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本章では、朝鮮民衆の日常生活と精神世界に関する朝鮮総督府の旧慣調査の結果が一九三

〇年代に刊行されていたことに注目し、総督府が展開した非公認宗教の抑圧策と旧慣調査結果 の関係を考察する。旧慣調査の結果によると、非公認宗教に対して否定的な側面だけではなく、

肯定的な側面も指摘されていた。しかし、総督府は旧慣調査の結果を非公認宗教に対する抑圧 策の強化に利用していた。旧慣調査の結果から、総督府は非公認宗教の革命思想の教義をもっ ているがゆえに、海外からの危険思想流入の通路になる可能性を最も警戒するようになった。旧 慣調査による非公認宗教の「分析」が、一九三〇年代の総督府の宗教政策にあらわれたが、それ は非公認宗教の教義の変更を迫るという抑圧策としてあらわれた。

一九三一年の「満州事変」勃発とともに植民地朝鮮の重要性が高まるなか、朝鮮では農村の疲 弊が深刻になっていた。一九一二年から一九一八年までの「土地調査事業」、そして一九二〇年 からの「産米増殖計画」が実施され、その上、一九二〇年代末からの世界恐慌、植民地本国の昭 和恐慌の余波に自然災害も重なって、自作農は農村人口の約五パーセントに減少した。朝鮮の 農村では、自作農が没落し、小作農が増加していた。朝鮮人口の八割以上を占める農村では、

小作農の過剰による小作争議が増え、農民層の離村も急増した。そのため、一九三〇年代の朝 鮮では、農民が「北鮮」・「満州」・「内地」などへ移住した。さらに朝鮮内部での人口移動も激しか ったので、農村における伝統的な郷村共同体の解体が進んだ。この時期の朝鮮の民族運動勢力 は、民族主義・社会主義・共産主義などに分かれて国内外に分散していたが、総督府は、これら の思想が朝鮮国内の工業地域と農村へ拡大することを警戒した。また、農村疲弊の克服と、農民 の不安を解消して農民層の抵抗運動への合流を防ぐことを課題にしていた。宇垣一成朝鮮総督2 の主要政策は、工業化政策・農村振興運動・精神教化であったが、これらは、総督府が朝鮮農村 の問題解決と危険思想の農村への流入を防ぐために掲げられたものであった。

総督府は農村における民衆生活をいかに安定させるかという問題に直面したため、民衆の日 常生活と緊密に関係していた「旧慣」調査を行ない、その結果を政策に反映させようとした。その 旧慣調査とは支配の安定化のための制度作りであり、これは植民地の文明化・近代化の証として 宣伝され、支配の正当化に用いられる。総督府は旧慣調査に当たって調査対象の選別を行なっ た時、経済・治安などの問題を優先し、精神世界の調査は後回しにしていた。ところが、一九一九

年の三・一運動では、非公認宗教団体がその運動を主導し、民衆の多くが参加したため、総督府 は民衆の精神世界の調査が、支配の長期化とともに避けて通れない問題であることを認識した。

民衆の日常生活と精神世界とかかわる旧慣調査は、総督府の統治政策に反映させるために行わ れるようになった。旧慣調査の中では、非公認宗教に関する項目も重視された。そして、一九三

〇年代になると、農村問題の深刻化にともなって、旧慣調査事業の結果が次々と刊行されていた。

この結果が、植民地民衆の日常生活とかかわっていた非公認宗教に対する政策に反映され、総 督府の非公認宗教政策が展開されたのである。

一九三〇年代の植民地朝鮮に関する先行研究をみると、「植民地近代化論」3のように、それを 朝鮮の近代化・工業化と関連させた研究が多い。植民地近代化論では、植民地支配における植 民地的性格を排除して「近代性」だけを強調するので、精神面の支配の問題を見落としがちであ る。そのため、近年になって民衆生活との関連から一九三〇年代の植民地支配を論じられるよう になった4。このような研究状況を踏まえながら、以下では一九三〇年代の農村疲弊の状況下で、

民衆生活と深くかかわっていた非公認宗教に対する総督府の宗教政策を考察する。まず、朝鮮 の非公認宗教とその特徴を検討する。次に、総督府が旧慣調査事業の一環として行なった非公 認宗教に関する調査を確認し、旧慣調査結果に基づいて一九三〇年代に行なわれた総督府の 非公認宗教に対する抑圧強化過程を考察する。

第一節 朝鮮における非公認宗教の状況5

開国前後に朝鮮社会の不安が高まると、民衆は祖先崇拝、風水、巫覡などの民間信仰に心の 拠りどころを求めた。日常生活での病の治療、死者の弔い、御利益的な祈祷、厄払いなどを必要 としたのである。彼らの欲求は既存の宗教以外のところで満たされていた。このように、民衆の日 常生活と密接にかかわっていた民間信仰に民衆が傾斜していたのは自然なことであった。宗教 生活における民衆のこのような性向は、植民地期にも息づいており、非公認宗教の成長に繋がっ た。

朝鮮における既存宗教の機能低下と、外からの脅威に直面したことによる不安と混乱のなかで、

非公認宗教が民衆に受け入れられたのは、その教義に民衆を引き付ける魅力があったからであ る。朝鮮の多くの非公認宗教の教義には、一三九二年の朝鮮建国時の予言書『鄭鑑録』6に基づ く終末論が溶け込んでいた。『鄭鑑録』によって、李氏王朝が滅び、新たな王朝が鄭氏によっては

じめられるということや、その都の場所は京城の南に位置する忠清道の鶏龍山麓だということも予 言されていた。朝鮮時代に『鄭鑑録』は禁書となっており、書かれている予言に触れることはタブ ーであったため、新しい都の予定地への接近も禁じられた7。開国後の朝鮮社会の混乱と、民衆 の不安が高まると、『鄭鑑録』に記されているキリスト教の千年王国論のような終末論が民衆に流 行した。朝鮮の危機状況がイスラエルの状況と重なり、新しい王国の到来を待ち望む民衆に希望 を抱かせた。

すでに第一章で触れたが、「後天開闢」8も非公認宗教の教義の一つで、未来指向的な予言で あった。混沌と暗黒の「先天」の世界と時代が過ぎ去り、やがて「後天」の新しい理想社会が開か れるという予言であった。「後天」とは「天」が直接人に降臨する時代であり、この時代こそが理想 郷の地上天国の実現のときである。「後天開闢」思想によると、十九世紀半ば以降の朝鮮の状況 は朝鮮の没落と保護国化による暗黒の先天世界・時代であり、この暗黒期が過ぎ去ると希望に満 ちた後天の未来世界が開かれるというのである。これら理想社会の建設を目指す教義が民衆を 引き付けたのである。

この外に非公認宗教の教義にみられるのは、民族愛と朝鮮固有の伝統の強調であった。危機 に直面し、転換点に差し掛かっている時、到来する「後天」の時代には朝鮮民族が世界の中心と なるという。非公認宗教のナショナリズム的要素は民衆の心をとらえ、支配下におかれていた民衆 に浸透していった。非公認宗教の多くが「輔国安民」を唱えていたので、民族運動の主体となって いった宗教団体もあらわれた。外来勢力によって国が危機に直面していた朝鮮において、非公 認宗教団体が伝統への復帰を呼びかけていた。それは、開化と近代化の過程で非公認宗教の 基盤になっていた農村社会が変動しているなかで、非公認宗教が果たしてきた民衆の精神的拠 りどころとしての宗教的機能を維持するため、民衆から求められていた。朝鮮の非公認宗教の多く は外圧に対抗して伝統を守ろうとした。さらに、支配階層に対しては批判的であり、彼らに対して 改革を要求した。このように民衆の要望に応えていたので、非公認宗教の教義は民衆に受け入 れられたのである。

植民地期の代表的な非公認宗教は、一八六〇年に水雲崔濟チ ェ ジ ェが創始した「東学」9であり、多 くの非公認宗教団体が東学から派生していた。東学はキリスト教に対抗して、東洋固有の教学の 振興と「人乃天」という平等思想を掲げていた。そして宗教教団としても「異端」ではなく正統的な 宗教団体だという意識をもっていた彼らは、民衆の支持を得ていた。日清戦争の原因ともなった

「甲午農民戦争」は、東学教徒の教祖復権運動を発端としたものであり、併合後には三・一運動な どでも主導的な役割を担っていた。東学は甲午農民戦争を起こすほどに成長し、その後も迫害を

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