第 10 章
10.4 粒子の同等性
ここで,2個の同種粒子が衝突する状況を考えてみよう。かなり唐突な問題設定だが,次節以降,というよ り量子力学全体において,大変重要な結論を得る。
ある瞬間に粒子1と粒子2が区別できたとしよう。図10.4(a)に示したマクロな系では,粒子1と粒子2の 任意の瞬間の位置と速度が正確に分かるから,粒子1と粒子2の軌跡は
ニ ュ ー ト ン
Newton ほうていしき方程式を解くことによって,
いくらでも正確に知ることができる。次に,図10.4(b)に示したミクロな系において,粒子1の位置を正確に 決定できたとしよう。ここで,位置の不確かさを∆qで表すとすれば,位置を正確に決定できたということは
∆q = 0と書ける。粒子1の位置を正確に決定すると,粒子1の運動量は全く不確かな状態∆p=∞になる。
10.5 2電子系のスピン軌道関数とPauliの排他律 141 これはふ か く て い せ い げ ん り
不確定性原理(∆q·∆p ∼h)によるもので,避けようにない不確かさである。運動量pが不確かとい うことは,∆p=m·∆vを思い出せば分かるように,粒子の速度について全く情報がないことを意味する。す なわち,次の瞬間に粒子1がどこに行くのかという情報が全くない。これでは,次の瞬間に粒子を捉えること ができても,それが粒子1なのか粒子2なのか区別できない。この簡単な考察で分かったように,ミクロな系 では,2つの同種粒子は本質的に区別できない。区別できない以上,2つの同種粒子を同等と考えるのが量子 力学の考え方である。これをりゅうし粒子のどうとうせい同等性という。粒子が同等ということは,2つの粒子からなる系の波動関 数をΨ(τ1, τ2)としたとき,これと,粒子を交換した波動関数Ψ(τ2, τ1) が同じ状態を表すということである。
すなわち,
Ψ(τ1, τ2) =eiθΨ(τ2, τ1) (10.19)
が成り立つ。ここで,eiθ は位相因子である。これとは逆の式も同様の理由で成り立つ。
Ψ(τ2, τ1) =eiθΨ(τ1, τ2) (10.20)
この2式から,ただちに,
eiθ =±1 (10.21)
を得る。これを(10.19)式に代入すると次式を得る。
Ψ(τ1, τ2) =±Ψ(τ2, τ1) (10.22)
すなわち,粒子を交換することにより,波動関数の符号が変わる場合と変わらない場合があることが分かる。
粒子を交換することにより,波動関数の符号が変わらないことを「波動関数が粒子の交換に対してたいしょう対 称 であ る」といい,符号が変わることを「波動関数が粒子の交換に対してはんたいしょう反 対 称である」と言う。どのような粒子 の波動関数が対称で,どのような粒子の波動関数が反対称なのかは非常に重要な問題であるが,これは相対論 を考慮しなければ決定できない。結論だけを述べれば,我々の興味の対象である電子は後者である。このよう に,粒子の交換に対して波動関数が反対称である粒子をFermiフ ェ ル ミ りゅうし粒子,もしくはフェルミオンという。Fermi粒 子の仲間には陽子や中性子がある。これらは半整数のスピン量子数を持つ。これとは別に,0もしくは整数の スピン量子数を持つ粒子で,粒子の交換に際して波動関数が対称であるものをBoseボ ー ス りゅうし粒子もしくはボゾンと呼 ぶ。本書では,フェルミオンである電子だけを扱う。
10.5 2 電子系のスピン軌道関数と Pauli の排他律
1s軌道や2p軌道など,1つの原子軌道に電子が何個まで収容されるのかは,原子のスペクトルや原子の化 学的性質(ともに12章で扱う)と関係する重要な問題である。これは,原子スペクトルなどの実験事実をも とにPauliがたてた規則であるパ ウ リ の は い た り つ
Pauliの排他律に集約される。(1924年)Pauliの排他律はPauliの禁制律と
かPauliの原理とか,いろいろと呼ばれる。
Pauliの排他律 2つの電子は同じ1粒子状態を占めることができない。すなわち,1つの軌道にはαお よびβ のスピンの電子をそれぞれ1個収容可能であるが,同じスピンの電子を2個以上収容することはでき ない。
Pauliの排他律と電子がFermi粒子であるという要請から,スピン軌道関数のスピン成分には制限が生じ
る。2 電子系の波動関数が1電子軌道の積で表されるとして*5,波動関数のスピン成分がどのように限定され るかを見てみよう。ここで,φ1s(1)という表記で電子1が1s軌道に入っていることを表すことにしよう。ス ピン部分も同様に,β(2)で電子2のスピン成分がβであることを示すとする。もちろん,これらはφ1s(r1)や
*5 この方法を1電子近似という。詳しくは12章で論じる。
β(σ2)と書くのがより正確であるが,φの変数はrしかとらないし,αやβの変数はσしかとらないから,こ のような省略形で書いても混乱するおそれはないだろう。
10.5.1 波動関数の対称性と Pauli の排他律
ここで,1s軌道に電子が2個収容され,どちらもαスピンであるとしよう。これは,Pauliの排他律に抵触 した状態であるが,まずはこの状態について検討しよう。1s軌道に電子が2個収容され,どちらもαスピン である状態は,
Ψ(1,2) =φ1s(1)α(1)φ1s(2)α(2) (10.23)
と書ける。ここで電子1と電子2の役割を交換した波動関数をΨ0 とすると,
Ψ0(2,1) =φ1s(2)α(2)φ1s(1)α(1) (10.23)式の1と2を交換した
=φ1s(1)α(1)φ1s(2)α(2) 積は順番を変えてもよい
= Ψ(1,2) (10.24)
となるから,Ψが粒子の交換に対して対称であることが分かる。すなわち,Pauliの排他律に反する状態を仮 定すると,電子がFermi粒子であるとする要請と矛盾する。これは,Pauliの排他律に抵触しないことが,波 動関数が反対称であるための必要条件になっているともいえる。すなわち,波動関数が反対称であるという要
請がPauliの排他律を包含していることを意味する。そこで,次節以降では波動関数の反対称性に注目して2
電子系のスピン軌道関数を組立てよう。
10.5.2 2 電子系波動関数のスピン成分
まず初めに,2電子系の波動関数のスピン成分についてまとめておこう。例えば, 2つの電子がともにαで ある場合を考えよう。これはα(1)·α(2)で表される。「·」は見やすさのために入れただけで,特別な意味は ない。同じく,2つの電子がともにβ である場合はβ(1)·β(2)で表される。では,1つの電子がαで,もう 1つの電子がβである場合はどうだろうか。これがα(1)·β(2)で表されると考えるのは早計である。なぜな ら,電子は1つ1つを区別できない粒子であるから,α(1)·β(2)と同じ重みでβ(1)·α(2)も考慮しなくては いけない。同じ重みで考慮するには同じ係数で線形結合をとるのが常法である*6。さらに,線形結合をとると きに,α(1)·β(2)とβ(1)·α(2)を「足す」以外にも「引く」こともある。つまり,α(1)·β(2) +β(1)·α(2)と α(1)·β(2)−β(1)·α(2) である。ここで,「足す」と「引く」で非常に大きな違いが生じる。それはPauliの 原理に関わることで,2つの電子の役割を変えてみれば分かる。つまり,「足す」は1と2を入れ換えても
α(1)·β(2) +β(1)·α(2) −−−−−−−−−−−−→1と2を入れ替えると α(2)·β(1) +β(2)·α(1)
順番を入れ替えた
=α(1)·β(2) +β(1)·α(2) (10.25) と何の変化もないが,「引く」場合は,
α(1)·β(2)−β(1)·α(2) −−−−−−−−−−−−→1と2を入れ替えると α(2)·β(1)−β(2)·α(1)
順番を入れ替えた
=−[
α(1)·β(2)−β(1)·α(2) ]
(10.26)
*6 正しくは,「係数の自乗が同じ」。1と1だけでなく,1と−1も同じ重みでの線形結合である。これが本文中の「足す」と「引く」
の違いである。
10.5 2電子系のスピン軌道関数とPauliの排他律 143 と符号が変わる。このように,α(1)·β(2)とβ(1)·α(2)を足すことによって得た関数は対称であり,逆に,
α(1)·β(2)からβ(1)·α(2)を引くことによって得た関数は反対称になる。もちろん,α(1)·α(2)とβ(1)·β(2) は対称である。以上をまとめると次のように書ける。
Γ対称 =
α(1)·α(2) β(1)·β(2)
α(1)·β(2) +β(1)·α(2)
(10.27)
Γ反対称= α(1)·β(2)−β(1)·α(2) (10.28)
case I:2個の電子が同じ軌道に入っている場合
ここでは,2個の電子がともに1s軌道に入っている場合について考えよう。波動関数の軌道成分は,
ψorb=φ1s(1)·φ1s(2) (10.29)
で表される。この軌道関数が対称であることは明らかである。Pauliの原理によると,全波動関数は反対称で なければならない。軌道部分が対称である場合,全波動関数の反対称性はスピン部分が
にな
担わなくてはいけな い。すなわち,
全波動関数(反対称)=軌道成分( 対称)×スピン部分(反対称)
=軌道成分(反対称)×スピン部分( 対称) (10.30) のいずれかの組み合わせで,全波動関数の反対称性を保つ。ここでは軌道部分が対称だから,スピン成分は反 対称である必要があり,(10.28)式だけが候補に残る。すなわち,
Ψ =ψorb·ψspin
=φ1s(1)·φ1s(2)·[
α(1)·β(2)−β(1)·α(2) ]
(10.31) が今考えている系の全波動関数である。くどいが,これが反対称性を有していることは,1と2を入れ替えれ ば理解できる。電子1と2を入れ替えた状態をΨ0とすると,
Ψ0=φ1s(2)·φ1s(1) [
α(2)·β(1)−β(2)·α(1) ]
=−φ1s(1)·φ1s(2) [
α(1)·β(2)−β(1)·α(2) ]
| {z }
=Ψ
=−Ψ (10.32)
となり,確かに反対称性を有している。ただし,ここでの議論は波動関数の反対称化に集中するため,波動関 数は規格化していない。2電子系におけるスピン軌道関数の規格化は次の節で示す。
case II:2個の電子が異なる軌道に入っている場合
次に,2個の電子が異なる軌道に入っている場合について,1s軌道と2s軌道に入っている場合を例にして考え よう。粒子の同等性からφ1s(1)·φ2s(2)とφ2s(1)·φ1s(2)は同じ重みで考慮する必要があるから,軌道部分は,
ψorb,s=φ1s(1)·φ2s(2) +φ2s(1)·φ1s(2) (10.33)
ψorb,a=φ1s(1)·φ2s(2)−φ2s(1)·φ1s(2) (10.34)
で表すことができる。ψの右下に付けたsとaは対称(symmetry)と反対称(asymmetry)を表す。残りの スピン成分は,軌道関数が対称の場合には反対称の(10.28)式を,軌道関数が反対称の場合には対称の(10.27)
式を選べばよいので,次の結果を得る。
ΨS(1,2) = [
φ1s(1)φ2s(2) +φ2s(1)φ1s(2) ][
α(1)β(2)−β(1)α(2) ]
(10.35)
ΨT(1,2) = [
φ1s(1)φ2s(2)−φ2s(1)φ1s(2) ]
α(1)α(2) β(1)β(2) [
α(1)β(2) +β(1)α(2)
] (10.36)
(10.36)式で表される状態はスピン成分が三重に縮退しているからさんじゅこうじょうたい
三重項状態(triplet)といい,TをΨの右 下に付けて表すのが慣例である。これに対して,(10.35)式で表される状態はいちじゅうこうじょうたい
一 重 項 状 態(singlet)といい,S をΨの右下に付けて表す。
10.5.3 2 電子系スピン関数の規格化
ここでは,2電子系におけるスピン関数の規格化について考える。結論から言えば,(10.27)式と(10.28)式 を次のように書き換えれば,規格化されたスピン関数となる。
Γ対称=
α(1)·α(2) =: Γαα
β(1)·β(2) =: Γββ
√1 2
[
α(1)·β(2) +β(1)·α(2) ]
=: Γαβ+
(10.37)
Γ反対称= 1
√2 [
α(1)·β(2)−β(1)·α(2) ]
=: Γαβ− (10.38)
これらが規格化されているか確認しよう。これには,Γαα=α(1)·α(2)とΓαβ−= 1
√2 [
α(1)·β(2)−β(1)· α(2)
]
について確認すれば十分であろう。
∫∫
|Γαα|2dσ1dσ2=
∫∫
α∗(σ1)α∗(σ2)α(σ1)α(σ2)dσ1dσ2
=
∫
α∗(σ1)α(σ1)
| {z }
=|α(σ1)|2
dσ1
∫
α∗(σ2)α(σ2)
| {z }
=|α(σ2)|2
dσ2 積分を変数ごとに分離した
= 1×1 = 1 (10.18)式より (10.39)
∫∫
|Γαβ−|2dσ1dσ2= 1 2
∫∫ [
α∗(σ1)·β∗(σ2)−β∗(σ1)·α∗(σ2) ][
α(σ1)·β(σ2)−β(σ1)·α(σ2) ]
dσ1dσ2
= 1 2
∫∫
α∗(σ1)α(σ1)β∗(σ2)β(σ2)dσ1dσ2− 1 2
∫∫
α∗(σ1)α(σ2)β∗(σ2)β(σ1)dσ1dσ2
− 1 2
∫∫
α∗(σ2)α(σ1)β∗(σ1)β(σ2)dσ1dσ2+1 2
∫∫
α∗(σ2)α(σ2)β∗(σ1)β(σ1)dσ1dσ2
展開した
= 1 2
∫
α∗(σ1)α(σ1)dσ1
∫
β∗(σ2)β(σ2)dσ2− 1 2
∫
α∗(σ1)β(σ1)dσ1
∫
α(σ2)β∗(σ2)dσ2
− 1 2
∫
α(σ1)β∗(σ1)dσ1
∫
α∗(σ2)β(σ2)dσ2+1 2
∫
β∗(σ1)β(σ1)dσ1
∫
α∗(σ2)α(σ2)dσ2
積分を変数ごとに分離した
= 1
2 −0−0 +1
2 = 1 (10.18)式より (10.40)
これで,(10.37)式と(10.38)式で表される2電子系のスピン関数が規格化されていることが確認できた。
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