本研究では、研究室レベルのX線回折装置でも簡便、効率的なタンパク質の 結晶構造解析を実現可能なツール開発を大きな研究目的とした。具体的には、
効率的なX線回折実験のために、微小液滴内で微結晶析出と結晶の集合を抑制
し、100 µm程度のタンパク質の単結晶を1個だけ作製するための結晶化容器(微
小液滴の大きさ)の条件について実験と理論の両方から検討を行った。その過 程において、1個の単結晶を作製するための“臨界サイズ”という概念を導入し た。また、確立した結晶化制御技術を基に、デバイスから結晶を取り出さずに 直接X線回折実験を行って良質な回折像を得た。
第2章では、微小液滴中でモデルタンパク質として用いたソーマチンの晶析 挙動、および結晶成長速度に関して網羅的に実験、解析を行った。微小液滴の 体積の増加に伴い、液滴内で析出する結晶数が増加する傾向がみられた。さら に、液滴の形状も析出するタンパク質の結晶数に影響を与えていた。具体的に は、液滴形状が細長くなるほど同じ液滴体積であっても多くの結晶が析出し、
真球状の液滴ではほぼ1個の単結晶が析出した。微小液滴中で析出した結晶の 大きさは、60〜100 µmであった。また、結晶化の誘導期は、液滴体積に大きく 依存しており、液滴体積の減少に伴ってばらつきが大きく、かつ核形成までに 長い時間を要する傾向が見られた。これらの結果から、マイクロ空間の微小液 滴の体積、形状を制御することによって、結晶の析出を制御できることが示さ れた。
第3章では、微小液滴特有の液滴内部の流体挙動に着目し、タンパク質の単 結晶を内部に1個だけ作製するための理論的検討を行った。また、臨界サイズ という概念を導入した。理論的に推算した単結晶が1個だけ析出する液滴の大 きさである臨界サイズは、タンパク質分子の拡散係数、タンパク質の初濃度、
タンパク質の消費速度から算出することが可能であり、その値は実験結果と良
く一致していた。導入した臨界サイズ、または最大拡散距離は、タンパク質の 拡散係数や初濃度から推算可能であり、モデルタンパク質として用いたソーマ チンだけではなく他のタンパク質にも応用可能である。したがって、臨界サイ ズは、結晶化デバイスや微小液滴の最適な大きさに関する情報を与え、それら の作製する上での指針となると考えられる。
第4章では、4種類の分子量が大きく異なるモデルタンパク質で晶析挙動の解 析を行った。4種類のタンパク質について推算した臨界サイズは、実験結果と良 く一致した。また、臨界サイズ以下の大きさの液滴を用いることでほぼ 1 個の 結晶を作製することが可能であった。また、タンパク質の分子量による拡散係 数の違いが晶析挙動に与える影響についても検討を行った。リゾチームやソー マチンのような分子量が小さいタンパク質の場合は、析出する結晶数分布はほ ぼ同じ結果であり、1個の結晶を得ることができた。一方で、分子量が大きいフ ェリチンの場合には、他の 3 種類の場合と比較して析出する結晶数分布が広く なった。これらの結果は、微小液滴の大きさとタンパク質分子の拡散が晶析挙 動の違いに関する重要な要素となっていることを示唆している。したがって、
臨界サイズ以下の液滴によって、100 µm程度の結晶を1個析出させて、液滴内 で新たな核の形成を抑制することが可能であると考えられる。
最後に第 5 章では、前章までに確立された微小液滴によるタンパク質の結晶 化制御技術によって、液滴内に 1個の単結晶を作製し、デバイスのまま X線回 折実験を試みた。本手法は、煩雑な結晶のマウントや固定などの前処理が不要 であり、良質な回折像を得ることが可能であった。X 線回折実験では、抗凍結 処理を行っていなため、4枚の回折データから結晶学的パラメータの決定を試み た。その結果、4枚の回折像からでも格子状数や空間群、晶系を決定するために 十分な回折データが得られた。また、抗凍結処理を行ったバッチで作製した結 晶と比較すると、微小液滴中の結晶は格子状数が約 1 Å 収縮していた。本手法 は煩雑な前処理と熟練した結晶のハンドリングが不要である。したがって、微 小液滴を用いた結晶化制御とIn situ X線回折実験は、結晶構造解析の1次スク リーニングにおいて、効率的でダメージレスな X 線回折実験手法であると考え
られる。
以上、本研究では、微小空間でのタンパク質の晶析挙動の解析とその知見を もとにした結晶化制御技術の確立、およびX線回折実験への応用について研究 を行った。その結果、タンパク質の結晶化条件だけではなく、“結晶化容器”と して用いた微小液滴によって結晶化の制御が可能であることを明らかとした。
また、微小液滴内部の特徴的な流体挙動に注目し、結晶化過程をモデル化して 晶析挙動について理論的に検討を行った。その結果、臨界サイズという概念を 導入し、臨界サイズがタンパク質の物性値と実験条件から推算できることを明 らかにした。課題としては、微小液滴の大きさが小さくなるにつれて結晶化確 率が低下することがあげられる。この点に関しては、シーディングや核形成を 促進させる技術とマイクロ流体技術を組み合わせて、課題の解決に取り組むこ とが考えられる。マクロな系では結晶同士の集合が生じやすいターゲットに対 してはミクロシーディング法との組み合わせが有効であると考えられる。具体 的には、微小液滴中にあらかじめ核を仕込むことによって、核形成頻度の低下 を防ぎつつ、効率よく1個の単結晶を作製可能であると期待される。また、近 年の高輝度な放射光X線は、例え抗凍結処理を施した結晶であっても放射線損 傷を生じさせることが知られている。そのため、1個の結晶から完全なデータセ ットを採取するのではなく、複数の結晶からデータを採取して、それらを統合 することで立体構造が解かれる場合がある。本手法では、あらかじめにキャピ ラリー中で大量の微小液滴を連続、自動的に生成し、それらを結晶化温度で静 置するだけで結晶が得られる。また、放射光施設への移送にも強く、X線回折 実験の前処理も不要で実験の半自動化が可能である。したがって、本研究で確 立した微小液滴を用いた結晶化制御技術とX線回折実験の組み合わせは、タン パク質の結晶構造解析において強力なツールになると期待される。
謝辞
本研究全般のみならず、多方面におきまして数多くのご指導、ご意見を賜り ました、九州大学大学院 総合理工学府 物質理工学専攻 新素材開発工学講座 宮崎真佐也教授(産業技術総合研究所九州センター 生産計測技術研究センター 生化学分析ソリューションチーム チーム長)に深く御礼申し上げます。また、
本論文を査読して頂き、貴重なご意見を頂いた原田明教授(九州大学大学院総 合理工学研究院)、および岸田昌浩教授(九州大学大学院工学研究院)に厚く御 礼申し上げます。
研究の指導と数多くの有益な御教示、御助言を賜りました産業技術総合研究 所九州センター、生産計測技術研究センターの山下健一主任研究員、中村浩之 主任研究員、上原雅人主任研究員、山口浩先生(現:東海大学)に厚く御礼申 し上げます。さらに、修士課程から技術研修生としてお世話になりました生化 学分析ソリューションチーム(前 マイクロ空間化学ソリューションチーム)の 皆様に厚く御礼申し上げます。
X 線回折実験と結晶構造解析に関しては、共同研究を通して多くの御助言を 頂きました九州シンクロトロン光研究センターの河本正秀先生、佐賀大学農学 部 渡邉啓一先生、久留米大学医学部 杉島正一先生、佐藤秀明先生、原田二郎 先生に深く御礼申し上げます。
マイクロ化学分野の研究に興味を抱くきっかけを与えて頂き、大学時代にご 指導を賜りました諸岡成治先生、検討会などで有意義な御助言を賜りました境 正志先生、大学院修士課程において研究のみならず、多岐にわたって御助言を 賜りました前田英明先生に厚く御礼申し上げます。
また、本研究の一部は日本学術振興会の特別研究員奨励費の援助によって行 われました。
最後になりましたが、大学から大学院の 9 年間に渡って勉学に励む環境を整 えていただきました、両親に心から感謝の意を表します。