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第 3 章 EU 主要国の対英関係と英国の EU 離脱交渉の行方

第 3 節 英国の EU 離脱戦略と離脱交渉

前節でみたように、EU 主要国の英国離脱交渉におけるスタンスは、主要国の対英経済 関係からみる限り、EU の単一市場をベースとした英国との関係構築が利益にかなうよう に見える。しかし、EU 離脱交渉は英国が交渉においてどのようなスタンスをとるのかに かかっている。

<首相は「ハード・ブレグジット」を表明>

英政府はこれまでEUとの交渉に入る前に離脱戦略の詳細を明らかにすることはEU側 に手の内をさらすことになるとして離脱戦略を公表することに乗り気ではなかった。しか し、与野党から説明を求める声が高まったことを受けて、メイ首相は2017年1月17日の 演説で単一市場からの撤退、移民制限や司法権の回復、EU との防衛協力の継続など、離 脱交渉の基本方針を明らかにした。

さらに、英最高裁が2017年1月24日、EU離脱通知には議会の承認が必要との判断を 言い渡したことを受けて、メイ首相は議会の協力が不可欠と判断し、2月2日にEUから の離脱に向けた戦略を説明した「英国のEU離脱とEUとの新たなパートナーシップ」と 題する公文書を発表した。

同文書は、メイ首相が1月の演説ですでに明らかにしていた離脱交渉に向けて優先する 12の原則を繰り返す形でそれぞれの項目について改めて説明を補強したものである。

同文書では、英国がEU単一市場から撤退して英国の主権回復や移民制限を優先する「ハ ード・ブレグジット」を選択したうえで、EU とは自由貿易を含む包括的連携協定を新た に締結する方針を改めて表明した。

またEUとの新たな協定においては、他国とEUの貿易および関税協定をモデルにしな いと明言していることから、連携協定の中に単一市場の要素を取り入れているノルウェー モデルやスイスモデルはもちろん関税同盟をベースとするトルコモデルも排除されること になるとみられる。すなわち、EUとの貿易については、EUの単一市場や関税同盟への参 加継続は求めず、新たに広範な自由貿易協定と関税協定を結ぶ方針であるとしている。た だ、EU との交渉次第で、一部の分野では新協定に現行の単一市場制度の要素が盛り込ま れることもあり得るとしている。

ちなみに、同文書の中では英国と EU の貿易関係については次のように説明している。

すなわちEU(27カ国)は英国の最大の輸出市場であり、英国はEUにとって最大の商品 輸出市場であるとして、両者は緊密な貿易関係によって利益を得ているとしている。

しかし、現在 EU の英国への輸出は英国のEU への輸出を上回っており、2015 年には 英国の対EU貿易収支は610億ポンドの赤字(内訳は商品貿易が890億ポンドの赤字、サ ービス貿易が280億ポンドの黒字)であった(2015年平均、1ユーロ=0.72584ポンド)。

これをEU加盟国別にみると、対独貿易赤字が約250億ポンドと突出しており、スペイン、

ベルギー、オランダ、フランスなどとの貿易赤字が 50 億~100 億ポンドとこれに続いて いる。一方、英国のEUへのサービス輸出をサービスの種類別にみると、「金融サービス」

と「その他のビジネスサービス」がそれぞれ200億ポンドを上回る規模を記録しており最 大の輸出項目となっている(2015年)。

欧州の金融センターとして機能してきた英国の金融サービス業は、英国がEUから離脱 した場合、EU のパスポート制度の英国金融機関への適用の行方が今後の英国の金融サー ビス業の競争力を左右するとして懸念されているが、同文書では新協定で「最大限に自由 な取引を目指す」と述べるにとどまっている。また、原子力産業については、EU 離脱に 伴い英国は欧州原子力共同体(EURATOM)から脱退するものの、「英国のEURATOMか らの脱退がEU内外との原子力協定に影響を及ぼさないようにすることを最優先する」と している。

EUからの移民制限については、英国に入国するEU加盟国からの移民の数をコントロ ールするとしたうえで、「経済や労働市場のさまざまな分野への影響を理解することが重 要」と述べ、企業や地域社会の意見を聞いたうえでさまざまな選択肢を慎重に検討すると している。

そのほか、同文書では、①英国内でのEU裁判所の司法権を自国に取り戻す、②英国全 体(スコットランド、ウェールズ、北アイルランドおよびイングランド)の結束強化に役 立つような交渉をEUとの間で行う、③アイルランドとの歴史的な関係の維持、④英国に おけるEU市民とEUにおける英国市民の既得の権利の確保、⑤労働者の権利の保護、⑥ 科学と技術革新の分野での英国の最高水準の地位の確保、⑦犯罪やテロとの戦いにおける EUとの協力、などEUとの交渉に当たっての基本原則を掲げている。

そのうえで、EUとの新たなパートナーシップについては、EU条約第50条の発動から 離脱手続きが終了する2年後までに合意をまとめる方針としており、貿易や関税、移民制 度など各種の新制度はその後段階的に導入するとしている。ただし、EU に対して無制限 な暫定的地位を求めることはないとしている。

<3月上旬の離脱通知を目指し議会で離脱法案を審議>

2017年1月24日に英国最高裁がEU離脱通知には議会の承認が必要との判断を示した ことを受けて、英議会はまず下院で「メイ首相にEU離脱通知の権限を与える法案」の審 議に入り、2月8日、法案を賛成多数で可決した。下院での採決は賛成494、反対122の 圧倒的多数で原案のまま可決した。議会のより深い関与などを求める修正案などもすべて 否決され、政府側の大勝となった。

そして英議会上院でも2月 20日から法案の審議が始まった。下院でも法案がすんなり 採択されれば、メイ首相が目指す3月中のEUへの離脱通告は可能になるものとみられる。

しかし、上院は労働党など野党が全体の3割強、無所属勢力が2割を占め、与党保守党は 過半数を持たない。修正を求める上院での声は高まっており、下院よりも法案は円滑に可 決されにくいと見られている。修正案が可決されれば下院での再審議が必要になるため EUへの離脱通告は4月以降にずれ込む可能性も指摘されている。

以上のように英国のEUからの離脱交渉の基本方針は、EUの単一市場からの完全撤退 を含むいわゆる「ハード・ブレグジット」であることが明らかとなった。EU 単一市場か らの完全撤退ということになると、離脱戦略文書でも記述されているように、過去の EU との連携モデルの中で、単一市場への参加が前提となっているノルウェーモデルやEUの 単一市場へのアクセスするために締結した協定をベースとするスイスモデルが選択肢から 除外されることは当然のことである。今後、英国とEUとの関係は、戦略文書にあるよう に「自由貿易を含む包括的連携協定を新たに締結する」という方針に基づきに交渉が進め られることになると思われ、その場合、細部はともかく協定の基本的な枠組みとしては、

第1節で述べたEUとの連携モデルの中では「カナダモデル」に一番近いものに落ち着く 可能性が大きいと考えられる。

<離脱交渉で予想される困難>

いずれにしても、英国がEUに対して離脱通告をしたのち、EUとの間で離脱交渉が正 式に始まることになる。離脱交渉においては(特に英国にとって)くつかの深刻な問題が 立ちはだかることが予想される。

最大の問題は交渉に掛けることができる時間が少ないことである。EU 基本条約(リス ボン条約)50条は「EUの諸条約は、離脱協定の効力が発生する日から、あるいは離脱を 巡り合意に達することができなかった場合はその日から、当該国に適用されなくなる」と 定めている。

同条約 50 条では「欧州理事会が当該加盟国と合意のうえで、この期間を延長すること を全会一致で決めた場合は、その限りではない」とただし書きを付けている。しかし、交 渉期間の延長をそれほどあてにできないとすれば交渉期間は2年しかないと考えたほうが 現実的である。さらに、英国にとっては、離脱によって事態がどう変わるのかを離脱の時 点よりかなり前広に明らかにする必要があることを考えると実質的な交渉期間はさらに短

くなる。

英政府もこうした事態を想定して離脱戦略文書の中で「EU条約第50条の発動から離脱 手続きが終了する2年後までに合意をまとめる方針」であることを打ち出すとともに、「貿 易や関税、移民制度など各種の新制度はその後段階的に導入する」としている。しかし、

貿易や関税、移民制度などの各種新制度が固まらない段階でEUとの間で基本的な合意に 達することが可能なのかどうか不透明な感じがする。また、離脱戦略文書では「EU に対 して無制限な暫定的地位を求めることはない」としているが、交渉が最終的に決着するま でにはかなりの期間を必要とすると考えるのが自然であろう。

この点に関して、英国が考えているEUとの連携協定に枠組み的に一番近いと思われる EU カナダの包括的経済貿易協定(CETA)が交渉開始から EU 議会での承認を得るまで にどれくらいの期間を要したのかについて見てみよう。CETAが最初の交渉に入ったのは 2009年 6月である。そして EU 加盟各国の議会や欧州議会の承認をとりつけることがで きたのはようやく2017年2月になってからであった。交渉開始から承認までに7年以上 の年月がかかったことになる。CETAの場合はベルギーのワロン地域の議会が協定発効に よるカナダからの農産物の輸入急増を懸念して協定に反対したことから、土壇場になって 協定の成立が一時危ぶまれる事態に陥ったことは記憶に新しいところである。

英国と EU の包括的自由貿易協定も手続き的には CETA と同じ手順を踏むことになる とみられることから、いずれにしても前途多難であるといえよう。

(主要参考文献)

European Commission, The Economic Outlook after the UK Referendum-A First Assessment for Euro Area and the EU, July 2016

・The Polish Institute of International Affairs, Probable EU-UK Relationship after Brexit, May 2016

・DIW Economic Bulletin 26+27.2016, Brexit decision is likely to reduce growth in the short term

・DIW Economic Bulletin 32+33.2016, Uncertainty shock from the Brexit vote decreases investment and GDP in Euro Area and Germany

・DIW Economic Bulletin 31.2016, Brexit decision puts strain on German economy

DIW Wochenbericht Nr.31.2016, Was steht für den britischen Finanzsektor auf dem Spiel Chart 8.2 – UK imports from EU countries

・HM Government, The United Kingdom’s exit from and new partnership with the European Union

・House of Commons, BRIEFING PAPER, Number 7694, 30 January 2017, Brexit: trade aspects