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第 2 章 イギリスは EU 離脱(Brexit)後も競争力を保てるか

第 3 節 イギリスの EU 離脱戦略

ここでは,イギリス政府の白書The United Kingdom’s exit from and new partnership with the European Union White Paper(以下,白書)を見ていこう。白書では,12の項 目が挙げられている。

1.確実性と明確さ

EUからの離脱日までは,イギリスはEU法に従っていなければならず,イギリス独自 の法は離脱日以降に適用されなければならない。その準備として,2016年10月10日に は,EU法撤回法案(Great Repeal Bill)が議会に提示されている。EU離脱交渉はイギリ スの議会や EU 離脱交渉の首相合同会議(The Joint Ministerial Committee on EU Negotiations:JMC(EN))などのチェックを受けながら進めることになる。

イギリスがEUから受けている補助金については,少なくとも現在進行中のプロジェク トは今後も資金を得られるように交渉する。

2.イギリスの法のコントロール

EU加盟国は,EUの二次法(規則,決定,指令,勧告,意見)に従わなければならない。

イギリス議会は2016年に二次法も含めたEU関連の文書を1056件審議したが,EU離脱 によりこれらの業務は不要になる。EU 離脱によりイギリスは欧州司法裁判所の判断から は自由になるが,EU だけでなく世界の幅広い国々との協定を結ぶ必要がある。その際に は,イギリスは自身の利益に基づいて交渉することが重要である。

3.連合王国の強化

EU 離脱交渉はロンドンを含むイングランド地域だけでなく,ウェールズ,スコットラ ンド,北アイルランドのそれぞれの地域の利益も考慮されるべきであり,イギリスは4つ の地域からなる1つの国として結束しなければならない。イギリスの4地域の経済はすで に強い結びつきにあり,例えばスコットランドの輸出額は対EU27カ国よりも対イギリス 3地域の方が4倍も大きい。そのため,EU離脱後も4地域の共通の基準や枠組みが必要 になり,各地方への権限の委譲も考える必要がある。4 地域だけでなく,マン島,チャネ ル諸島,ジブラルタルなどの海外領土との連携も強化していく必要がある。

EUとの離脱交渉においては,EU離脱交渉の首相合同会議(JMC(EN))が設置されて おり,2016年11月より原則月次で会合が開かれている。2016年12月にはスコットラン ドが「ヨーロッパにおけるスコットランドの地位」を公表し,2017年1月のJMC(EN)で プレゼンを行っている。その中でスコットランドはイギリスがEEA(欧州経済領域)など を通じてEUの関税同盟に残ることを模索する。それができなければスコットランドだけ でもEU単一市場にとどまる方針などが示されている。ウェールズは「ウェールズの将来 の保証」という報告書を公開し,今後JMC(EN)で議論される予定である。主な内容は,単 一市場への参加が重要であること,移民の適切な管理,ウェールズ地域への投資の継続な ど6項目からなる。北アイルランドは報告書を出していないが,JMC(EN)ではEU離脱が 北アイルランドにどのような影響を及ぼすのかが議論されている。

4.アイルランドとの協力強化と共通旅行地域(CTA)の維持

1万4,000人の人々が日常的に北アイルランドとアイルランドの国境を越えている。EU 離脱後もアイルランドとは移動の自由も含めた協力を続け,国境管理が復活しないように する。共通旅行地域はイギリス,アイルランド,マン島,チャネル諸島からなり,人々が 自由に移動できる。EU条約によりEU離脱後もCTAを維持することが可能であると考え られている。

5.移民の管理

EU 離脱により,EU 市民がイギリスに自由に移住できなくなるようにする。移民の流 入はコントロールするが高スキル労働者や高技能の留学生の流入は歓迎する。2016-17年 と2017-18年に就学開始するEU域内からの留学生はこれまで通りの資格を認めること

を決定している。また,2017-18 年に就学開始する EU 域内からの大学院の留学生につ いてもこれまで通りの資格を認める。白書では具体的な数値に触れていないが,これまで の報道などから年間の純流入者数を10万人に抑えることを目指していると考えられる。

6.イギリスに居住する EU 市民と EU に居住するイギリス市民の権利

イギリスに流入する移民は圧倒的にポーランドから来ており,イギリス人はスペイン,

フランス,ドイツなどで居住している。すでにイギリスに来ている移民とEUで居住して いるイギリス人の権利,例えば医療サービスへのアクセスなどの原理の保護の優先順位は 高い。

図表 11 イギリスに関する国別移民

イギリスへの流入元(2015年) イギリス人の流出先(2011年)

(出所)HM Government (2017), pp. 29-30のグラフの一部を切り取りした.

7.労働者の権利の保護

EU離脱によって労働者の権利が低くなるわけではない。現行の EUのもとでもイギリ スはいくつかの分野ではEU基準を上回る労働者の保護を実施している。例えば,法定年 次休暇はEUの4週間に比べてイギリスは5.6週間であったり,52週間の出産休暇のうち 39週間は有給であったりする(EUでは14週間)。また,2016年4月には最低生活保障 賃金を設定しており,予算措置も行っている。

8.EU との自由貿易の保証

イギリス企業がEU市場で自由に活動できるように交渉を進める。既存のモデル(EEA など)ではなく,イギリス独自の協定をEUとの間に結ぶことも考える。第2節(1)です でに示したように,イギリスとEUとの経済関係は非常に密接である。

EU とは貿易の自由化だけでなく,標準化などでも協議していく必要があるが,例えば ESO(The European Standards Organisations)はEUの機関ではないが,ESOの標準 化の25%は欧州委員会からの要請により実施されているため,EUとの標準化の交渉は重 要な項目となる。また,国連の経済委員会ではヨーロッパの自動車の安全基準を策定して おり,このような国際舞台での標準化の議論にも参加していく。さらに,通関手続では電 子化も含めて交渉を進め,できるだけ円滑に物流が行えるようにする。

農産物については,イギリスは対EUで輸入超過となっている。EU離脱により,イギ リスは農業,土地管理,地域接続などで独自の政策を実施できるようになる。漁業につい ては,漁業の振興や海洋環境の保全などでEUと密接な関係を続けていく。

金融サービスについては,ロンドンだけでなく,金融関連従事者の3分の2を占める他 の3地域も考慮に入れる必要がある。金融パスポートについては,EUで活動するイギリ ス企業5,000社とイギリスで活動するEU企業8,000社に影響が及ぶことになる。金融サ ービスの自由な取引をできるだけ確保する。EU 離脱後も金融監督などの面では協力体制 を維持していく必要がある。

エネルギーに関しては,アイルランド,フランス,ベルギー,オランダなどとの間で天 然ガスや電力についての協定がある。EU ともエネルギーについての協議を進めていくと ともに,イギリスは再生可能エネルギーの普及を促進する。EU 離脱によってユーラトム

(原子力に関する条約)からも離脱することになる。しかし,原子力の研究開発などの分 野でEUとの密接な関係を続けていくことは重要である。

輸送部門に関しては,航空,道路,鉄道,海上交通はEU法によって多くが規定されて いる。離脱後は個別に協議していくことになる。

通信や放送でもイギリスはEUの中で大きなプレゼンスを占めているため,離脱後も自 由にイギリス企業が活動できるように交渉を進める。

9.EU 域外との自由貿易交渉の保証

EU域外への輸出比率は 56%に達しており,対 EUへの輸出よりも大きい。そのため,

EU域外との自由貿易の確保は重要となる。具体的には,二国間FTA,多国間交渉,WTO がある。貿易交渉のために国際貿易省を設置,イギリスの財・サービスの輸出,FDIを通 じた富の最大化,イギリスにとって最も望ましい国際貿易の枠組みの構築に携わる。

10.科学技術とイノベーションの促進

イギリスは科学技術とイノベーションの分野では現在世界のトップクラスにあり,大学 ランキングではトップ10に3大学,トップ100に12大学,スコットランドだけでもトッ プ 200 に 5 大学がランクインしている。R&D を促進させるために,イギリス政府は 2020/2021年度までに20億ポンドの追加拠出を行う。産業戦略挑戦基金(ISCF)はロボ テック,バイオテクノロジーなどの重点分野に研究費を供給する。また,2016年1月23 日にはレポート「産業戦略の構築」を公表した。

EUとの関係では,Horizon2020での既存のプロジェクトへの資金の拠出を確約させる。

また,イギリスはESA(欧州宇宙局)に対して今後4年間で14億ユーロを拠出すること にコミットしている。航空宇宙産業はガリレオやコペルニクスへの参加を通じてイギリス の研究開発に寄与しており,同産業の発展につながっている。

11.犯罪・テロ対策

イギリスはユーロポールの13の優先プロジェクトの全てに参加している。また,EUと の間で犯罪者の引き渡しも積極的に行っている。イギリスはEUの犯罪記録情報システム

(ECRIS)の利用では加盟国中第4位である。2015年から2016年にかけて,イギリスは EUから15万5000件の情報を得ているだけでなく,EUに対しても4万6000件の情報 を提供している。この面での協力は,サイバーセキュリティーの分野にも及んでいる。離 脱後もこれらのシステムへのアクセスを確保できるように交渉する。

12.スムーズで整然とした EU 離脱

2017年 3月には正式に EU 離脱を通告する。分野によっては交渉が早く終わることも あるだろうし,交渉が長引く分野もあるだろう。

白書はイギリス政府から公表されており,イギリスにとって都合のいい内容になってい ることには留意する必要があるものの,交渉によってEUとの密接な関係を維持したいと いう意図が見える。そのためには分野によってはEUへの拠出も継続することを明らかに