1 調査区概要
この調査区は、平成 23 年度に二次調査で実施した高麗門調査区のすぐ北側にあたる。鉄道高架化事業に おける橋脚 P479 の基礎部分および暗渠排水路工事に伴う掘削範囲を合わせたものである。しかし、掘削さ れる部分の全てをカバーしたものではない。この調査区の西側にあるJR鹿児島本線の仮設線路からの安全 距離の確保が必要であったこと、同時期に平行して着手している新馬借B調査区のために進入道路を設ける 必要があったこと、既設の暗渠排水路の撤去が不可能であったことなどにより、新幹線の橋脚下から5mほ どの間を空けて調査区を設定した。また、調査区東側及び南側は、北から伸びてくる暗渠排水路工事範囲を この調査区の中に組み入れた。その結果、調査区は南北約 20 m、東西約 19 m、面積約 380㎡となった。
調査区名は昨年度の調査区の新馬借A地区を踏襲し、新馬借 A-1 調査区とした。
この調査区では、隣接する高麗門調査区の状況から、薄く残る鉄道の砂利層と若干の撹乱を表土剥ぎで除 去するにとどめた。撹乱として西側にあるコンクリートの側溝とその下の堀の落ち際までは下げることにし た。ところが、調査区の大部分の表土は除去したが、西側の撹乱とした層付近で近現代の遺物に混じって瓦 類が出土し、鯱瓦片が出るに至り、この部分については表土の除去を最小限に留めた。
調査は、全体の清掃を行い、遺構の確認から行った。その結果、鉄道が敷設されていた J・K-45 グリッ ドから J・K-49 グリッドまでの間で、鉄道の枕木痕や小ピット、線路下を横切る溝などを確認した。それ らのグリッドは、ほとんど硬い鉄道敷設に伴う整地層であることが分かった。I-45 グリッドから I-49 グ リッドでは、鉄道に関係する遺構と、複線化前までに西側にあった宅地などに伴う排水溝と考えられる遺 構、ごみ捨て穴などを検出した。さらに複線化後に設置されたと考えられる道路の側溝の下付近に堀を埋め たと考えられる落ち込みを確認した。これらの遺構は近代以降の遺構で、百年ほどの期間での変化を示すも のであった。そこでこの調査区では、人工的な遺構については近代以降の遺構についても遺構番号を付けて いくこととした。
調査を進める中で、高麗門や堀の遺構を押さえるために、調査区の東西方向の土層の状況を確認するため、
大きく北側(No.1)、中央(No.2)、南側(No.3)の3箇所にトレンチを設定した。
調査ではまず、最初に確認した鉄道遺構やごく最近の遺構を掘削し、下位の遺構の存在の有無や、一段階 古い遺構の存在を確認していった。また、東西トレンチを掘り下げ、各遺構の切り合い関係、鉄道敷設以前 の状況を確認していった。トレンチの調査結果として、鉄道敷きの部分より下位に中世末遺物や灰などを含 む層があることが分かり、岩盤と考えた灰色の硬質砂層付近で溝状の落ち込みが存在することが分かった。
さらに西側では、上位の近代以降の遺構を掘削しながら、トレンチを確認していく中で、堀の落ち込みと考 えられる急激に西側に傾斜する層と、その傾斜に沿って西側に落ち込む多量の遺物を含む層を確認した。遺 物の中には多量の瓦が出土し、そのほとんどは、江戸期の大型の建物に葺かれていたと思われる丸瓦・平瓦 であった。その瓦等を含む層の状況は、すでに上面は近代の遺構などで撹乱されているが、当時は現況より もさらに上へ伸びていた可能性が高い。また瓦の出土する土層を詳細に観察すると大きく2つの層に分かれ ている状況が分かった。そこで、ここでは大きく2層と3層とに分けた。2層は明褐色粘性土で遺物が多く 入り込み、瓦の大部分はこの層に入る。瓦のほかに近世陶磁器、土師質土器なども含まれている。中には漆 喰の一部も入っていた。ただ、建築部材や釘、飾金具などは、ほとんど見つからなかった。3層は暗灰褐色 の層で、瓦等の遺物は上層ではそれほど出土していないが、深くなるにつれて出土は増えるようであった。
しかしながら、下位になるほど調査区の境近くになり掘削が十分できず最終的な状況は分からなかった。後 日の水路工事の立会いに際し、下位の状況を見ていたが、下位では旧暗渠排水によって層は失われており実
際に遺物がどのようになっていたか不明である。この層の違いを出土遺物からの違いとして見分けることは できなかった。ただ、3層が暗灰褐色を呈することから堀がまだある程度機能していた時期とすれば、この 層が一番この門の廃絶時期に近く、2層はそれより遅れてこの付近が再度整備されたと考えられる明治 10 年から鉄道敷設の明治 24 年頃までのものということができようか。
J・K-45 〜 49 グリッド部分では、トレンチ調査で遺物や灰などの出土があったため、J-48 グリッドから J-47 グリッドにかけて長さ6m、幅 2.5 mの南北に長い広めのトレンチと長さ 7.5 m、幅2mの東西トレ ンチ(No.2 トレンチ拡幅)を設置し、面的な調査を行った。しかし、土塁そのものの遺構の存在はつかめ なかった。ただ、鉄道の整地層を除去した後、10㎝ほど掘削すると、中世末の土師器の坏や青花・色絵磁 器の輸入陶磁器等、灰や炭化物が面的に出土しだした。ピット状の落ちはあったが柱などの遺構としては捉 え難かった。その後も拡張トレンチをさらに1mほど掘り下げ、基盤層とした硬質の暗灰色を確認した。そ の面を精査したところ、溝状の落ちをいくつか確認した。これが人工的なものか自然地形のものか明確では なかったが、わずかながら遺物が出土したことや獣骨を焼いたような痕跡があったことから遺構とした。
2 遺構と遺物
ここの調査区では、先に記したように遺構の存在時期が近世、近現代と非常に現在に近い短期間であるた め、通常撹乱ですませる近代以降の遺構も通常の遺構とした。そのため、ほとんど現代から近代・近世・中 世のものまでを遺構番号をつけて記録し、遺物を取り上げた。その一方で、明確に一つの遺構として扱えき れなかった堀、土塁なのか単なる地層の堆積なのかはっきりしなかった J・K-45 〜 49 グリッドの土層につ いては遺構番号はつけず、項目として記述する。
[A-1-S001]
この遺構は、溝遺構である。I-46 グリッドから I-48 グリッドまで伸び、さらに南北の調査区外まで伸びる。
国鉄が複線化になる前に住宅や公園などに利用されていた際に、鉄道や住宅などの側溝として利用されてい たものと考える。埋土は暗灰褐色の軟質土で泥炭である。I-47 グリッドの途中で西側の側溝の工事で一部 掘削されている。この遺構は S003 によって一部切られている。
確認した長さは 10.7 m、幅は 50㎝前後、深さ 31㎝ほどを測る。調査区外まで延びている。
[A-1-S002]
この遺構も溝遺構で、S001 同様に I-46 グリッドから I-48 グリッドまで伸び、さらに南北の調査区外ま で伸びる。S001 とほぼ平行し、同時期のものであろうか。確認した長さは 14.8 mを測るが、調査区外ま で延びている。幅は 1.1 m前後、深さ 22㎝を測る。底部の高さは、S001 とほぼ同じである。S001 との間は、
1.0 mから 1.2 mほどである。
S002 の途中でP1を確認したが、この遺構に伴うものか不明である。埋土を除去後に確認した。
[A-1-S003]
この遺構は、I-46 グリッドで検出した。出土確認した面では浅い土坑であった。確認面では残存長が 80㎝、
短径が 70㎝ほどで、深さが6㎝ほどを測る。S001 を切っている。
昭和期の第二次大戦後から複線化までの間に掘られたと考えられ、まとまって出土したガラス瓶6個体も ほぼ同時期である。ごみ穴と考える。
0 (1:100) 5m S
側 溝
No.3 トレンチ
①-1
S002 S
A
A' S003
側 溝
()
E
S002 瓦
I J K
土坑(ガラス瓶)
X-22090
45 46 47 48 49
X-22085 X-22080 X-22075
S005 S004
Y-28625 Y-28620
X-22080
X-22085
Y-28625 Y-28620
X-22075
S001
P1
S006
X-22090
Fig.30 近代遺構配置図 S=1/100
A B
No.1 トレンチ
I J K
X-22090 X-22085 X-22080 X-22075
Y-28625 Y-28620
48
47
46
45
X-22090 X-22085 X-22080
X-22075
Y-28620
Y-28625
Fig.31 近世遺構配置図 S=1/100
[A-1-S004]
この遺構は、J-45 グリッドから J-49 グリッドまでの中で検出した柵列で、鉄道関連の防護柵の跡と考え る。多くはほぼ一列になり、上端が長径 20㎝ほど、短径 10㎝ほどの隅丸方形状で、深さは 40㎝前後、ピッ トの中心間は1mほどである。確認したのは約 18 mほどである。埋め込まれたのは形状から方形の柱であ ろうか。中には円形もあり、規格が異なっている場合がある。
鉄道関連の柵列として設置時期を確実に押さえられなかったが、少なくとも高麗門調査区の状況と、今回 検出した場所から単線時代のものと考えられる。敷設時の明治 24 年から複線化する昭和 43 年(1968)ま での間のものとしておく。
遺物の出土したピットもあったが、時期的には上記の範囲内か、それより若干古いものであった。
[A-1-S005]
この遺構は、ピット列で近代以降のものである。J-46 グリッドから J-48 グリッドまで検出した。調査区 外にも伸び、柵列と考える。S004 に同じく鉄道に伴うものであろう。ピットの大きさの違いは時期差を示 すものか。長さ 12.2 m、ピット間 3.21 m、深さ 16㎝を測る。
列状にはなるものの、ピットの間隔はまちまちで一定ではなく、S004 に近接するものも多くあるので、
S004 の補完的な役割を担ったものではなかろうか。
[A-1-S006]
この遺構は、J-46 グリッドで検出したものである。鉄道直下の整地層を精査中に検出したものである。
近代以降の土管を埋設するための穴であろう。調査時には土管がまだ残っており、西側の端には水などが流 出した跡があった。しかも最近まで利用されていた痕跡があった。ただ、鉄道が走っていたはずの場所にな ぜ最近まで存在していたか不明である。
残存長が、4m程、幅 30㎝、深さ 16㎝を測る。西側に緩やかに傾斜していた。
出土遺物として、33 の仏飯器、34 の陶器碗、37 の陶器碗などがある。37 は明らかに明治期のものであった。
[A-1- 堀]
ここでは、遺構名をつけていなかった「堀」跡に係わる部分についてまとめる。
I-45 〜 49 グリッドは上部の近代以降の遺構の掘削と平行して、No.1 から No.3 までの東西トレンチを設 けていたことは概要で述べた。そのトレンチのうち、特に No.3 トレンチと No.2 トレンチでは、I-45 〜 49 グリッドにかかる部分は、近代以降の遺跡の掘削を補助するためと、瓦等の出土する層の状況を正確に見分 け、堀の落ち際を掴むためとの目的で早くから掘り下げた。
その結果、Fig.32 の No.2 トレンチ及び No.3 トレンチの土層断面において瓦類を中心に出土する土層の 落ち込みを掴むことができた。また、近代の遺構の状況もつかめた。
No.3 トレンチでは、多くの瓦やその他の遺物が多量に出土した。出土範囲は、ほぼ調査区西側の2m以 内に限られた。土層を見ると2層に多くの遺物が含まれ、さらに3層にも入っている。その下には岩盤とし た暗灰色の硬化した砂質層が地山としてある。この層は他のトレンチでも基盤層としてあることが分かって いる。
この層がトレンチでは、調査区の西端から約 1.2 mでなくなっており、そこから急激に落ち込んでいる。
その落ち込みの傾斜に沿って遺物が落ち込む状況にある。
この落ち込みは、No.2 トレンチでも確認している。ここでは、調査区の西端から約 90㎝ほどの位置で確