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(8)生徒(下位)文化研究では、例えば、学校の格差に応じた特有の学校文化  とりわけ生徒文化が、ランクが下位の高校の場合には、生徒の悪化を促進す  るという論文(武内清他「学校社会学の動向」 『教育社会学研究』第37集  1982年 pp70〜72)や、非進学校の生徒が進学校の生徒に比べて、どのよう  な価値観や態度を形成しやすいのかを調査し、それの選別の過程(ストリー  ミング)のインパクトと関連づけて分析した結果、非進学校の生徒集団は、

 進学校のそれとちがって反学校的な下位文化を形成しやすいという論文(岩  木秀夫・耳塚寛明編「高校生一学校格差の中で」『現代のエスプリ』至文堂  1983年)がある。

  なお、関連して、斎藤は以下のように語っている。

  「いまの非行は、家庭環境なんかよりは学校の成績との相関性がずっと高  いという調査を見たことがあるのですが、実際にそうだと思うのね。つまり、

勉強がわからなくなって落ちこぼれちゃうと、学校の中にどうにも身の置き  ようがなくなつちゃって、鋭敏に荒れるのね。そういう子っていうのは、一  応勉強はできて、でも学校とか先生とかが嫌いになって非行に行った子より  も、ずっと戻る糸口がつかみにくいわけ。見てて、本当にかわいそうなんで  すけどね。それで、勉強なんかわかんなくてもいいじゃないか、そりゃわか  んないよりはわかったほうがいいに決まってるけど、それは一本の尺度にす  ぎなくて、もっと別の尺度だってあるんだから、という論理を立てたくなる  んだけど、現実の問題として、それじゃダメなんですね。やっぱり学校の中  にいる間は、勉強がわかるということが絶対の価値でしょ。出来ないより出

来るほうがいいって軸をはずしちゃうと、学校って成り立たないわけだから。

 それで、とにかく、とりあえず学校が自分の場所だと考えられる程度は勉強  がわかるようになってくれないと、出口の探しようがない。そういう子自身  も、できることならわかりたい、なんとか0点より30点取りたいという気持  ちは持ってるわけだし… 。やっぱり、学校という正規の場所で自分牽取  り戻す通路は、勉強しかないってことに、どうしてもなつちゃうのね。それ で、学校に心ある先生がいれば、そのことはわかってて、落ちこぼれちゃっ  た子にじっくり個別指導するわけ。一略一でもたいていは、一回じゃ成果が

上がんないわけ。そうすると、アキラメが早いっていうのかな、あんなにや  つたのに…  と、すぐもとへ戻っちゃうらしいのね。実際はあんなにって  いうほどでもない、ほんのちょっとなんだけど、その子にすれば、スゴック

 なのね。一略一教える側がいくら要約して、ヤマかけてやって、手続きの簡  略化をはかっても、なかなかそこで一線を突破するってふうにはいかないん  ですね。一後、略一」

  (斎藤次郎、森毅 『元気が出る教育の話〜学校・世の中・自分〜』

  中公新書 1982年pp.135〜137)

(9)文部省の調査によると、高校中退者は、昭和57年度一10方6000人、平成2  年度一12万3529人で過去最多(前年より460人増)である。中退率は、昭和  58年度一2.4%で過去最高を記録したが、昭和62年度および63年度一2.1%

 で低下傾向を示したが、平成元年度、2年度一2.2%で再び上昇の傾向にあ  る。なお、全日制は10万451人(前年比1.4%)で初めて10万人を突破した  (とくに、公立全日制一4.1%)。また、中退した時の学年は、1年=53.0  %、2年:35.2%、3年:11.2%であり、1年での中退が過半数:(入学後1  カ月で2700人以上が退学)をしめている。さらに、中退理由で多かったのは、

 進路変更:38.9%、学校生活・学業不適応:26.6%、学業不振:11.3%(と  りわけ、進路変更は前年に比べ、4937人〈11.4%〉の大幅増)であり、進路  変更の希望先一就職:66.2%、別の学校:12.1%、専門学校=8.4%であっ  た。  (平成4年1月に発表)

  また、宮崎は「公・私立の比較と学年別をみてみよう。広島県教委と県文 教課のまとめによると、公立763人、私立732人で、全生徒数に対する比率  は、公立が1.07%、私立は2.52%にあたる。学年別では、一年置662人、二

年生569人、三年生254人、四年生(定時制のみ)10人と低学年ほど中退者  が多い。」と述べている。

  (宮崎和夫「第6章低学歴マイノリティ」麻生誠編著 『学校ぎらい   勉強ぎらい』福村出版 1983年 p148本統計は、昭和54年度である。)

(10)日本青少年研究所編 『高校中退の日米比較調査』 1989年

  なお、同調査では「学年が上がるにつれて、退学者が増える」という結論  も記されている。

(11)小林剛  「高校中退者たちのその後から中退問題を考える」『少年補導』

 大阪少年補導協会 平成4年2月号 とくに、pp.13〜14

  なお、収録の調査名は「府立高校中退者実態調査」 (大阪府)である。

(12)宮崎和夫「第6章 低学歴マイノリティ」 前掲書 1983年p152

(13)なお、不登校現象については、中学生の場合であるが、森田は「現代の不 登校現象には、 『授業がわからない→学習意欲の喪失→無気力→倦怠感』と

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いう一連の要因連鎖が少なからず関係していることがデータから読み取れよ  う。」と述べている。

  (森田洋司 r「不登校」現象の社会学』学文社 1991年p173)

(14)ロバート・K・マートン 前掲書 1961年pp.138〜141   参考までに、「逃避主義」について、同著で紹介しておく。

  「たとえば、同調的努力のあとに儀礼主義的適応がみられ、また儀礼主義  的適応のあとに逃避主義があらわれる。」および「とりわけ、当事者にとつ  て、この状態が無限に続くと思われる場合に生じる」さらに「彼ら 志無感  動の状態をもち続ける傾向がある◎」(pp.173〜174)

  ここから、「儀礼主義」とある程度交錯している部分があるように思われ

 る。

  なお、そもそも筆者は、文中の「無気力(inaction)」という語のゆえに、

 「儀礼主義」に着目することになったのである。

(15)米川茂信  『社会的アノミーの研究』学文社 1987年 p241

  ここで、米川は「マートンは、 『社会的適合、逸脱および機会構造一デュ  ポンとクロワードの貢献に関するコメソトー」 (Social(hnfomity, Devia−

 tion, and Opportuni ty−Structures:A Coimnent on the Contributions of D−

ubin and C loward, American∈Sociological Review, vol.24,1959一筆者、注

p248一注12)において、逸脱行動への社会的圧力とこの圧力に対する脆弱性  (vulnerabi l ity)とを区別するに至る。つまり、脆弱性の概念を媒介するこ  とによって、アノミーと逸脱行動との連関が考察されているのである。」と  述べている。

*第2節

(16)井上敏明 前掲書 1979年p2

(17) lbid. p21

(18) lbid. p22

(19) lbid. p39

(20) lbid. p66

 文中の「そのあらわれ方にも事情が違ってくる」について、同著で「学習  に無気力というとき、具象思考派の問題と抽象思考派のそれは必然的に違う。

具象派は『やろうにもできにくい』のだが、抽象派は『やればできる』ので

ある。だから、本来学習に向く抽象思考派が無気力であるのは、考えてみれ ばもったいない話ということになる。」(p85)および「抽象思考派は、能 力に問題があるというより、学習の習慣の有無や心理的トラブルで持続性を 失うが、具象派は能力そのものがはじめから失格してしまっている。受験に 向かないからである。」(p86)と述べている。

(21) lbid. p69

(22) lbid. pp. 23・一24

(23) lbid. p39

(24) lbid. p50

  文中の「記憶力」について、「よく、有名校に、上位ではいった生徒ほど  あとの伸びが悪い、などといわれているが、その生徒の中にはこの記憶型が  多いものである。」 (p56)と述べている。

(25) lbid. p52

(26)米川英樹  「3章 学力遅滞一落ちこぼれ」麻生誠編 前掲書 福村出版   1983年 pp.95〜97

(27) lbid. plOO

(28) lbid. p99

  この調査について、対象は、岡山、兵庫の公立中学校教師3188名であり、

有効回答は、788名である。また、実施時期は、1978年である。(同著p92)

  また、文中の「学力遅滞漸増型の教科」とは、「高度に抽象的なシンボル  を操作しなければならない」(同著p93)および「基本的概念や法則を習得  し、そのうえに新たな概念や知識をつみ重ねていくことに特徴がある。」

 (同列p94)とし、「学力遅滞停滞型の教科」とは、「シンボルを用いた論 理の組み立てというよりも知識の広さや深さが問題となる。一略一知識はそ  れぞれに独立しており、学習に際して順序性や概念の組み合わせかたは一様

ではない。一帰一どちらかといえばある知識を以前の知識に統合していくと  いう特徴をもつ。」(同著p94)と定義している。

  なお、上記の「学力遅滞漸増型の教科」に関連して、参考になるものを下  記にあげておく。

  森「(積み上げ信仰について)確乎たるものになつちゃったんかなあ。反 証はいくらでもあるのにね。ぼくは、中学校三年間の数学っていうのは、あ  あいう虫やら、車やら、野球に熱中するような調子でやれば、そんなに優等

生という子じゃなくて、落ちこぼれてた子でもね、だいたい半年もあればマ

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スターできる可能性はあるし、現にそういう子が、そんな多数派じゃないに  しても、確実にいるわけね。ただ、その調子に乗るっていうのがむずかしい。

特に学校という制度は、調子に乗るのをじゃまぽっかりするようなところが  あるからね。

 斎藤「ただね。これは中学で悪戦苦闘してる女の先生から聞いた話なんだ けど、数学がぜんぜんダメになつちゃってる中学生に、分数を教える、小学 校の三年生程度のところまで戻ってね。そうすると、小学校三年生のスピー  ドよりは絶対早いっていうわけ。それから、落ちこぼれっづけてきたように

見える子どもでも、やっぱりちゃんと成長していて、毎日ちゃんとやりさえ ずれば短縮できる力を身につけているって。一三、略一」

 森「略一分数を知らなければ微積分がわからないということは、絶対ない  と思うな。で、分数のない文化で育った人に微積分を教えることは可能であ  る。しかし、眠りに分数を教えたとしますね。そうすると、小学生に教える

分数と、中学生、高校生に教える分数と、分数のない文化国家から来た数学 者に教える分数とは、たぶん教え方が違うはずだ。果たして小学生に教える  と同じ方式で、中学生なり高校生に教えるのが適切かどうかはわからない。」

 森「略一意外と、分数を知らないからあとが出来ないという種類のことは、

 それほどないんですよ。一後、略一」

  (斎藤次郎、森毅前掲書1982年pp.140〜141, p148, p149, p149)

(29) lbid. p98

  関連して、宮崎は、「麻生誠らが、1979年(昭和54)年に、大阪・兵庫・

岡山の各県の6000人の高校教師を対象にした調査によると、『学力遅滞』の 原因として、もっとも多かったのが『勉学についての自覚や努力が足りない ため』であった。英・数・国6社・理の各教科とも7〜8割を占め、とくに 工業科目では9割をこえている。一略一この学力遅滞が中退者の予備軍なの である。」と述べている。(宮崎和夫 「6章低学歴マイノリティ」麻生 誠編 前掲書 1983年 p160)

(30)麻生誠他 『学校の社会学一現代学校を総点検する一』今文社 昭和61年  pp.186〜197 [秦政春著] なお、この統計は昭和52年のものである。

  なお、秦は同著で、「学業成績そのものも社会階層(親の職業階層)に規 定される。そして、教師は『学業不振』に陥った原因を生徒の能力そのもの に求める傾向が強い。」と述べている。(pp.186〜197 調査は、昭和54年 および56年に福岡教育大学教育社会学研究室が中学校3年生を対象に行なつ

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