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衡平な合意形成プロセスの探究

これまで合意形成プロセスにおける達成と限界、議論の積極的な側面と批判的な側面を、

個別具体的事例をもとに外観してきた。

本章の目的は、合意形成プロセスに現れる固有の特徴から、理論分析に必要な視角を帰 納法分析によって抽出することにある。合意形成プロセスの探究にあたり、ここで得られ た知見を既存の概念に依拠することで具体化するのではなく、本研究においては序章で設 定した 2 つの問題軸である「議論システムからの転換」「共有の構築」に照らして衡平性 を確立させることで論証する。その際に課題となるのは、会議手法に込めた「立場を異に する多様な当事者」の意思決定が、実際はどのように合意形成プロセスに作用したのか。

その結果、どのような問題が表出したのかということである。本章の後半では、ここに留 意して分析を行う。

4-1 会議における市民参加の特徴-第1章から第3章までの事例から-

本節では第 1 章から第 3 章までの会議事例から見えてきた特徴をもとに、「市民参加」

の相違点を確認する(表4-1)。

4-1-1 平等性の実現としての市民参加

高度経済成長期以降、科学や技術は大きな力を持った。従来、政策課題の決定について は、課題の領域の専門家や行政が中心であり、市民との間で真に開かれた対話の場を持つ ことはなかった。だが、1990年代以降、現代社会が抱える複雑化、多様化した環境問題な どの解決のためには、行政や専門家だけでは限界があるとの認識から、「協働原則」に従っ た新しい形の市民参加型会議が登場し始めた(倉阪2008)。こうした科学技術産業への過 度な依存への反省、あるいは科学や技術を中心とした社会構造に対する疑義の目が向けら れるようになり、日本における市民参加型円卓会議は登場した。

1990 年代は、「市民参加」にとって一つの分岐点である。序章で述べたように、1989 年に始まった東欧革命に端を発するブームにも似た熟議の高揚は、市民に参加民主主義へ の期待をもたらした。1992年ブラジルのリオデジャネイロで開催した『地球サミット』の 採択文書「アジェンダ21」では、広範な社会層の参加が合意形成の枠組みとして捉えられ、

また国内でも1997年の「河川法」の改正、2002年の「自然再生推進法」の制定等、市民 参加を制度的方法で支える仕組みも整った。ハーバーマスが『公共性の構造転換』の再刊 の際し、市民による民主的な社会への高揚を見て「1990年新版への序言」と題して論じた のも 1990 年である。だが、こうした民主的市民社会へのテーゼや東欧革命の経緯がある にも関わらず、日本初の円卓会議方式である『成田空港問題円卓会議』では、市民参加の 実情は平等性の実現として呼び込まれた参加段階に留まっていた。それは地域に続いた

表4-1 第1章から第3章の円卓会議事例の概要

会議名 成田空港問題円卓会議 原子力政策円卓会議 三番瀬再生計画検討会議 設置年 1993年 1996年(第1次)

1998年(第2次)

1999年(第3次)

2002年

背景 成田空港問題シンポジウ ムの合意を具現化

もんじゅの事故を受け、

三知事提言

知事による埋立ての白紙 撤回

原則 (公開)対等 情報公開 情報公開・住民参加 位 置 づ

け 根拠

独立組織 第 1 次=原子力委員会の 下部組織

第2次、3次=独立組織

知事の諮問機関

設置 回数

計12回 第1次=11回。第2次=

5回。第3次=7回。

計23回

計22回

議 事 進 行役

隅谷調査団の5名 モデレーターの中から、

毎回異なる2名が担当

学識経験者の中から 1 名 選出

事務局 千葉県、関係自治体職員 第1次=原子力委員会 第2 次、第3 次=三菱総 合研究所

千葉県

参 加 者 の構成

学識経験者、運輸省、公 団、反対同盟熱田派、地 域代表、千葉県、成田市、

芝山町、多古町

モデレーター、招へい者、

原子力委員会

学識経験者、地域住民、

公募市民、漁業関係者、

産業界、環境保護団体

オ ブ ザ ーバー

原子力委員会 千葉県、浦安市、市川市、

船橋市、環境省、国土交 通省、水産庁

テ ー マ 設定

運営委員会 モデレーター、原子力委 員会

参加委員

集約 隅谷調査団 モデレーター 委員の合意 合意

形成

「隅谷調査団の見解」へ の合意

なし 再生計画案

合 意 後 の影響

参加者が尊重。地域振興 連絡協議会が施策を協議

原子力長計策定 再生計画案

(筆者作表)

反対派の暴力的行動を抑え、他方では事業推進者の空港建設の邁進を印象づけないための 戦略から開催されたからかもしれない。それでもハーバーマスが「原則上、自由かつ平等 なすべての当事者は共同的に真理追求に参画する」(ハーバーマス2005:65)と述べるよう な、会議内での発話の自由への配慮はあった。この会議で取られた「多数決を取らない」

という平等性に立脚した手法は、効果的に『三番瀬再生計画検討会議』に引き継がれた。

ただし、「市民参加」の理念は普遍的原則のようではあるが、その理念の具現化は個別に 異なる。日本で初めての円卓会議である『成田空港問題円卓会議』では、「対等の立場」を 希求する、言わば空港政策に「対立する市民」が参加したに過ぎない。また 1995 年に行 われた『長良川河口堰円卓会議』は、『成田空港問題円卓会議』をほぼ踏襲して開催されて いるが、あくまでも「対立する市民」が参加している156。1990 年代は、利害調整を主眼 とした、円卓会議方式の序章期と位置づけられる。したがって形式的に市民参加の回路を 保証しただけの「アリバイ作り」とも取れるような、事業主である行政や国が主催した会 議が際立って多い(「表 0-2」参照)のも、そのためであろう。その場合、市民は専門家 や行政と同じテーブルに座っていても、底辺に位置付けられるのである。『成田空港問題円 卓会議』では、市民参加がアリバイ作りに使われることへの危惧から、市民が議論の際に 最も重視したのは「対等の立場」であった(「第1章」参照)。また『原子力政策円卓会議』

では、市民が原子力に不安を抱くのは科学技術についての知識不足が原因であるとして、

専門家からは教育の重要性が多々指摘された(「第2章」参照)。

この専門家について、小林傳司は2種類の類型があると指摘する。1つは「自らの専門 的知識や技能が不断に非専門家との接触を通して利用される現場に立ち会う専門家」であ る。もう1つは、「自らの専門的知識や技能の流通や使用が比較的閉じた同業者集団に限ら れ、その種の知識の利用が非専門家に及ぶ場面と相対的に切り離された専門家」(小林

2004:328)である。3事例の議論の中心であった専門家は、後者にあたる。

このように市民参加型会議では立ち位置の平等を意味しているのであり、市民がもたら す役割の尊重までをも視野に入れているわけではない。市民参加は意味があるとしても、

必ずしも有意義なわけでもないとみるエリート民主主義論は根強い。以上からは、1990 年代以降に浴びた市民社会への期待は、いささか理念先行であったことが伺える。

4-1-2 政策の実行力としての市民参加

1960年代から70年代の公共事業では、政策内容と市民社会が求める現実との間には確 固たる溝も生じ、社会問題に発展した。成田空港問題や原子力問題がそうであったように、

公共事業の実施権者が優位の時代では、たとえ市民に議論の場が持たれたとしても、公聴

156 例えば『長良川河口堰円卓会議』の開催に際して、当時の建設大臣は「反対の方も賛 成の方もおられるので意見を交換して、できるだけ意見の一致を見いだしたいと考え、

今回、これらの人を一堂に会して円卓会議を開くことになった」(平成 6 年 3 月 3 日の 定例記者会見)と発話している。

会のような儀礼的なものに留まっていた(「1-1-2」「2-1-2」参照)。しかし現代 は多様な利害が存在し、市民を抜きに政策運営をすることは難しい。

1995 年 9 月の「情報公開法」の動きと並行し、重要政策プロセスの「公開性」と「透 明性」を求める閣議決定がなされた。その結果、地方自治体でも自らの地域において「県 民の意見の反映」や「県民の参加」といった形で、「市民」と行政との具体的に連関させた 環境基本条例を定める動きが進んだ157。また、1997年に改正された「河川法」の第16条 の2では市民参加が織り込まれ、制度的な土台も整ったのである。こうしてもはや市民参 加の役割は、市民の知の集約だけに留まらず、議論の成果を政策提言にまとめたり、基礎 自治体の基本計画や実施計画、条例案等の策定にかかわるといった、「政策の実行力」とし ての市民参加へと変わってきた。予め提示された事案を単に追認するのではなく、能動的 な意思決定や選択をする市民が登場したのである。

ただし、議論の成果として合意することが前提あるいは暗黙の了解とされた場合、合意 をいかに法や条例などの立法面、政策過程に影響を及ぼさせるかに注力する向きがある。

加えて市民参加が「アリバイ作り」の場合、たとえ合意したとしても、そのまま政策の解 とはならないことがある。例えば、2001年2月に設置された『淀川水系流域委員会』は、

河川政策のモデルとして「淀川方式」158とよばれ、結論として5つのダム建設の中止を提 言にまとめた。これを受けて国土交通省は、いったんはダム建設を取りやめたが 2005 年 以降、住民の声を拒む態度を取っている159。「河川法」の改正を経ても「河川の流域空間 全体の豊かさという観点から、自然環境、歴史性、風土性などを統合して評価し、そのう えでどのような河川行政がふさわしいかを考えるといった方向はまだ見えていないように 思われる」(桑子1999:17)のが現状である。つまり、政策の企図と異なる合意に至った場 合、その合意が政策へ反映されないばかりか、「淀川方式」も継承されることはない。「淀 川方式」による合議は、八ツ場ダム問題で揺れる利根川、ダム問題を抱える吉野川、北海 道の天塩川の流域でも要望されたが会議設置者によって退けられた。代わって住民の意見 は国土交通省が聴取する方針がとられた。この場合、仮に合意を経ても、議論の帰結は政 治的帰結と同一なものとなる。

第3章で述べた『三番瀬再生計画検討会議』の「千葉方式」では、行政や環境運動団体 や市民の代表が一堂に会したが、平等な立場で情報を共有し知識と知恵を出し合うという

157 ただし環境基本法の制定より以前に施行に至った例はある(1990年10月熊本県環境 基本条例等)。

158 「淀川方式」の特徴は、①公共事業に否定的な市民も委員として参加し、②基本整備 計画の策定作業から加わっていること、③関係書類はすべて公開、④事務局は民間機関 に委託し、⑤傍聴者の意見も尊重する――の 3点を基本とし、国の原案を追認するもの ではなく、流域住民も含めた委員会組織が治水、利水、環境、景観などをゼロの状態か ら議論をしていった。

159 『淀川水系流域委員会』は 2007年1月、第2次が休会し、2009年8月、第3次が休 会した。