1 絹地
(1)画絹
軸2の絹地 軸2において観察される織物は、画絹とよばれる筬目のある平織の絹地である(PL.3 1)。
織物が顔料層に貼りついたようにみえる遺存状態のよい部分を顕微鏡で観察すると、直交する経糸と緯糸 を明確にとらえることができる。
うっすらと褐色を帯びた半透明の糸は、まっすぐで、ほとんど撚りがかかっていない。そして、つるつ るとした質感をみてとれる。以上のような特徴は、目視において素材を絹であると判断する根拠となるこ とを正倉院事務所尾形充彦氏からご教示いただいた。
経糸は低倍率では2本1組に見える。しかし、高倍率では1本ごとに交互に上下し、緯糸と交差してい る様子を確認できる。この2本1組に見えるという経糸の間隔の粗密は、交互に上下する綜絖に1本ずつ 通された経糸が、経糸密度を一定にたもつ筬の目に2本ずつ通されたことによって生じたものであり、画 絹と呼ばれる日本画を描くための絹地基底材の組織の特徴である。
軸2における経糸密度は48本/㎝前後である。緯糸には複数の繊維が通っているような筋が見えるが、
繊維を合わせたものを1本として数えるならば、緯糸密度は50本/㎝前後である。
画絹 画絹は平安時代から用いられた基底材である8)。制作に際しては、画面状態を整えるために、事 前に染色し、にじみ止めの処理として膠水に明礬の水溶液を混合した礬水(どうさ)を塗布する。そして、
絵を描くときには、絹目がゆがまないよう方形の木枠に糊でぴんと張って用いられる。
2本1組にみえるという2本の経糸の密な間隔は、経糸と緯糸の押さえ合う力をつよめ、1組の経糸と 隣の1組の経糸との間につくりだされた透き間を崩れにくいものとしている。また、透き間がある、すな わち、透けるという特徴は、下絵を写し取ったり、木枠に張られた状態の画面裏側から彩色したりするこ とを可能としている。画面の裏から彩色する技法は、裏彩色(うらざいしき)とよばれ、表からみたとき に、微妙な色合いを表現できる技法として、また、線描による表現に効果が得られる技法として発達した。
なお、絹絵の基底材としては、少数例ながら、画絹の特徴をもたない一般的な平織や綾織の絹地9)など も用いられた。これらは、絵が描かれている絹であっても画絹とは呼ばれない。
黒い色調 軸2の表面のうち、肉眼観察で薄墨色にとらえられる部分を顕微鏡で観察すると、顔料層の 上に、黒味を帯びた糸が貼りついている様子を見ることができる(PL.4 1)。黒くみえる糸の上には顔 料がほとんど付着していないため、顔料層上面に貼りつくように遺存している経緯の流れをはっきりと追 うことができる。
一部の糸のみが黒く見える要因は、不明であり、墨の浸透、あるいは繊維の劣化の度合いの差といった ことが推測されるが、複数の要因が複合している可能性も想定される。なお、糸が黒く見える部分は、軸 木表面に近い、顔料層に半ば覆われ見え隠れしている部分にも認められる(PL.4 3)。
(2)平絹
軸1の絹地 軸1に付着している織物の遺存範囲は、軸2と比べきわめて小さく、組織を確認できる部 分は限られるが、顕微鏡観察により、平織と判断できる部位を見出すことができた。また、糸には、ほと んど撚りが認められず、繊維の毛羽がみられないことから、繊維の種類について、軸2と同様に、絹と判 断された。
すなわち、軸1において観察される織物は、平絹ともよばれる一般的な平織の絹地である10)(PL.3 4・
5)。
顔料層に埋もれるように固定されている経糸と緯糸の交差の仕方には、歪みを生じている部分もあり、
軸2の画絹にくらべると均整ではない。また、遺存範囲が小さく分断されていることから、糸密度をとら えにいくいが、平均的と思われる糸密度の数値を復元的に示すならば、経糸密度は40本/㎝前後、緯糸密 度は60本/㎝前後となる。遺存部分の繊維の色調は、暗褐色〜黒褐色に近い。繊維の色調の要因は不明で ある。
黒い付着物 白い顔料に半ば埋もれいている平絹のうえに、黒い付着物がある(PL.3 6)。一見した ところでは織物に見えないが、顕微鏡で拡大すると、繊維が縦横に交差している様子をとらえることがで きる。明確な組織は拾えないが、状況から、織物がしわが寄ったように付着している部分と理解すること ができる。画絹に比べて、経糸と緯糸の押さえ合う力が強くないと理解できる平織の場合、外部からの少 しの力で糸が寄せられ、経糸と横糸が均整な状態でぱりっと広がったまま面を維持できない可能性がある と想定するのは容易である。
さらに、同じ軸木に巻かれた絹地のなかで、面が均整なまま遺存している部分と、しわが寄ってしまっ た部分の違いは何によってもたらされたのか、という点に思いを巡らせると、顔料にパックされて経緯が 固定されている部分と、顔料にパックされていない部分の違いであると解釈できる。
すなわち、一見黒い付着物とみえ、顕微鏡観察によってしわが寄った織物であると理解可能な部分は、
画面のなかで顔料が塗り込められていない背景の部分であると推測できる。
絹地の痕跡 組織は不明瞭ながら、繊維が交差しているという特徴を確認できた黒い付着物について、
顔料が塗り込められていない絹地の痕跡であると把握することができた。このことを出発点として、軸1 の他の部分をあらためて観察すると、軸木に貼りつくように遺存している黒い付着物の多くに一定の方向 性を見出すことができる(PL.4 7)。明らかに繊維ではない微粒子が積み重なった墨とみられる部分
(PL.4 2)と比較すると、その特徴をより明確にとらえることができる。
絹絵の痕跡 顔料が付着している部分を顕微鏡で観察すると、ところどころに細長くのびる黒いものが あることに気づく(PL.4 5)。顔料層の縁から突出している黒い部分だけを見ていても織物には見えない。
しかし、視野を広めにとって、顔料粒子の集まりに見え隠れし、点々と付着している黒い部分を追ってい くと、断続的に遺存している繊維の一部と判断することができる。したがってこのように見える黒い部分 は、顔料が塗り籠められた絹地の一部である。
黒い付着物について、このような視点でとらえなおすと、軸1の絹絵の遺存範囲が、当初見えていたよ
りもずっと広がってくる。
なお、軸1で確認されたこの絹地の見え方は、軸2の画絹が不明瞭な部分においても確認することがで きる(PL.4 4)。
ところで、軸1の軸木表面には、赤色の直線部分以外にも、赤い顔料が直接付着しているように見える 部分があり、その部分を斜めからみると、黒いものが挟まっていると観察される(PL.4 6)。この黒いも のについても、不明瞭ながら絹地の痕跡と推定する余地がある。ただし、絹地であった場合、軸木に密着 している赤い顔料の位置づけがより困難なものとなる。未解明の課題である。
2 顔料
思井堀ノ内遺跡の中世墓から出土した2本の軸の表面において、現時点で観察される顔料の色は、白、
赤と緑である。また、顔料か埋土の付着か明確にできなかったが、黄とみえる部位がある。本出土事例に おいて、顔料は絹絵の彩色表現のほか、軸木装飾にも用いられている。なお、顔料以外に墨描きの痕跡と 見える黒色部分がある。
顔料については、成瀬正和氏によりX線分析調査が実施され、当時の絵画等に用いられた正統な顔料で あることが報告されている(本報告293頁)が、本項では、基礎的な観察記録として、肉眼あるいは顕微 鏡を用いてとらえられた色調の違いを整理する。
表面的な色の見え方に注目すると、白、赤、緑の各色は、さらに白4種、赤4種、緑2種以上に分けて とらえることができる。この細分は、色相・明度・彩度の見え方の差、および、顕微鏡下でとらえられた 顔料粒子の見え方の差を指標とした区分である。いうまでもなく、色は観察時の光の環境によって微妙に 変化してしまうため、掲載した画像の再現性も含め、相対的な色調の違いを示す区分である。
(1)白
白1 軸1・分析5部分 明確な白である。顕微鏡で観察すると、白く角張った、透明度が高くない粒 子の集まりとして観察される(PL.5 1〜3)。粒子は形、大きさともにはばらつきが大きいが、赤1
(PL.5 9)と比較すると、粒子がとても粗い。軸1の南面〜天面にかけて、一定の面的まとまりをもって 遺存している(PL.1 4)。
白2 白といっても、ごくうすく黄〜橙みをおび、やや灰みがかっている(PL.5 4)。くすんでいる ためあまり目立たない。顕微鏡で観察すると、白1よりも粒子が小さい。軸1の地面〜南面に平絹をパッ クするように斑状に遺存している(PL.1 3、PL.3 4〜6)。
白3 白といっても、ごくうすく橙みをおび、やや灰みがかっている(PL.5 5)。顕微鏡で観察すると、
ねっとりしたような質感に見えることを特徴とし、白2よりも粒子がめだたない。軸2に裏彩色として用 いられている色で、広く面的に観察することができる(PL.1 8、PL.3 1〜3)。
白4 一定の広がりをもって付着遺存している部分を肉眼でみた場合、銀色にも見える白である
(PL.1 7、PL.5 6)。点々と散っている部分はきらきらと光っている(PL.4 1、PL.5 7・8)。軸2表