第2章 研究対象楽曲
本論の研究対象範囲はルイ14 世治世下(1671-1715)の王立音楽アカデミーで上演され た劇場作品内の舞曲に設定する。具体的には、作品の選出基準と同じ1671年から1715年 までにパリで出版された劇場作品のフルスコア、およびスケルトンスコアの印刷資料を参 照し、いずれかの資料で舞踏種のタイトルがつけられている楽曲全てを研究対象として抽 出する。この範囲は、一定の条件下でできるだけ様々な作曲家によって作曲された伴奏舞 曲を大量に収集するという目的に最もふさわしいと考える。
統計という手段をとる以上、前章で見たとおり研究対象を恣意的に選択していては、そ の結果がどれほど一般的なものかが明らかにならず、舞踏種の形態的特徴は曖昧なままに なってしまう。さらに今までは研究対象を定めた場合でもその範囲が曖昧に処理されてお り、その論拠に信頼が置けなかった。これらの問題点を踏まえ、研究対象となる楽曲の範 囲は厳密に定める必要がある。単に作品を限定するのに加えて、どの資料を使用するか、
その上でどのような基準で楽曲を収集するかを厳密に設定することが、先行研究での反省 も踏まえて必要とされる。劇場作品内の伴奏舞曲として作曲された楽曲という研究対象は、
研究対象の恣意性をできる限り排除するための一つの試みである。楽曲を一定の条件の下 に収集することは、データにある程度の客観性をあたえ、研究結果を数値という形で明確 に提示することを可能とさせるものである。
さらに、対象が1人の作曲家に偏っている場合、統計結果はその作曲家個人の様式研究 との区別が曖昧になることを避けられない。エリス(=リトル)らによる先行研究はまさ に、リュリやバッハという特定の作曲家に着目しているがゆえに、その結果が一般的なも のといえるのかわからないという問題を引き起こしているといえる。これを解決するため に、本論では対象を作曲家ではなく演奏された場、すなわち劇場に設定し、特定の期間に 上演された作品から研究対象を抽出することを試みる。研究対象範囲を作曲家に限定しな いことで、個人様式研究の概念を排除し、統計の結果に個人様式からくる偏差の影響をで きる限り少なくすることを目指す。
本論での結論は逆に言えば、ここで定める抽出条件によって収集された舞曲の分析によ って導き出されるものであり、それ以上に敷衍されるべきものではない。本論もまた先行 研究と同じように、舞踏種の包括的な一般論に迫る性質のものとはいえない。ただし以下 に述べるとおり、当時の舞踊文化の中心といえるルイ14世治世下での劇場作品という点に 留意すれば、この範囲設定は伴奏舞曲としてのバロック舞曲の、ある意味でモデルとなる
姿を提示するといえ、その意義は十分に見出せるのではないかと考える。
2-1 研究対象楽曲の把握と記号付け
分析にあたり、本論の本文中で作品、資料、楽曲について言及する場合は、原則として ここで定める記号で呼称する。この記号の体系はまず作品記号を定め、資料と作品の記号 はそれに付加的情報を加えて作成される。この記号は王立音楽アカデミーでの初演年、出 版年、舞曲の種類が一目で明らかなように体系付けたが、一方で作曲者、再演年、楽曲の 版と上演の関係に関する情報は欠落する。本論はあくまでも舞曲の一定の時代における統 計的な研究であるため、作曲の情報は捨象されても特に支障はきたさないと判断した1。
2-1-1 作品記号
作品記号はピリオドで4桁と2桁に区切られた6桁の数字、およびそれに続くアルファ ベット3字で表され、前半の4桁が王立音楽アカデミーでの初演年を、後半の2桁がその 年の何番目に上演されたかを示している。各作品のオペラ座での初演日は原則としてピト ゥのThe Paris Opéra: […] Genesis and Glory, 1671-1715.のAppendix I: Entire Repertory(Pitou
1983: 336-340)に準拠し、別表1 研究対象資料と楽曲一覧の記載もこれに従う2。アルフ
ァベットの3字は原題を想起しやすいように付記した記号で、主に原題の頭文字から作成 されているが、作品を識別する役割は前半部分の数字で果たされているため、この部分は 他の系統の記号を作成する上では省略しても差し支えないものとする。尚、リュリの作品 および楽曲にはシュナイダーによる作品目録SchneiderCの作品番号体系LWVが存在する が、これは別表1で該当作品に参照を付けるにとどめ、本論においては用いない。
例として、J.-B.リュリの《プロセルピーヌ Proserpine》LWV58(王立音楽アカデミーで の初演:1680年2月3日)は、王立音楽アカデミーで1680年に1番目に上演された作品 である。したがってこの《プロセルピーヌ》の作品を表す記号は 1680.01 とし、原題を想 起させるアルファベット3文字PROを付した1680.01PROという記号を本文中で運用する。
1 これに加えいくつかの作品に関しては、複数の作曲家による共作、別の作曲家の作品の大幅 な借用、未完の作品の別の作曲家による編集および補筆という問題が関連する。したがって作 曲者に関する情報を記号体系に盛り込むのが煩雑になりすぎる点にも留意されたい。
2 この記載はしばしば別の文献の記述(Ducrot 1970: Tableau des spectacles montés à l’Opéra de
1671 à 1715.等)と一致しないが、本論の論旨に大きな影響が出るものではないと判断し、上演
日の詳細な検証は行わないこととした。別表1 研究対象資料と楽曲一覧の注1も参照。
第2章 研究対象楽曲
2-1-2 資料記号
資料記号は作品記号の末尾に、出版された年号と版を示す記号をスラッシュで区切って 付したものとする。版を示す記号はローマ数字で表される。この記号体系は些か長いが、
王立音楽アカデミーでの初演の年と資料の出版年を同時に示す利点がある。双方の数字が 同じであれば、その資料が初演と同年に出版されたことが明らかになり、隔たりがあれば その資料は何らかの理由で初演から隔たって出版されたか、再演にあわせて出版された資 料である可能性が示唆される3。作品全体が掲載されている楽譜資料に関してはこの原則に よって記号が付されるが、その他の性質の資料、例えば器楽抜粋版や増補版などの性質の 楽譜資料に関しては、年号を示すセクションの末尾に資料の性質にしたがって記号を付す4。
先述の《プロセルピーヌ》(1680.01PRO)は、本論では5つの資料を取り扱うが、この うち作品全体が記載された版は4点で、それぞれ1680年、1707年、1714年、1715年に出 版 さ れ て い る 。 こ れ ら の 資 料 を 示 す 記 号 は 、《 プ ロ セ ル ピ ー ヌ 》 と い う 作 品 を 示 す
1680.01PROに、それぞれの出版年を表す4桁の数字をスラッシュで区切って続け、さらに
作品中で何番目に出版されたかを同様に続ける。したがってこれらの資料はそれぞれ 1680.01PRO/1680/I、1680.01PRO/1707/II、1680.01PRO/1714/III、1680.01PRO/1715/IVと表さ れる。ここで末尾のローマ数字はあくまでも資料が出版された順番を示しており、版の相 違をしているわけではない。事実1680.01PRO/1707/II と1714/IIIの表題紙にはどちらも第 2版であることが記されており、1715/IV の表題紙には第3版という記述があるが、この 情報はこの記号体系では反映されない。そして 1680.01PRO に関して本論ではもう一つ、
1715年に出版された声楽曲の抜粋版を参照するが、これは年号を示す 1715に資料の性質
を示すairを付した1680.01PRO/1715airという記号を用いる。
2-1-3 楽曲記号
個々の楽曲は、先述の研究対象作品の記号からアルファベット3文字を省略し、舞踏種 の略号、作品内で同種の舞踏種を区別する数字とアルファベットの順で記す。区別する番
3 尚、本研究においては資料の各版と王立音楽アカデミーでの再演との関連性は捨象する。
4 記号の体系は以下の通りである:air(声楽抜粋版);s(器楽抜粋版);app(増補版);cg(幕 差し替え)。このほか、1702.02FML、1710.02FVE、1714.02FTHには各幕ごとに出版された資料 が存在するが、これに関しては各幕のタイトルの頭文字から任意に作成したアルファベットを 用いた。
号はまず同一の舞踏種によるまとまり(シークエンス)ごとに資料内で出現する順番に基 づいて数字を振るが、版によって差異がある場合(2-4-4参照)は初版の資料内の掲載 順を優先し、後の版で挿入された楽曲はその後に続けて数えている。楽曲が単独で存在し ている場合には数字のみを付し、シークエンスとみなした場合には、個々の楽曲が掲載さ れている順序をアルファベット小文字で後に続けて示した5。ただし、統計上旋律が同じ楽 曲は1曲と数えるため、資料上同じ旋律の楽曲が複数回資料に記載されている場合は、出 現順にしたがって複数アルファベットを振っている。最後に、タイトルに舞踏種の名称を 含まないが、研究対象に採用された楽曲に隣接する同じ拍子を持った楽曲(B基準:後述)
は、記号の末尾のスラッシュの後にfを付けて示す。
例として《シルセ Circe》(1694.02CIR)には合計5つの楽曲がメヌエットとして研究対 象に採用されるが、このうち1694.02CIR/1694のpp. xlij-xlvに掲載されている隣接した3 拍子の楽曲群をMn1と捉え、pp. xlij-xliijの〈Menuet pour les Nymhes de la suite de la Seine.
SECOND AIR, MENUET.〉は1694.02/Mn1a、後続pp. xliij-xlivの〈DEUXIÉME MENUET.〉
は1694.02/Mn1b、さらにそれに続くpp. xliv-xlvの、タイトルにメヌエットの語句を含まな
い3拍子の楽曲〈DEUX NYMPHES, & le Choeur en Rondeau.〉は1694.02/Mn1c/fと示す。こ れとは別の箇所のpp. 257-259に掲載された楽曲群はMn2と捉え、pp. 257-258の〈MENUET
POUR LES NEREIDES. DEUXIÉME AIR, Menuet.〉を1694.02/Mn2a、隣接するpp. 258-259
の〈UNE NEREIDE. AIR.〉を1694.02/Mn2b/fと示す。
2-1-4 別表1 研究対象資料と楽曲一覧について
研究対象資料および研究対象楽曲の総体は別表1 研究対象資料と楽曲一覧に掲載す る。ここでは各作品が初演日の順に列挙され、それぞれに準拠した資料、および研究対象 楽曲の順で列挙する。このうち研究対象楽曲は表の形で資料間でのタイトルの差異の比較 が行われる。
ここには本論第4章で数量的統計を取るほかは直接取り扱わない舞踏種舞踏種も、楽曲 記号を付けて掲載している。これは別表1 研究対象資料と楽曲一覧が今後の発展的研究 を行う上で典拠となることを計画したためである。これらの楽曲の記号付けをするにあた
5 あくまでもして資料で出現する順番にしたがって番号を付しているため、実際の演奏の順番 は考慮されない。したがって巻末の補遺に掲載されている楽曲が資料本文中の楽曲に続けて演 奏されることが示唆されていた場合でも、本論での記号は別個に付されることとなる。