようになった訪日査証の緩 和措置などの諸策が効果を発揮した結果、翌2004年の訪日外国人旅行者数は 613万7905人(前年比17.8% 増)と初の600万人台を記録するようになった。
この訪日外国人旅行者数を国籍別にみると、韓国が158万8472人で最も多く、
全体の25.9% を占める。以下、台湾(17.6%)、アメリカ(12.4%)、中国(10.0
%)、香港(4.9%)が続く(JNTO編,2005)。さらに2005年の訪日外国人旅 行者数は672万7926人(前年比9.6% 増)に伸び、うち韓国人は174万7171 人(前年比10.0% 増)で全体の26.0% を占めるようになった(JNTO編,2006)。
アジア・太平洋地域の旅行市場は、2004年度の海外旅行者数が前年比28%
増と他の地域よりも高い伸び率を示すように(UNWTO,2006)、当該地域の 海外旅行者数の著しい増加傾向と潜在的な市場規模の大きさから世界的に注目 されている。日本にとってもこの地域の市場は重要である。では、他国の人々 はどのようにして海外旅行に出かけているのだろうか。殊に、継続的に日本に 第5章 訪日旅行における韓国の旅行企業とエスニック・モデル 119
とって最大の旅行市場になっている韓国の人々はどのようにして外国旅行に出 かけているのだろうか。旅行形態にはどのような特徴があるのだろうか。そし て、その旅行業務を取り扱う旅行企業はどのような経営行動を展開しているの だろうか。日本の旅行企業は果たして韓国人の旅行を取り扱い、その旅行市場 に参入できるのだろうか。観光産業を基幹産業にしようと考えるようになった 政府、地域活性化に力を注ぐ地方自治体、ビジネス・チャンスの拡大を望む観 光関連産業にとって、重要なウェイトを占める韓国人の訪日旅行について知る ことは重要かつ必要である。しかしながら、これまで日本の国際観光では日本 人の海外旅行が勢力を保ってきたことから、研究と実践の双方において外国人 のインバウンドについて継続的な取り組みが行われてきたとは言いがたい。こ こに本研究の意義、すなわち、日本にとって重要性を増しているが、着手が遅 れている重要な課題に取り組むという意義があるといえるだろう。
1. 3 分析枠組み
これまで多国籍企業の国際経営行動に関する研究の多くは、研究対象の中心 を製造業に据え、主に親会社と海外拠点のつながりから分析を行ってきた(Doz
& Prahalad,1981、Bartlett & Goshal,1986)。しかし、旅行産業は非製造業で あり、サービスの提供に顧客参加を伴う。そのため、企業と顧客の関係から企 業の国際経営行動を分析することも必要である。そこで、顧客の存在を念頭に 置き、旅行企業の国際経営行動を分析した結果、日本の多国籍旅行企業は、顧 客との対応の中から(1)対象市場、(2)現地経営のスタイル、(3)サービス、
(4)競争企業の4点において、自民族を中心とする国際経営行動を特徴とす ることが発見された。そこで導き出されたのがエスニック・モデルである(今 西,2001)。本研究では、この日本の旅行企業の海外進出における国際経営行 動から導出されたエスニック・モデルに基づき、韓国の旅行企業の経営行動を 分析しようとする。
120 アジア諸国に学ぶわが国の観光立国政策
エスニック・モデルとは「企業がエスノセントリックな基本姿勢に立ち、主 たる対象市場を自民族とする国際経営行動のモデル」である。その存在領域は 図5−1に示され、セル1に当たる。
エスニック・モデルは、企業の国際経営行動を「市場」と「企業の基本姿勢」
の2軸から捉える。「市場」とは、企業の対象市場ないし取扱市場を意味する。
民族的特性による市場の絞り込みを行うかどうかということである。自民族に よって形成される市場に限定する態度が「エスニック」、逆に自民族に拘らず、
あらゆる民族を標的とする世界市場を取り扱おうとする態度が「ノン・エス ニック」である。他方、「企業の基本姿勢」とは、パールミュッターによる世 界的な経営活動に対する企業の考え方であり、海外で事業活動を展開するにあ たって経営者がどのような意識、態度、心理状態をもっているかということを 意味する。世界中に多種多様な民族が存在する中でも自民族を中心に考える態 度が「エスノセントリック」、逆に国籍や民族に関係なく世界ベースで考え、
図 5−1 エスニック・モデルの存在領域
第5章 訪日旅行における韓国の旅行企業とエスニック・モデル 121