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植民地期の朝鮮で行なわれた朝鮮総督府の宗教統制政策――寺刹令による仏教懐柔、三教 会同を境としたキリスト教への抑圧策から懐柔策への転換、儒林の懐柔、非公認宗教団体への抑 圧強化、神社増設――を順次に考察した。この検討を通じて明らかになったのは、朝鮮総督府の 宗教政策が抑圧策と懐柔策とを用いた「複線的」「重層的」なものであったということである。

すなわち、併合直後、総督府の統制下に置かれた朝鮮の宗教は仏教勢力であった。総督府は、

「寺刹令」によって仏教の統制と抑圧を強化し、その一方で、朝鮮仏教界の指導者=住持を朝鮮 総督府への協力勢力へと懐柔した。このようにして朝鮮仏教界の分裂をはかったのであるが、円 宗と臨済宗の対立のような朝鮮仏教界内部の分裂は、その後も朝鮮仏教界に派閥対立のような 影を落とすことになった。

キリスト教については、併合当時、朝鮮内には宣教師二七七人が活動しており、ミッションスク ールの生徒数は二十二万に達していた。キリスト教は植民地朝鮮において最も教勢を伸ばした 宗教であった。朝鮮の「保護」を、「文明化」を助けるためのものと宣伝した統監府は、欧米のキリ スト教宣教師との関係を重視し、宣教師の教育・医療活動を抑圧しなかった。ところが、併合後、

朝鮮半島での日本の優位が決定的になると、キリスト教会と民族運動団体との連携を警戒した総 督府は抑圧策をとった。総督府によるキリスト教抑圧策の顕著な事件が「一〇五人事件」であった。

この事件はキリスト教会の弾圧事件として報道され、欧米からの批判をあびた。そのため、この一

〇五人事件の裁判が進行している一九一二年、日本国内では総督府の抑圧策の見直しの契機 となった内務省主導の「三教会同」が進められた。総督府は「布教規則」を発布して法的な規定も 遅れていたキリスト教に対する位置付けを明確にし、キリスト教に対しては抑圧策よりは、日本の 日本組合基督教会への支援などを通じて主に懐柔策をとるようになったのである。

三・一運動後、文化政治における新施政への支持者と協力者を必要とした総督府は、地方の 郷村社会で影響力をもっていた朝鮮の儒林勢力に注目した。総督府は義兵運動を鎮圧した後、

儒教施設の監督・統制の強化などの抑圧策をとった。抑圧されてきた儒林が三・一運動に刺激さ れて独立請願運動、すなわち「第一次儒林運動」=巴里長書運動、「対日本長書事件」などの行 動に出ると、総督府は協力的な儒林団体の支援・育成という懐柔策を展開した。総督府は協力的 な儒林の懐柔と育成を伝統的儒教振興、新旧思想の調和として宣伝した。この懐柔策によって朝 鮮儒林界は分裂を深めた。

朝鮮の非公認宗教についてはこうである。総督府は三・一運動後の一九二〇年代から、民衆 の日常生活とかかわっていた非公認宗教が海外の危険思想流入の通路になることを防ぐため、

その実態の把握に着手した。非公認宗教を調査するために旧慣制度調査事業中、「風俗調査」

が独立した分野として格上げされた。非公認宗教団体に関する調査事業は、民衆の精神世界を 把握し、秘密組織のような非公認宗教をあぶり出すためにも必要であった。村山智順などによる 調査結果は非公認宗教に対する肯定的評価もしていたが、総督府の施政に反映されたかぎりで は、抑圧を強化する材料のみを提供するものであった。

日中戦争以後の総督府の植民地支配は、満州および中国大陸を視野に入れながら展開され た。戦争の拡大に伴い、朝鮮軍の植民地政策への影響力が高まり、総督府は「内鮮一体」を推し 進めた。内鮮一体と皇民化を達成するため、総督府は「改正神社規則」を発布して朝鮮における 神社制度の基盤を形成し、全国に神社を増設した。百済と日本の交流をあらわす神話を利用し て神社を増設し、神社を通して祭神の代理者=総督による朝鮮統治を正当化していったのであ る。

以上のように、保護期から神社増設までの朝鮮総督府の植民地朝鮮における宗教政策では、

抑圧と懐柔の性質が複雑に交差していた。すなわち、統監府の放任・懐柔策から併合後には抑 圧策に移行し、これに懐柔策が並行していたのである。仏教、キリスト教、儒教および儒林、非公 認宗教に対する総督府の政策は総督府への協力者を獲得するためのもので、そのため抑圧とと もに懐柔を必要としたのである。また、日本固有の神社は当初は日本人に限られたものとされ ており、総督府が神社信仰を植民地民に本格的に強制するようになるのは一九三六年の神 社規則の改正後のことであった。

植民地朝鮮には、朝鮮の土着宗教、共通の宗教である仏教、欧米のキリスト教、そして日本固 有の神社などが入り混じっていた。欧米の植民地において支配者がキリスト教への改宗を迫 ったのとは異なり、植民地朝鮮では、まず仏教勢力が植民地にはいっていった。仏教のよ うな共通の宗教の存在は、植民地との「差異」を無視して「一致」だけを強調する懐柔策 を強化した。総督府の宗教政策としての「懐柔策」は、宗教界内部に影を落とし、解放後の今日 に至るまで宗教団体の内部分裂をもたらしているのである。

序章

1 朝鮮総督府に関しては、山崎丹照『外地統治機構の研究』(高山書院、一九四三年)、伊 藤隆監修・百瀬孝著『昭和戦前期の日本』(吉川弘文館、一九九〇年)を参照。

2 経済の面からの研究は植民地研究の中で最も活発な研究が行なわれている分野である。

土地・貨幣制度の植民地再編成や日本企業の朝鮮進出をめぐっての議論から植民地開発論 と内在的発展論まで、戦後植民地化された地域の経済状況と関連して研究がなされてきた。

浅田喬二『日本帝国主義と旧植民地地主制』(お茶の水書房、一九六八年、増補版、龍溪書 舎、一九八九年)、『日本帝国主義下の民族革命運動』(未来社、一九七三年)、小島麗逸編『日 本帝国主義と東アジア』(アジア経済研究所、一九七五年)、資料としてアジア経済研究所図 書資料部編『旧植民地関係機関刊行物総合目録』全五巻(アジア経済研究所、一九七三-八 一年)、小林英夫『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』(お茶の水書房、一九七五年)、高嶋雅 明『朝鮮における植民地金融史の研究』(大原新生社、一九七八年)、姜在彦編『朝鮮におけ る日窒コンツェルン』(不二出版、一九八五年)、波形昭一『日本植民地金融政策史の研究』

(早稲田大学出版部、一九八五年)、山本有造『日本植民地経済史研究』(名古屋大学出版 会、一九九二年)など、多くの研究がある。

3 堀真清編『宇垣一成とその時代』(新評論、一九九九年)、慎鏞廈「식민지근대화론 재정립 시도에 대한 비판(植民地近代化論再定立史試みに対する批判)」(『창작과 비평』98、一九九七年)、許粋烈「‘개발과 수탈’론 비판(‘開発と

収奪’論批判)」(『역사비평』48、一九九九年)参照。

4 溝口敏行『台湾・朝鮮の経済成長』(岩波書店、一九七五年)にすでに現われていたが、一 九八〇年代に入って溝口敏行・梅村又次編『旧日本植民地経済統計』(東洋経済新報社、一 九八八年)に集大成された。

5 Shin Gi-Wook and Michael Robinson, (eds), Colonial Modernity in Korea, Cambridge (Mass) and London: Harvard University Asia Center, 1999.なお、韓国 研究者からも同様の主張がなされた。金普均・鄭根植は近代性そのものを問い直すことか ら収奪論と植民地近代化論の両者を批判する。彼らによると「植民地近代化論や収奪論は すべて、近代性そのものは肯定的にとらえており、近代化はいずれ成し遂げられなければ ならないものとして把握するという点において同じである。ところが、「近代性」そのもの を克服しなければならないものと見るならば、論議の様子は相当違ってくる」5と指摘した。

また、「世界史的な次元だけではなく、韓国においても近代性が帯びている問題点はその肯 定性に劣らず深刻なものとして認識されてきた」と、近代に対する根本的な見直し、欧米

中心性の克服が韓国社会科学の当面の課題であると主張した。金普均・

鄭根植편저『근대주체와 식민지 규율권력(近代主体と 植民地規律権力) 』(문화과학사,一九九七年) 一八頁。

6 矢内原忠雄『矢内原忠雄全集 第一巻』(岩波書店、一九六三年)、村上勝彦「矢内原忠雄 における植民論と植民政策」 (大江志乃夫他編『岩波講座 近代日本と植民地 第四巻』、

一九九二年)参照。

7 David B. Abernethy, The Dynamics of Global Dominance: European Overseas Empires, 1415-1980, Yale University Press, 2000.

8 フランスの同化主義については、平野千果子『フランス植民地主義の歴史』(人文書院、

二〇〇二年)参照。

9 Ramon H. Myers and Mark R. Piettie (eds.), The Japanese Colonial Empire 1895-1945, Princeton: Princeton University Press, 1984. マーク・ピーティー『植民 地』(読売新聞社、一九九六年) 一一八頁。

10 青井哲人のいう台湾の宗教政策史は、蔡錦堂『日本帝国主義下台湾の宗教政策』(同成 社、一九九四年)を指す。青井哲人『植民地神社と帝国日本』(吉川弘文館、二〇〇五年)

二〇頁。

11 朴相権「日帝の宗教政策と韓国宗教」(『崇山朴吉真博士古希記念 韓国近代宗教思想史』、

ソウル、一九八四年)、張秉吉「朝鮮総督府の宗教政策」(『精神文化研究』、ソウル、一九 八五年)参照。

12 山口公一は、第一期を神社法規の成立及び朝鮮神社創立への動き(一九一二年)から朝 鮮神宮鎮座祭前後(一九二五年)まで、第二期を朝鮮神宮鎮座祭前後から神社制度の改正

(一九三六年)まで、第三期を神社制度の改正から敗戦(一九四五年)までとする。

13 天道教については、성주현 「1930 년대 천도교의 반일민족통일전선에 관한 연구(一九三〇年代、天道教の反日民族統一戦線に関する

研究)」(韓国民族運動史学会『한국독립운동과 종교활동(韓国独立運動と

宗教活動)』、国学資料院、ソウル、二〇〇〇年) 参照。天道教の分裂策に関しては

、金正仁「일제 강점기 천도교단의 민족운동 연구(日帝強占期天道教団の民俗運動研究)」

参照。儒教については、南富熙『儒林의 独立運動史研究(儒林の独立運動史研究)』(범조사、

ソウル、一九九一年)。琴章泰『현대 한국 유교와 전통(現代韓国儒教と 伝統)』(서울대학교출판부、ソウル、二〇〇三年)があげられる。

14 このほかに青野正明は、「朝鮮農村の『中堅人物』」(『朝鮮学報』一四一号、一九九一年)、

「朝鮮総督府の対民衆宗教政策」(『聖和大学論集』二三号B、一九九五年)、「朝鮮総督府の 神社政策―一九三〇年代を中心に―」(『朝鮮学報』一六〇号、一九九八年)などを発表して いる。

15 水野直樹「植民地政策史研究の現状と課題」(『世界の日本研究二〇〇二―日本統治下の

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