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副葬された品々

ドキュメント内 研究紀要 第28号 (ページ 119-129)

範囲において、面的な広がりを保持した状態で遺存している。既刊報告書において「籠状繊維製品」と報 告した資料で、繊維の流れがループの連なりのように見える点で、経糸と緯糸が直交している染織品残欠

(2)から、明確に区分される。

 繊維の種類について、正倉院事務所尾形充彦氏に鑑定していただいた結果、外観上の特徴から絹と判断 された。

 ループ状の組織が見られる染織品残欠(1)は、正位置で出土した木製台座の底面に付着している3層

(染織品残欠(1)・染織品残欠(2)・紙断片)のうち、もっとも台座側にある資料である。したがって、実 際の出土状態では、3層の中で、染織品残欠(1)の出土レベルが最も高い。

 なお、以下の観察結果の記述においては、便宜上、実際に遺物を手に取って観察する時の上・下の状態、

すなわち、台座の底面を上にして俯瞰した状態での上・下を用いる。したがって、この上・下は、出土時 の天地とは逆転しているが、観察記録である顕微鏡写真(PL.6)と対応している。

 上記の基準で重なりを確認すると、紙断片が最上面に、そのすぐ下に、次項でとりあげる染織品残欠

(2)が、その下に、染織品残欠(1)が広がり、染織品残欠(1)の糸と糸の隙間に、平滑に仕上げられた素木 の台座下面が見えるということになる。

 染織品残欠(1)・染織品残欠(2)を直接確認できる範囲は、俯瞰状態で表面に出ている部分のみ、すなわ ち、より上にある層が面的に欠落している部分にかぎられる。具体的には、紙が遺存していない範囲に、

染織品2種を観察できる。なお、台座に密着している染織品残欠(1)よりも、後述する染織品残欠(2)の方 が劣化の進行が著しいため、最下層の染織品残欠(1)について、とらえやすくなっているという状況が生 じている。

1 底面に染織品残欠(1)・(2)、紙片が付着している   木製台座

3 帖紙残欠内の鉄針

4 水晶片

(縮尺1/2)

(縮尺2/3)

(縮尺1/1)

3・4

2 金属製菊花形皿の遺存状態と復元模式図

鉄針はX線透過画像 からの書き起こし 側面模式図

断面模式図

遺存状態 復元模式図

0 2㎝

0 3㎝

0 5㎝

第1図 詳細調査で確認した副葬品の要素

 染織品残欠(1)を現状で確認できるのは、長径5㎝前後、短径2㎝前後の不整形な範囲である。状況か ら、紙残欠と、その下の染織品残欠(2)に覆われている範囲にも、面的に遺存しているものと推定できる。

 状態のよいところで観察される糸の流れは、ほぼ正円のループを描く。一単位の径は2㎜である。撚り がほとんどない糸の上には、染織品残欠(2)が劣化した微塵と理解できる粉が点々と付着している。その ため、編物の遺存を面的に把握できる部分であっても、顕微鏡で拡大し、ループを描きながら重なり合う 一本の糸の流れを連続して追うのはきわめて難しい4)

 色調は、暗褐色を呈する部分がほとんどであるが、一部に、灰白色・黒色を呈する部分がある。現状の 色調の違いが、染色の状況の反映なのか、あるいは埋没環境に由来するのかは不明である。糸が込み合っ て見える部分について、上記の一単位を念頭にみると、ずれをもって2枚重なっているようにも見える。

また、歪んだ状態で貼りついていると見える部分がある。

3 染織品残欠(2)

(PL.6 5・6・8・12・13)

 木製台座下面と鏡面との間に遺存していた繊維3層のうち、中位に遺存している平織の織物断片である。

尾形充彦氏により、糸にほとんど撚りが見られないことから、絹と鑑定されている。

 以下、観察報告中に記す遺物の重なりに関わる上下の記述は、台座底面を上に平置きして俯瞰した状態 で観察できる重なりの上下である。したがって、出土状態での天地とは逆転している。

 染織品残欠(2)は、重なっている3層の繊維の中で、もっとも遺存状態が悪い。紙に覆われた部分には、

露出部よりも良好な形で広がっていると推定できるが、現在直接見ることができる部分については、劣 化・崩壊が進行中で、徐々に粉になってしまう状態である。

 遺存状況は厳しいものの、繊維の特徴を確認できる部分において、組織は平織であること、そして、経 糸が2本一組であるという特徴を確認できる。経糸密度は40本/㎝前後、緯糸密度は35本/㎝前後である。

 下に重なっている染織品残欠(1)と比較すると、糸の太さ、および、繊維の流れの特徴において、両者 の違いは明確である。

 現状では灰白色の部分が目立つが、暗褐色を呈する部分もある。一部緑色を呈するのは、鏡に由来する 緑青が染み込んだためと理解できる。

 織糸とは別の撚りのかかった太い糸が、平絹に突き刺さるように遺存している部分があり、縫糸あるい は刺繍糸と理解できる。

 出土時の正位置に、視点をもどして、絹製品の副葬状態を想定すると、染織品残欠(1)のループの隙間 から透けるように、目の積んだ染織品残欠(2)の下地が見えることになる。

4 紙断片

(PL.6 5・14・15)

 木製台座下面と鏡面との間に遺存していた繊維製品3層のうち、出土状態では一番下、鏡に密着してい た紙である。台座底面を上に平置きして俯瞰した状態では、一番上にあり、木製台座下面の半分ほどの範 囲に、平織の染織品残欠(2)を覆うように密着遺存している。

 重なっている絹製品2種に比べ、繊維の遺存状態は良好で、破断面付近には弾力を保持している部分も ある。緑青がしみこんでいる部分が斑状にみられるが、繊維自体は白い。鏡面から剥落した断片資料にも 同じ特徴をもつ紙断片が観察され、鏡面の広範囲に密着していた状況を想定できる。一方、鏡背に同様の

紙が付着していた痕跡はみられない。

 なお、鏡背には、特徴を異にする紙の断片類が付着していたが、これについては帖紙残欠の項で記述す る。

5 蓬萊鏡

(第2図、PL.8 1)

 被葬者の後頭部付近から鏡面を上に向けて出土した円鏡である。面径11.7㎝、重量400g、小型ながら重 量感のある蓬萊鏡で、下向きの菊亀甲亀鈕が中心に配され、鏡背の文様表出は明確である。

 縁は直角式中縁で(中野1969)、わずかに凸面をなす平滑に磨かれた鏡面から縁上面までの高さは1.1㎝、

上面幅は4.5㎜を測る。内区と外区をわける界圏は中線単圏で、断面の頂点がやや外区寄りにある。鏡胎 の厚みは、平均的なところで3.5㎜前後、界圏および肉高の部分で5㎜前後、鈕頂部で7.7㎜前後あり、肉 取りの高低による立体的な表現で蓬萊文様のモチーフが余白を残さずに施されている。

 なお、鏡面には紙断片が、鏡背には帖紙残欠が、点々とではあるがそれぞれ広範囲に付着していた。

 材質に関しては、成瀬正和氏により、銅、鉛の2成分合金であるという分析結果が報告されている(本 報告293頁)。

 出土時、鏡面上には木製台座が密着し、両者の間に、染織品(絹製品)残欠2種と紙が遺存していた。

しかし、鏡箱の存在を示す木胎あるいは漆膜の断片は遺存していなかった。また、鏡背側には炭化物を多 く含む断片化した資料群があり、その中に梳櫛が遺存していたにもかかわらず、櫛以外の木製品の痕跡は 全くなく、また、漆膜の断片もなかった。

 漆塗手箱の懸子、鏡箱の底板厚は、実測図・計測値が公表されている三嶋大社の伝世品を例に確認する と5㎜前後ある(中里1986)。伝世資料の木胎の厚さを念頭に置くと、この蓬萊鏡が副葬されたとき、鏡 の周囲に鏡箱が存在した可能性は低いと判断できる5)。さらに、白磁皿と鏡のあいだに板材よりも脆弱な 繊維製品が遺存していたことを考えるならば、懸子についても存在していた可能性は低いと判断できる。

〈図2・図3出典〉 天野 努 2006 『流山運動公園周辺地区埋蔵文化財調査報告書 1        −流山市思井堀ノ内遺跡(中世編)−』千葉県教育振興財団調査報        告第549集 112頁 第40図

(縮尺1/1)

0 5㎝

(縮尺1/2)

0 5㎝

第2図 蓬萊鏡

第3図 梳櫛

6 帖紙残欠

(PL.7 1〜24)

 すべて断片化した資料である。薄くて非常にもろい。金属とはみえないが銀色に光る面をもつことによ って、他の断片類から明確に区別できる。この特徴的な面については、雲母引きの可能性が考えられる。

そして、雲母引きの可能性がある面には、金の切箔・砂子が散らされている(1〜4)。黒ずんだ灰色を 呈する切箔・砂子や野毛が観察される断片もあり、銀などの箔も併せ用いられているとみられる(5・6)。

 鏡取り上げ後に回収された一括資料を主体とするが、鏡背面に付着していた断片にも同じ特徴をもつ資 料がある。また、白磁皿の底面から剥落した断片資料(23・24)にも共通する特徴を見いだせる。同種多 数の断片中に、複数個体の可能性を示す要素の確認はできていない。

 最も大きな破片で30.2㎜×20.6㎜ほどの大きさであるが、鏡背面に残されていた付着痕跡の範囲から、

蓬萊鏡(面径11.7㎝)とほぼ同じか、それ以上に大きな面を持つものであったことがわかる。

 加工痕として特筆されるのは、角の始末として折り込まれた部分(7・8)が遺存していることである。

この直角に仕上げられた加工部の存在と、折り畳まれた山の部分とみられる断片(13・14)の存在、想定 される大きさ、そして、金銀による装飾性が明確であることから、帖紙と判断した。

 帖紙は、王朝服飾の成立とともに用いられるようになった懐中に入れる紙である(長崎1999)。折りた たみ懐中する紙は、多様な用途に供されるが、美しく飾られて装身具としての機能を付与されたものが発 達し、実用的な紙を懐紙、装飾性の強いものを帖紙と呼び分けるようになったと言われている(長崎 1999)。

 中世以前にさかのぼる帖紙類の伝世資料としては、奈良市春日大社の秋草蒔絵手箱(重要文化財 鎌倉

〜南北朝時代[14世紀])内容品の帖紙・懐紙(奈良博2007)、および和歌山県新宮市熊野速玉大社古神宝 類(国宝)中の紅帖紙附懐紙(明徳元年[1390]頃)がある(和歌山県博2005)。

 本出土品は、まさに残欠であるが、破断面の多い遺存状態ゆえに、構造を直接観察できるという側面を もっている。

 破断面を顕微鏡で観察すると、金銀で装飾された雲母引きの可能性がある面の下に、紙の繊維の層、あ るいは黒色の層、黄褐色の半ば透明な膜状の層など、色調や質感を異にする薄い層が幾重にも重なってい る様子を確認できる。

 雲母が用いられている可能性がある層の断片中には、ごく薄い同質の層が何枚も重なっている部分もあ る。このような構造をもつ部分は、ごく薄く剥離して、微塵のようになっても特徴をとらえることができ る。

 ベースとなる紙について注意されるのは、からまりあう繊維の空隙が、土のようなもので充填されてい る点である。充填物は、観察に用いた顕微鏡では粒子をほとんど確認できないほど細かく、緻密な板のよ うに観察される(4・6・20)。塡料として土が漉きこまれた状態か、具引きの痕跡かは未確認である。

 肉眼で黒色にみえる部分を顕微鏡で観察すると、全く特徴を異にする二種があることがわかる。ひとつ は、拡大してもほとんど粒子を確認できない墨とみえる層(15・16)であり、もうひとつは、拡大すると 繊維の特徴を観察できる黒色部分(PL.8 13・17)である。

 前者の墨のように見える黒は、雲母引きと見える層と交互に重なっている部分があり(15)、帖紙に包 まれていた内容物6)ではないことがわかる。同一物か否かの確認はできていないが、浮き上がるなどして 裏が見える状況にある金切箔の片面にも黒い面があり、これらの黒い部分について、接着剤などの痕跡で

ドキュメント内 研究紀要 第28号 (ページ 119-129)