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科学技術の事例から-原子力政策円卓会議-

本章では、1996年に内閣府原子力委員会71(以下「原子力委員会」と記す)が設置した

『原子力政策円卓会議』を事例として、この会議が目指した「国民的合意形成」の理念と 現実について分析したい。

原子力とは、「原子力基本法」の第3条において「原子核変換の過程において原子核から 放出されるすべての種類のエネルギーをいう」と定義されている。科学者ならば、当たり 前であるこの定義をどこまで一般の市民や非専門家が理解し、社会への影響について議論 出来たであろうか。そして、「国民的合意形成」は、どのように定式化されたのかを考察し ていく。

2-1 原子力政策の民主化への試み

本節では、戦後の日本の原子力政策についての概要と、『原子力政策円卓会議』設置まで の過程を簡単に述べておく。閉鎖的であった原子力行政は、どのようにして民主化へと踏 み出さなくてはならなくなったのか、その経緯を探っていきたい。

2-1-1 戦後の原子力政策の展開

日本の原子力政策への本格参入は1954年、政府によって非軍事利用、つまり平和的利用 として予算が成立したことにはじまる。翌年12月には国会で与野党一致により「原子力基 本法」が成立し、「民主・自主・公開」の原則が盛り込まれた72。これにより、原子力開発 推進の政治的合意形成が得られた最初の一歩になった。

だが、原子力政策の歴史を振り返れば、科学技術庁グループ、電力・通産連合は、一枚 岩のまとまった体制ではなかった。原子力の草創期では、電力・通産連合が商業用発電炉 の導入・運転を担当し、他のすべての業務を科学技術グループが担当するという二元体制 が取られていた。それが、時代と共に変化し、大局的に見れば、電力・通産連合が少しず つ、その勢力図を拡大していったとされている(吉岡2011:180)。ただし、これらの2つの 勢力を公認し、尊重してきたのが1956年1月に発足した総理府(現;内閣府)原子力委員 会である。原子力委員会は「原子力委員会設置法」の上では、原子力政策の最高意思決定 機関である。しかし原子力委員会は、政策の企画やその審議、決定する機関73であり、ま た内閣総理大臣を通じて関係行政機関の長に勧告する権利や、内閣総理大臣は決定を尊重

71 内閣府原子力委員会ホームページ http://aec.jst.go.entaku/

72 「原子力基本法」の第2条(基本方針)には、「原子力の研究、開発及び利用は、平和 の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うもの とし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」とある。

73 「原子力基本法」の第5条(任務)には、「原子力委員会は、原子力利用に関する事項

(安全の確保のうちその実施に関するものを除く。)について企画し、審議し、及び決定 する」とある。

する建前になっていながらも74、事実上は原子力政策を実施する権限はなかった。実際は、

原子力政策は政府と通商産業省、産業界によって上意下達で進められた。つまり、批判的 な立場(以下、「反対派」と記す)の市民はおろか、学識経験者や知識人でさえ閉ざされた 状態であった。目に見える形での議会による原子力の統制は不十分で、その結果、「国会議 員さえタッチできない内閣の専権事項、つまり政府の決めることで、その意を受けた原子 力委員会の力が大きい・・・立地している自治体にはまったく手が出さない問題」(佐藤栄 2009:50)となっていったのである。

1950年代から1960年代にかけては、原子力発電所(以下「原発」と記す)の誘致も盛ん になる。このような中、1967年に策定された「原子力の研究、開発及び利用に関する長期 計画」75(以下、長期計画については「長計」と略記する)では、高速増殖炉(以下「FBR」

と記す)が国家プロジェクトとなった。そして1970年代、原発が次々と運転を開始する中

76、原発立地に対する反対運動が起きるようになった。初期に起こった市民運動の大規模 なものとしては、1970年11月茨城県で『原子力発電所設置反対全国連絡会議』が開催され た。1973年には関西電力美浜原発の第1号炉の核燃料棒を折損する事故が起きたが、事故 の存在そのものが隠された77。また1974年8月に開始した原子力船むつが、そのわずか一 月後に放射線漏れ事故を起こした。1981年、敦賀原発1号機の一般排水溝から放射性物質 が漏洩する事故とそれに伴う事故隠しも起き、原子力の安全性に対する国民の不安感を増 大させていった。特に1979年3月、アメリカのスリーマイル島原発で起きた放射能漏洩事 故や、1986年4月ソビエト連邦で起きたチェルノブイリ原発事故の発生によって、国内世 論を巻き込み、原子力行政全般に対する国民の不信、不満、批判は一気に高まった。

原発立地が問題なのは、「すべての許認可権が中央政府に集中していることであり、都道

74 「原子力委員会設置法」の第2条(所掌事務)には、「委員会は、次の各号に掲げる事 項について企画し、審議し、及び決定する。1.原子力利用に関する政策に関すること。

2.関係行政機関の原子力利用に関する事務の総合調整に関すること。3.関係行政機関の

原子力利用に関する経費の見積及び配分計画に関すること。4.核燃料物質及び原子炉に 関する規制に関すること。5.原子力利用に伴う障害防止の基本に関すること。6.原子力 利用に関する試験研究の助成に関すること。7.原子力利用に関する研究者及び技術者の 養成訓練(大学における教授研究に係るものを除く。)に関すること。8.原子力利用に関 する資料の収集、統計の作成及び調査に関すること。9.その他原子力利用に関する重要 事項に関すること」とある。また第 3章(決定の尊重)には、「内閣総理大臣は、前条 の決定について委員会から報告を受けたときは、これを尊重しなければならない」とあ る。さらに第4条(勧告)には、「委員会は、原子力利用に関する重要事項について必 要があると認めるときは、内閣総理大臣を通じて関係行政機関の長に勧告することがで きる」とある。

75 原子力委員会が「原子力基本法」に「原子力の研究・開発及び利用に関する施策を計画 的に遂行」する旨が規定されていることから1956年9月に策定。当該会議時点での最 新の長計は1994年で、それまでに8回の見直しがされている。

76 1970年代の発電用原子炉は全部で20基を数え、80年代以降も、原発建設はおおむね

年1.5基を数えた(吉岡2011:143)。

77 この事故が明るみに出たのは、事故後約 4年近く経った1976年である。

府県や市町村が一切の決定権を奪われていること」(吉岡1995:160)にあった。だが、1995 年12月8日福井県敦賀市の動力炉・核燃料開発事業団(以下、「動燃」と記す)の高速増殖 原型炉もんじゅ(以下、「もんじゅ」と記す)のナトリウム漏れ・火災事故が起きると、状 況は大きく変わった。事故を隠蔽するような事実が次々と発覚し、市民の政府や電力会社 に対する不満や不安が高まり、安全確保などに関する多くの意見、要請、提言がなされた。

この閉塞感打破のため、1996年4月、政府は閉鎖的であった原子力政策に民主的な議論の 場を導入するべく、『原子力政策円卓会議』を設置した。

2-1-2 原子力政策における「議論の場」の設置

もんじゅの事故後、安全確保などに関する多くの意見、要請、提言がなされた。1996 年1月、日本の発電用原子炉のほぼ3分の2を立地している福島県の佐藤栄佐久、新潟県 の平山征夫、福井県の栗田幸雄の3知事は、原子力政策の再検討と国民各界各層の幅広い 議論・対話を通じた合意形成を目指す「今後の原子力政策の進め方についての提言」(以下、

「三県知事提言」と記す)を政府(当時:橋本龍太郎内閣総理大臣)に申し入れた。

1. 核燃料サイクルのあり方などに関して、改めて国民各界各層の幅広い議論・

対話を行い、その合意形成を図るため原子力委員会に国民や地域の意見を十 分に発揮させることのできる、権威ある体制を整備すること (下線は筆者)

2. 合意形成に当たっては、安全性の問題を含め、国民が様々な意見を交わすこ とのできる各種シンポジウム・フォーラム・公聴会等を各地で積極的に企画、

開催すること

3. 必要な場合には改定時期にこだわることなく原子力長期計画を見直すことと、

プルサーマル計画やバックエンド対策の将来的な全体像を具体的に明確にし 提示すること(佐藤栄2009:59)

三県知事提言が提示するこのような政策への「民主化」と「公開性」の要請を踏まえて、

橋本内閣は原子力行政改革の対応を示した。原子力委員会は、「我が国の原子力の研究、開 発及び利用に関する国民各界層の多様な意見を今後の原子力政策に反映させ、原子力の研 究、開発及び利用についての国民的合意形成に資する」78と発表、「国民的合意形成」を目 的として『原子力政策円卓会議』を設置した。

原子力行政の問題点を解消する目的として組織を立ち上げた例は、過去にもあった。

1974年9月に起きた、原子力船むつの放射線漏れ事故を受け、1975年2月、内閣総理大 臣の私的諮問機関として『原子力行政懇談会』が設置された。招へい者は専門家、評論家、

78 1996年3月15日付け原子力委員会の「原子力政策円卓会議の設置について」を参考。

http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/entaku/round-table/nc960315-1.html