第一章で述べたように本論文では、実環境におけるアドホックネットワークの利用を想 定して次の2つの研究を行っている。
・ 無線 LAN と AODV ルーチングを用いたアドホックネットワークの実環境における性 能評価実験
・ ノード数の多い高密度環境に適したアドホックルーチング方式の提案
以下では、このそれぞれについて、既存の研究動向と、本論文での研究の特徴について 示す。
3.1
実環境における性能評価実験 3.1.1 既存研究アドホックネットワークの検討が進むにつれて、実際にテストベッドを構築してシステ ムの性能評価を行うという研究報告が何件か行われている[24]-[26], [28]。 [24]では、Linux
kernel 2.2.12にAODVルーチングを実装し、802.11無線LANカードを用いてノード間のシ
ングルホップ通信とマルチホップ通信実験を行っている。[25]はIEEE 802.11b無線LANの アドホックモード通信によるリアルタイムアプリケーション実験を行い、RTTと端末間の 距離の関係について調査し、また受信電波強度(RSS)が RTT にどのような影響を与えるか についても解析している。[26]では、Linux上で動作する LANMAR を実装し、ノート PC を用いて通信実験を行っている。また実験に際しては、静的ルーチングを用いて通信実験 を行った場合の結果やソフトウェアシミュレータの QUALNET[27]を用いて同じネットワ ーク環境を構築し通信実験を行った場合の結果と比較し、CBRのデータ配送率、スループ ット、遅延時間といったパラメータを検証することで性能評価を行っている。[28]ではル ーチングプロトコルとしてOLSRを用いて大規模な無線アドホックテストベッドネットワ ークを構築し、通信実験を行うことで信号対雑音比(SNR)、パケット到達率、経路変更数、
スループットなどを測定している。
3.1.2 本論文における性能評価実験へのアプローチ
アドホックネットワーク上でも、信頼性のあるデータ転送を保証するTCPが広く使用さ れる。無線LANアドホックネットワークでは無線リンク上でのフレームロスによりMAC レベルの再送が発生し、さらにMACレベルのリトライアウトによりTCPレベルの再送が 発生し、これによりTCPのスループットを低下させる。また、無線リンク上でのフレーム ロスは物理レベルの RSSや SNR といった性能に大きく関係すると考えられる。しかし、
これまでの研究では、TCP 通信について、物理レベル、MAC レベル、TCP レベルの各動 作の詳細な解析という側面からの検討は行われていない。
このような背景から、本論文ではIEEE 802.11無線LANベースのアドホックネットワー ク上で、信頼性のあるデータ転送を保証する TCPを用いて通信実験を行い、物理レベル、
MAC レベル、TCP レベルの性能を測定することを特徴とした。具体的には、物理レベル の性能パラメータとして、無線 LAN インタフェースにより各受信フレームで測定可能な RSSを用いることとした。また MAC レベルの性能を性能パラメータとして、802.11のデ ータフレームとACKフレームの再送処理について解析する。そして TCPレベルの性能と してTCP データセグメントとACKセグメントによる再送処理と輻輳制御の処理を解析す ることとした。これらの各レベルの性能パラメータを比較することにより、レイヤにまた がった解析を目指す。
ネットワーク環境としては、前述のように災害時などの消防支援ネットワークの構築に、
アドホックネットワークを適用する場合を想定し、以下の二通りの実験環境を採用した。
・ 地下街でのアドホックネットワークの構築
¾ 東京駅丸の内地下街において実施。
¾ 直線的な通路、曲がり角のある通路、広場など様々な状況を利用。
・ 建物内でのアドホックネットワークの構築
¾ 大学構内の研究棟において実施
¾ フロアーや階段のある構造を利用。
3.2
高密度環境に適したアドホックルーチング方式 3.2.1 既存研究と課題点前述のように、繁華街における地域情報の配信サービスのような通信にアドホックネッ トワークを利用すると、無線伝播範囲に多くのノードが存在する高密度なアドホックネッ トワークを実現する必要がある。このようなネットワークでは、経路を発見または伝達す るためのルーチング用の制御メッセージの転送オーバヘッドが大きくなるという問題が生 ずる。例えば、アドホックルーチングプロトコルの一つであるAODV (Ad hoc On-demand
Distance Vector)では、通信時に通信相手への経路を要求するRREQ (Route Request)メッセー
ジを隣接ノードへブロードキャストし、それを受信したノードも同様に隣接ノードへ再ブ ロードキャストしていき、宛先ノードもしくは宛先への経路を知っているノードがそれに
応答するRREP (Route Reply)メッセージを発信元ノードへ送信することによって、オンデ
マンドに宛先との間の経路を確立する方法を用いている。また、RREQメッセージを受信 したノードによる、経路維持のための定期的な Hello メッセージの交換が必要とされてい る。このため、高密度なアドホックネットワークでは、ノードによるこれらの制御メッセ ージの送信オーバヘッドが大きくなる。
そこで、このような問題点を解決するために、限られたノードのみにルーチング用制御 メッセージを転送させる方法に関する検討が行われている[29]-[31]。[29]の方法では、受信 したパケットの受信電力や電波強度に基づいて相対的な位置関係を推定し、送信ノードか ら遠くにいるノードの転送を優先させる方式を取り入れている。また[30]-[31]では確率的 な方法を用いている。[30]では、受信したデータをある確率に基づいて、再ブロードキャ ストするかどうかを判断することによって、ネットワーク全体のオーバヘッドを減らして いる。また[31]は RREQを受信した数から隣接ノード数を推定し、さらに既確立の経路情 報を考慮してRREQの中継を時間確率的に行う手法を用いている。しかしこれらの方法で は、物理的な情報や確率的動作に依存しているため、必ずしも無線伝播範囲の最も離れた ノードが中継を行うとは限らず、最適でない中継を行う可能性がある。一方[5]で定義され
るOLSR (Optimized Link State Routing)プロトコルは、上述の研究例が想定しているオンデ
マンド型のルーチングプロトコルではなく、ノードのリンク情報を交換するリンクステー ト型プロトコルである。ここでは、交換される制御メッセージの量を減らすために、隣接 ノードのアドレスを交換することにより代表ノード(マルチポイントリレイ)を選定し、そ れらの間でのみ制御メッセージを交換することとしている。しかし、この方法には、定期
的に Hello メッセージを交換するオーバヘッドが必要であること、隣接ノードアドレスを
交換しマルチポイントリレイを選択した後でしか通信が開始できず、起動直後または移動
直後のノードがすぐにデータ転送を開始できないことなどの問題点がある。
3.2.2 提案方式のアプローチ
本研究では、通信要求に応じてオンデマンドに経路を選定するAODVルーチングプロト コルを対象として、ノードの無線伝播範囲に多数のノードが存在する場合に、あるノード と離れたノードにのみRREQメッセージを再ブロードキャストすることにより、ネットワ ークに広がるルーチング用の制御メッセージの量を制限するとともに、双方向の経路が確 立された場合にのみHelloメッセージの送信を制限する方式を検討している。この方法は、
以下の特徴を有する。
・ 隣接ノード情報を交換することにより、2ホップ先のノードの情報を入手し、自分とは 異なる隣接ノードを多く含むノードを中継ノードに選択することにより、再ブロード キャストを必要最低限とする。
・ 隣接ノード情報の交換には RREQ メッセージを使用し、追加のオーバヘッドを必要と しない。
・ 起動直後または移動直後のノードからの RREQメッセージは、すべての隣接ノードに 再ブロードキャストさせることにより、周辺の状態が不明な場合でも通信開始可能と している。
・ RREPメッセージを送信または受信したノードのみが、定期的にHelloメッセージを送 信する。