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フェートソ号事件と19世紀初頭の海運情勢 恐らく萬屋町は「風説」であったろう。

 10月4日夜は陰暦8月15日,満月であった。煽

 (夜)12時過ぎに小通詞並末永甚左衛門が船かちの手紙を持ってきた。

 ベンガルからの船が1隻来ました。この船長の名前はペリューと言います。(船長)

閣下は水とすべての食料品に事欠いており,船長はそれを提供されるよう要請していま

す。・

      (署名)ホーゼンマソおよびスヒソメル

ドゥフは奉行の同意を得て次の手紙を書いた。

       当湾内に投錨中の船の船長宛て  貴殿よ。

 現在私は貴下により船上に拘留されている2人のオランダ人から,貴下が水と若干の 食料品とを必要としている旨の報告を受けている。もし貴下がこの手紙を受取りしだい,

上記2人のオランダ人を送り返すなら,私は貴下に,この国におけるオランダ人の上長

(商館長)として私の名誉にかけて,貴下が,長崎奉行閣下から,水とその他の食料品 を恵与されることを保証するd

       1808年10月5日,早朝1時 半追って,貴下が必要とするものがあれば,どうぞそれを手紙にして両オランダ人に与 えて欲しい。

 この手紙を持参して小通詞並甚左 衛門は1人の勘定方とともに出発 し,検使たちとその小船は(西泊・

戸町の)両御番所に残ったままであ

   う

った。

  この当時の長崎警備は右の三つ        の

の防衛線とされていた。

 翌日以降をドゥフ秘密日記にみて

みよう。

10月5日(陰暦8月16日),

      こうざき

  夜明け,例の船が神崎に碇泊し   ているのを見たが,船舶旗を識   別出来ず,4〜5隻の艀が船外

第7図 長崎警備の3防衛線

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        .中♂塞綴晶 踊・

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におり,乗組員の動きがあった。

8時半,再び例の船を見た。そのとき同船にはイギリスの旗が翻っており,1艘の大型 ポートが舷側におり,別の1艘が岸の方へ漕ぎ進むのをみた。

      ラ

12時半,ドゥフの手紙の回答文書が届いた。

 尊敬する閣下へ

 食料品が船積みされたならわれわれは直ちに解放される筈です。船長はこれ以上必要 とするものがなく,そして閣下の友情に対し謝意を表するよう命ぜられています。私は 取急ぎ署名します。

      閣下の従僕(署名)G・スヒソメル1

 (下に)

 船長は,病人たちがいるので,牛または山羊いく頭かを要求しており,それがなけれ ば閣下(船長)は出発することができない。

  長崎投錨中のイギリス・フリゲート船の船長

       (署名)グリットウッド・ペリュー

 午後4時,簿記役ホーゼマンが上陸したが,必要とする食料品を取ってくるよう,そして それを自分で持参して,できるだけ速やかに船に戻るよう命令を受けていた。そして船長の     の

手紙2通をドゥフに手渡した。その1通が下記である。

 オランダの会社に所属している2人の者は,ディルク・ホーゼマソとヘリット・スヒ ンメルで,そのうち,ディルク・ホーゼマンは上陸するが,彼(船長)自身のスループ 船で岸壁へ向うことになる。船長はわれわれ(両オランダ人)を捕らえて捕虜にした。

そして船長はわれわれを昨日の5時以来拘留している。そして(1人は)今3時に船か ら降りる。船長は,次のように言った。すなわち,できる限り速かに食料品を送るよう に,と。そうすればスヒソメル氏が岸壁へ向かうようにし,そして(船)は沖に出るつ もりである。もし彼(船長)が食料品を今夕以前に得られない場合は,彼は明朝までに は,帆走して来て,日本の小船や中国ジャンク船をすべて焼き払うつもりでいる。

       (署名)グリットウッド・ペリュー       の

 この後の経過は,通航一覧・フェートン号航海日誌等によれば次の通りである。

8月16日(西暦10月5日)

 異人願いの品(水・薪・食料品)を与えたところ,やがてオランダ人1人(ホーゼマソ)

  をボートに乗せてやり,彼に託してまた薪・水を要求した。・イギリス側は正午に「食用  牛4頭・水4樽・薪少量・山羊数匹・野菜若干を受取った。(ホーゼマンは船に帰った)」

夜9時・イギリス側に捕虜となっていたオランダ聴力騨されてキ陸し牟9このrl、.

   上記のほかに鶏10羽・梨100とある。

8月17日.(西暦1.0月6日).. . ・.1

   早朝,前日イ.ギワス側要求の通り,水5艘・薪2艘・いも2篭(200斤)・梨30・タバ    コ若干を船に運んだ。

1.1時4.5分,フェートン号は抜錨し,北寄り.の北東からの強軟風に乗って丁丁を揚げ,.12時に   .帆走し始めた。復路は次図のように日脚であった。..

     第8図

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フェートン号航海図(復航)

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ドキュメント内 フェートン号事件と19世紀初頭の海運情勢 (ページ 30-33)

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