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結論と今後の課題

 本小論は、音楽を音楽以外の観点から解析することで、今までの楽曲分析では 明らかにすることができなかった構造や特徴を見出す事を目的としたものであっ た。そのために、音楽の様々な要素から特に旋律を対象とし、定量的に捉えるた めの手段として時系列フラクタル解析を行った。

 旋律をフラクタルと捉え定量化した結果、音楽的にある傾向を持つ作品につい て特徴的なフラクタル構造が見受けられることが分かった。プレリュードについ ては、楽譜から見て取れる8音符単位の繰り返し構造が、時系列フラクタル解析 では異なる粗視化時間構造の重ね合わせというかたちで表れることが分かった。

メヌエットについては、11個の音符をひとつの単位とした繰り返し構造が明らか となった。このことは、従来の方法による楽曲分析では窺い知ることができな かった事実であり、時系列フラクタル解析を音楽に用いることによって得られた 発見である。これらの内容から、旋律をフラクタルとして捉え、解析することの 有用性の一端が確認されたのではないだろうか。すなわち、人間の創意の現れで

ある旋律とフラクタルの問には関連があるものと思われる。

 これらの関連がどのようなものであるかを本小論において明確にすることはで きなかったが、プレリュードやメヌエットに比べ、ペトルーシュカがフラクタル と捉えづらかった事実から、特に古典的な音楽の手法に則った作品をフラクタル と捉えることは、旋律の構成における法則を導く可能性を示していると思われ

る。

 また、これらの古典音楽は、作曲者が意図的にフラクタル性を持たせたもので はない。にもかかわらず、このようにフラクタル性が見受けられる事実は、音楽 の創作における人間の思考過程にフラクダルが強く関わっていることが予想され る。前章において、ペトルーシュカが我々に養われた和声感覚を逆手に取り、意 図的に奇異な感覚を演出したものであるという音楽的解釈を述べたが、ペトルー シュカがフラクタルとして捉えることが難しかった事実から、古典的な和声感と フラクタル性の関連が浮き彫りとなった。つまり、音楽において協和音程が人間

の感性に自然であるという感覚を呼び起こし、このことがフラクタル性と何らか の関連を持っていることを示唆している。

 本小論のような解析方法が定着し、研究事例が増えれば、特に作曲家の個性と いう一言で済まされていた作品の裏の要素が定量化され、時代的背景や作曲技法 上の比較、作品の示す傾向を分析する上での指標となり得る可能性を持っている と考える。しかし、今までに事例のない研究であったため、本小論は試行錯誤の 連続であり、不備な要素も多い。これらに対し、これからより良い研究としてい

くために、改善が求められれる点を列挙する。

 まず、休符の評価方法の確立が望まれる。休符は現象として音に現れない時間 間隔を示すものだが、音楽においてその果たす役割は大きい。単にフレーズの区 切りや演奏技法上の必要から示されたものではなく、時間的な緊張感の表現や、

音符と共にリズムパターンを構成するものである。本小論では、具体的に休符を 評価する方法を設定しなかったため、休符を含む作品は解析の対象としなかっ た。しかし、多くの旋律には休符が含まれているので、この問題の解決は、休符

を含む作品を解析することを可能にし、本小論で示した解析の適用範囲を飛躍的 に広げる事に直結する。より多くの事例を得ることは、客観性の示唆において重 要であり、本小論で示した解析の妥当性を問う上でも必要な事項である。

 また、善趣の設定についても再考の余地がある。第1章で、音符間の相対的な 幽幽を示すものとして度数をあげた。本小論では長短音程の区別が煩雑であるの で度数による音高の評価は行わなかったが、度数による音程は同じ音高を持つ音 符間を 1度 とした音楽独自の理論を持っている。これに対し、本小論で設定

した1型は、先行音と後続音が同じ音信を持つ音符ならば、音画の変化量は 0 となり、その結果音高と音長の積Xも 0 となってしまう。先行音と後 続音が常に異なる音高を持つプレリュードやメヌエットの場合、1型による評価 でも問題は生じないが、ペトルーシュカの場合、中間部に同じ面高を持つ音符が 最大で3個連続しており、このことは、解析の結果に影響を及ぼしている筈であ

る。このことから、度数の概念を拡張し、音高の評価に用いることを今後の課題

としたい。

 また、本小論は、音楽の客観的な定量化が可能な範囲として、単旋律で構成さ

れた作品を解析の対象とした。さらに、歌詞による影響を受けない作品を選択し た結果、全てが器楽独奏による作品となった。このような作品は、表現の素材が 限定されているために、その楽器の持つ機能や特性を極限まで生かし、複雑にな る場合が多い。プレリュードは単旋律で構成されていても、複旋律の要素を持っ ており、複雑な様相を示した例である。他の作品についても、単旋律ではある が、その使用音域の広さを主な理由に部分スケールフラクタル次元Dが高い値を 示したものと考えられる。このように、器楽独奏曲は複雑な構造を持っている が、これらの作品と対照する事例として、複雑ではない作品の解析が必要であ る。このためにも、器楽独奏曲以外の作品、例えばグレゴリオ聖歌やハーモニー を伴った作品の解析が望まれるが、これらの作品に含まれる要素を定量的に捉え る方法の確立が必要である。

 さらに、本小論の解析によって得られた事実を、積極的に創作に生かしていく 姿勢が望まれる。人間の感性情報処理とフラクタルの関連は、まだ明らかになっ てはいないが、音楽においては協和音程とフラクタルが何らかの関連を持ってい るのではないか、という考察を述べた。このことは、一般的に古典派までの音楽 が強い機能和声感に支配されており、これが色濃く現れたものと思われる。よっ て、古典派までの音楽における旋律にあらわれた機能和声感とフラクタルとの関 係について研究し、これを明らかにすることによって、旋律の創作に人間の感性 が自然と思われる協和音程の使用頻度を取り入れ、生かして行くことが可能にな ると考えられる。何れにせよ、本小論から得られた結果だけではフラクタルと音 楽、さらに言及するならばフラクタルと音楽における感性について述べるために は不十分である。よって、フラクタルを音楽の創作に生かしていく姿勢について は、その可能性を示唆するに止め、今後の研究の発展に託すものとしたい。

おわりに

 人間の感性晴報が、いったいどのような仕組みで知覚され、処理されているの かということは、音楽という人間の感性に直結した芸術に携わる筆者にとって、

非常に興味深い内容である。音楽がどのように情報として知覚されるのかといっ た事象に焦点を当てた研究として、認知心理学や精神物理学の立場からのものが あげられるが、滋0副本小論はこれらの立場とは異なった視点から音楽における 感性の解明に無謀にも挑んだ研究であった。

 本小論の「はじめに」に:おいて、音楽をフラクタルとして捉え定量化すること により、芸術活動の不確定な要素に一歩でも迫ることができるのではないか、と いう筆者の意見を示し、感性に依存する音楽の普遍性を見出すことが可能にな る、という仮定を述べた。本小論の言及からは、明確な普遍性を見出すことはで きなかったが、人智が長い年月を経て築き上げた音楽と感性との関わりを明らか にするというテーマは、一個人の研究としてはあまりにも膨大であり、些か無理 があったことは、本小論をまとめるに当たって気付いたことである。このような 意味では、本小論は準備段階の研究であったと思われる。

 我々が音楽によって感じる観念的な情動は、神経科学で考えると、外部からの 刺激として神経系を経由し、脳で処理される。その過程は、刺激を神経伝達物質 や活動電位といった具体的物質に置き換え、脳において知覚されるというもので ある。注42作曲者の創作意図である楽譜を、演奏に際して具体的に音として再構 成する作業も、神経科学では人間の情報処理過程のひとつでしかない。いずれは 神経科学と人間の感性情報に関する研究が進み、音楽における情動についても全 てが解明される日が訪れるのであろう。

 しかし、このような研究の成果を待つだけではなく、音楽の立場から積極的に 感性の解明に取り組む姿勢も必要であると考える。今後、様々な観点からの研究 が多く行われるであろう。そのひとつとして、本小論において行った音楽をフラ

注40 g多野誼余夫編:1987:「音楽と認知』,東京大学出版会

注4L RoedererJ.=!979: 正ntrOduction to the Physics and PsychQphysics of Music  (高野光司他

訳:『音楽の科学一音楽の物理学,精神物理学入門一』,音楽之友社)

注42 澤佳子:1995:「脳が考える脳 一「想像力のふしぎ」一』,講談社,pp。44−62

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