1 調査区概要
この調査区は、橋脚 P-183 の基礎が設置される部分に当たる。二次調査の際に調査した No.7 トレンチと No.6 トレンチをこの調査区内に含む。
掘削予定範囲の内、調査区として設定する部分は、西側は新幹線高架橋を走るJR鹿児島本線への安全面 を考慮して鉄道線路から5mほど離した。また、橋脚工事に伴う矢板打込を行う際に遮蔽物撤去のため地 下を浚うので遺跡への影響が及ぶと考え、工事担当部局と協議し調査範囲を北側で2m、南側で2m、東側 で2m外側へ広げて表土剥ぎを行った。その結果、調査区は長軸方向で約 19 m、短軸方向で約 10 m弱で、
面積が約 180㎡となった。
調査地点は、世界測地系では、X=-22190、Y=-28636 を中心とした位置にあたる。調査区をグリッドで 示せば、北端は、F・G・H・I-28 グリッドから南端はF・G・H-24 グリッドの範囲となる。
この調査区では、明治 24 年に熊本まで線路を敷設した九州鉄道によって築造されたと考えられる石垣列 と、その間の鉄道敷きが調査区の半分を占めている。石垣は主に二列になっており、その間に参道跡が確認 された。さらに、この石垣列の西側に、石垣から一段低い位置に側溝と考えられる別の石垣列が確認できた。
この状況は、A-3 調査区の南側にある A-4 調査区、A-5 調査区でも確認できる。
その石垣を境として、東側には堀の名残である落ち込みがあり、二次調査の際に No.6 トレンチで土層を 確認をしたところ、東側に落ち込んでいく状況が確認できた。また、中心の二列の石垣の間には、鉄道の基 盤整地層の下に妙解寺まで続く参道の跡を確認した。さらにその参道には、近世から明治にかけての遺物を 含む土坑が数多く検出できた。
A-3 調査区の一つの特徴であるが、基本層序として砂層が調査区の大部分に渡って検出されたことが挙げ られる。この層の存在は、参道にも多くの影響を与えたと推定できる。その一方で、調査区西側には砂質な がら粘性を帯びた土層が存在し、そこからは弥生時代や古墳時代の遺物が混在した状態で出土した。これら の層の特徴は、この地が旧河川の影響で成立した広域の扇状地でそれが形成される中で成立していった地形 であることを示している。
この地質上の特徴のため、土坑として検出した遺構の多くで何層にも薄く重なった層序が観察できた。こ れは、窪んだ道路面を何回にもわたり補修を行ったためと考えられる。
2 遺構と遺物
(1)近世以降の遺構と遺物
近世以降の遺構の配置図は、Fig.72 に示す。先に述べたように鉄道に伴う石垣列とその間に挟まれた参 道跡、土坑群、石垣西側の土坑などがある。
[鉄道石垣](Fig.73)
この遺構は、本調査区の半分以上の場所を占め、南北方向に約 20 mの長さまで検出した遺構である。こ の石垣は北から東側に振れた方向(N-15°-E)で築かれている。
この遺構が築かれた当時は、江戸期の堀がまだ残っていたものと思われる。この調査区では、他の調査区 で見られない状況があったのでそれを記しておく。
石垣の積み方などは、大部分が他の調査区とさほど変わらないが、調査区北側に向かって、西側の石垣で やや変化が見られる。それは、他の場所では通常補修はほぼ同じ場所になされている。ところが、指摘した 北側部分では、まず裏込め石の入る範囲が他の場所の倍近くになっている。仔細に観察すると一度構築され
0 (1:100) 5m
E-14 E-15 F-14 F-15
中央トレンチ
No.7 トレンチ
36
S001
ベルト
S003
S019 3TR
Y-28630
Y-28635
X-22190 X-22185
Y-28640
X-22180
28 F G
27
26
25
24 X-22185
X-22190
X-22195
X-22200
4TR
1TR
H
1718
E-15 E-16 F-15 F-16
E-13 E-12F-13
F-12
T ー
S005 S017
ベルト
ベルト 2TR
S015
トレンチ
S011
S008
S012 S009
S016 S018
S004
S014
S006
X-22195 S019
No.6トレンチ
Y-28635
調
査
区
外
S014
Fig.72 調査区内遺構配置図 S=1/100
0 (1:100) 5m
E-15 F-14E-14F-15
X-22185 X-22180
Y-28635
Y-28630
X-22190
X-22195
A-3-SPA-3-CPA-3-NP
F ig73 石垣平面実測図 S=1/100
た後に再度石垣自体の位置をずらしたように見えることである。また、石垣そのものもなくなっているとこ ろもあるがそこには木材がはめ込まれている。裏込め中に石垣の石材らしきものも入る。さらにその南側に は明らかに最近のコンクリートによる補強工事が行われた痕跡がある。微妙に方向の修正を行ったようでも ある。これは、この付近から高麗門踏切付近にかけて線路が大きくカーブを描いていたためで、徐々にカー ブをつけるために修正した可能性がある。さらには、この調査区の基本層序として砂層があることを述べた が、その影響で機関車等の重量化や自然災害による地盤の緩みで4石垣の崩壊があったため、その補強があっ たことを示すものであろうか。今回の報告では、古い鉄道関係の資料まで当たっていないため推定のみでこ こはとどめておく。
[A-3-S001]
この遺構は、調査区南側の G-24 グリッドで検出した土坑である。鉄道石垣と1トレンチにより掘削され、
さらに一部 S008 によって切られているため、全体像は不明であるが、残存している状況でみれば、円形状 を呈していた可能性がある。現状では南北長が 0.53 m、東西長が 0.93 mを測る。深さは確認面から 58㎝
ほどを測る。(Fig.76)
埋土は、遺構上部は薄く堆積した層が何層にも重なっている。下部は、厚い層が堆積している。そのため、
上層部は、参道の窪みを補修した痕跡といえる。補修しては窪み、そこをまた補修する。という状況が、こ の土層断面で確認できたといえる。
出土遺物は、全体的に新しい時代のものが多く、幕末から明治にかけての陶磁器が多く出土している。そ の中でやや古めなのが、163 の目板瓦である。128 は陶器の小碗で、内面見込み部分に三足のハマが残る ものであった。228 は磁器染付の碗で、内面見込み部分に蛇の目釉剥ぎがみられた。17 世紀前半のものか と思われる。
[A-3-S003]
この遺構は、H-27 グリッドで検出した溝遺構である。S019 によって切られ、S006 を切る。また、4ト レンチにより掘削されている。北側は調査区外にのびるようだが、今回確認できた全長は 3.19 m、幅 1.00 m を測る。深さは、掘りきることができなかったので正確には確認できなかったが、4トレンチ土層断面にか かる位置では深さは 26㎝であった。この4トレンチの断面で見る限りは、S003 は薄い層の重なりはなく、
参道の補修は確認できなかった。
この遺構からは、人頭大の大きな石が多く出土した。出土状況としては、埋土の中に含まれている状態 で人為的に並べられたというような状況ではなかった。また、その石の間に陶磁器類が含まれていた。224 の陶器擂鉢や 497 の陶器甕などが出土している。134 は見込み部に蛇の目釉剥ぎのある陶器の碗で、17 世 紀前半かと思われる。147 は口縁部から胴部が僅かに残るぐらいだが、薄い透明の緑の釉に白化粧で円が 描かれている。高田焼の水差しではないかと思われる。497 は 18 世紀代のものかと思われる。この遺構か らは、瓦が1点出土している。軒平瓦で、三葉文が描かれていた。
[A-3-S004]
この遺構は、H-25 グリッドで検出した土坑である。この遺構は、S015 と S018 によって切られている。
この遺構と両遺構との前後関係は不明である。また、2トレンチによっても掘削されている。残存している のは、遺構全体のわずかな部分であり、遺構の全体の形状は不明である。残された範囲で計測すると、東西 方向で 70㎝、南北方向で 77㎝ほどが残り、掘削された深さは 29.4㎝ほどである。
埋土の堆積状況は、きれいなレンズ状堆積が見られた。この遺構の土層断面は、2トレンチの断面で確 認しているが、2トレンチの南北両断面でやや異なった土層になっている。2トレンチの南側断面では、
S004 の東側の立ち上がり部分は確認できなかった。
この遺構が極わずかの残存状況であるため出土遺物は少なく特定の時期は分からなかった。ただ、江戸期 のものが出土している。
[A-3-S005]
この遺構は、G・H-24 グリッドに位置する土坑で、S009 及び S007 を切っている。規模は、南北 0.68 m、
東西 0.68 m、深さ 39.15㎝を測る。
出土遺物は少ないが、主に陶磁器類が僅かに出土している。土層断面の記録が不十分のため堆積状況はわ からず、遺物も少なく時期が判断できず、用途不明の土坑である。
[A-3-S006]
この遺構は、H-27 グリッドに位置する土坑である。S003 に切られ、4トレンチにより掘削されている。
検出時の残存部は、東西 1.49 m、南北 1.70 m、深さ 24.05㎝を測る。
この遺構についても、埋土は遺構上部では薄い層が重なっており、下部は厚い層で構成されている。その ため、S006 も参道の修復痕跡を残すものと思われる。
出土遺物は、陶磁器や瓦が出土している。瓦は 138 の巴紋の軒丸瓦が出土している。142 は磁器染付の 徳利で、17 世紀後半かと思われる。
[A-3-S007]
この遺構は、H-24 グリッドで検出した土坑である。S005 の下で検出した。この遺構は、検出はしたも のの掘削することができなかった。規模は確認面で、長径 0.77 m、短径 0.35 mを測る。
[A-3-S008]
この遺構は、G-24 グリッドで検出した土坑である。S001 に隣接し、一部 S001 を切っている。また、
S009 を切っている。この遺構も1トレンチにより掘削されているので、正確な形状はつかめない。ただ、
確認できた部分を見ると、土坑というよりも溝状遺構のような印象も受ける。規模は確認面で、長径 1.26 m、
短径 0.89 m、深さ 32.7㎝を測る。
土層の堆積状況を見ると、やはり上部は薄い層が何層も重なっており、下部はやや厚い層が重なっている。
この遺構も参道の補修痕が顕著に見られた。
出土遺物は、やはり少ないのだが、底部に糸切り痕がみられる土師器が出土している。158 は陶器の擂 鉢で、口縁部から胴部の一部が残りすり目も残っていた。17 世紀中頃のものかと思われる。149 は磁器染 付の手塩皿で 18 世紀後半のものかと思われる。
〔A-3-S009〕
この遺構は、G-24 グリッドで検出した土坑である。S008 及び S005 に切られている。確認できた大きさ は、南北 1.4 m、東西 0.52 mで深さは 46㎝である。堆積状況は確認できていないが深さや大きさはほかの 土坑とさほど変わらず、確認位置も参道の中なので上部には参道の補修痕があったのかもしれない。
出土遺物は、陶磁器が中心で 162 のような大きな唐津系の鉢の破片で、内外面に白化粧によるハケ目や 茶の釉でダイナミックな絵の描かれたものもある。また、157 は磁器染付の碗片で 17 世紀のものかと思わ れる。
[A-3-S011]
この遺構は、H-24 グリッドで検出した土坑である。確認面での大きさは、南北 1.4 m、東西 0.4 m、深 さ 0.1 mであった。他の土坑に比べるとやや浅めの土坑である。しかし遺構のほとんどは調査区外へと伸び るようで、遺構の全容は全くつかめなかった。
出土遺物は、新しい時期のものがほとんどで、近代の遺構であろうと考えられる。