さい.だから,決定する力,だと思うんです.たとえば,親が病気にな ったとたんに,たとえば,施設に入る,…,じゃなしに,親が病気にな っても,周りの,自分の周りの家庭状況とか,社会状況がころっと変わ っても,関係なしに,私は自分らしく生きて行ける,私はここで暮らし たいよと.選択も含めて,いえる力.それをいうて,今度は,できへん ところはいろんな人にサポートしてもろうたらええんのやからね.その ことに対して,やっぱり,しんどいこともあるやん,当然ね.一人暮ら ししたいというたのに,ヘルパーさんけえへんかってんとかね.約束し た時間にけえへんかってん,大変やってとかね.飯作ったら,めちゃく ちゃへたくそで,まずいとかね.そういうこともあんのんやけど,最終 的には自分で決定してやっていく,そんなふうに辛いこともしんどいこ ともあるやろうけど,それをこう,背負う力も必要なんやろうな.決定 できるんじゃなしに,さまざまな選択をうまく出すってことやと思うん です.たとえばレストラン行ったときに,たとえば,ミートスパゲッテ ィにしますか,それとも,カルボナーラにしますかとかね.それから,
ピザにしますか,とか,いろいろいうてみて,目がちらっと動いたら,
あ,ピザやねとかいうふうになるやんか.知的障害持つとる子でも,決 定は確かに彼らが持つてるのや.それを『何食べる?』だけじゃ,わか んない.(笑い)『卵どんぶり,肉どんぶり,牛丼,…』,ゆうて,こち ら側もさまざまな選択をやっぱり出してけえへんかったら, 『何する?』
だけで終わってしまって,『何食べる?』で終わってしまって,『じゃ,
もうこれにしよっか』いうことになってしまう.そしたら,いつまでた
ってもその子が,自分の決定…,にならへん.わからへん,というとこ
ろにおるとしたら,いつまでたっても前に進まへん.百年前の福祉と一
Iさんは前は,大阪で舞台の照明の仕事をしていたが,子育ての困難 さにぶつかり,自分の生き方を少しずつ変えていく.今は地域で
NPO法人を立ち上げ,居宅支援事業で活動を展開している. 「
NPO法人がひ とつの居宅支援事業としてほかの事業がいっぱいできるんだよね.今度 は支援費になって,一人一人の生活支援がどうなっていくか.この子は 選択権いっぱい持つていて,さまざまな生活のパターンを組めるように なってきた.どんな生活が支援費の中で作り出してこれるんやろか.た らんかったら行政とどう交渉していって,時間数を増やしていくかと.」
と元気に前向きに明るい調子で語る.
FさんとIさんの違いは明確である.この違いはどこから来るのだろ うか.障害を持つ子どもの親に限らず親の一方だけで物事が決められる 可能性は否定できないが,この二人のケースは前後の語りから母親と父 親の違いという訳ではないだろう.地域の違いも年代の違いもない.考 えられるのは施設を選択したことと,地域で多くの援助を作り出しなが ら自分の力で決定していくことを助けるという事業を起こしたことに よる,違いである.
Iさんは障害を持つ子どもがいることで人生を変えていく.持ち前の 楽天的な性格とご本人はいうが,心に決めたことを貫く人のようである.
「診断されてね,帰り道やねんけど,嫁さんずっと泣いとって.で,
援助は変わりつつある.福祉の新時代到来ともいわれ,支援費という 制度が始まった.身近なコミュニティの中で,福祉の現場で働く心理職 の専門家に出会えていれば,Fさんにも選択の幅があり,違う選択をし たかもしれない.
1981
年国際障害者年が制定された.国際障害者年のテーマである「完 全参加と平等」は,障害者であるがゆえに社会から疎外されがちな人々 が,みんなと同じように社会の一員として生活し,幸福になることを願 って作られた.一般の人々も障害者のおかれている実情を充分理解し,
共に歩みよることなしには,目的を達成することができないといわれて いる.国連では,
10年間という長期にわたる計画を立てるよう決議し ており,1981 年の国際障害者年は単にその契機となる年であった.そ して
10年は過ぎ,次のステージに移っている.
学校を出た後は,コミュニティでの暮しが当たり前になってきている.
施設を選択する人は格段に減少し,本人主体の選択の時代へと動き出し ている.その選択が親の心理にどのような影響があるのか,考えていく 問題点のひとつである.コミュニティとは何なのか.障害を持つ子ども の親と本人にとってコミュニティとの関係は今後最も重要な問題とし て浮上させなければならないだろう.社会の一員である親と子がそれぞ れの立場で問題点をとらえ直し,心理‐社会的な問題として考え始めら れなければならない.親の援助もこの視点でとらえられるべきである.
そして,親の役割がどのような役割なのかを再考する時期がきている.
「一番大事なことやと思うんですよ.孤立して何もやっていけないか
域の人に理解してもらいながら,やっていくのがほんとやと思うから.」
Gさんのこの語りは障害を持つ子どもの親の今後を示唆するものと 考えられる.世界的な変革があり,わが国でも同じ動きが始まっている.
障害を持つ子どもの主体性が尊重され,あらゆる生活へ調和を目的とし た完全参加が謳われている.コミュニティとの関係の中で援助をどうと らえていくのか,障害を持つ子どもの親の価値観が変わらなければなら ない時期がきている.
6.親亡き後
親が亡くなった後,障害を持つ子どもがどのように生きていくのかは,
親にとっての最大の心配事といわれる.
その不安状態はGさん,Dさん,Hさんの
3人によって「自分より
1日でも早く子どもに逝ってほしい」という理不尽な言葉で象徴されるこ とが多い.一般的に,親は自分が子どもより長生きすることは考えにく い.「親より先逝く不幸」ということばがあるくらい,それは特殊な例 である.しかし,障害を持つ子どもの親はこのことばを簡単に口にする.
簡単なようでいて,この複雑なことばを発する背景を知らなければ,専 門家とはいえないのではないだろうか.
また,Bさんは自分が亡くなったときに子どもがショックを受け,ど
ちが施設を選択する.あるいは,親は「私がこの子のことは一番よく知 っている」といい,親子が一体化してきた歴史を盾に施設入所を主張し,
行動に移してしまう.このように子どもの納得が得られない場合でも,
親たちは入所を決めることができる.知的障害を持つ人は言語能力が十 分ではなく,コミュニケーションが得意でない人が多いことは前述した 通りである.会話が成り立たない子どもといえども,本人の意思はある.
子どもの意思を確認せずに決定したCさんはその頃を思い出し,悔悟の きもちを次のように語る.
「はあ,もう,電話するんですよね,こっちから.それで替わっても らうんですけどね.もう,ほんとに,蚊が泣くような声でね.それで咳 をね,しょっちゅうしてるんですよね.だから,もう,かわいそうでた まんないからね.そら行けっちゅう訳でね,ほんとにとんでったんです よね.二人で迎えに行ったんです.いや,おっかさん,あんた,私のこ とを聞いてから,一番中泣いてたからね.だから,そいじゃもういいか ら,なんでもかんでも明日行こうという訳で.それですぐ朝一番の飛行 機で行ったんです.だからね,そうらね,むこうへね.最初はわかって たけど,あんな状態じゃないと思ってたから,ある程度安心してたら,
そうじゃないから.それから,ほんとにずーっとね,一日も,思い出し
て,もーう,しょっちゅう話してましたよ.彼もね,北海道のことをい
うとね,もう怒り出すからね,嫌なんですよ.もう,よっぽど骨身に沁
みたんですね.もう,とにかくね,嫌だっていいますね.ですから,よ
ほど,生活がよくなかったんでしょうね,彼にはね.というのは,山の
中でしょ.Sからね,車でもってね,
30分ぐらいのところなんですよ.
ね.もう,ほんとに孤島ですよね,要するにね.周りは家がないんだか ら.することはもう朝起きて,ちょうど冬にかかってくると,寒くなる から.雪割りはある訳ですよ,道路をね.当然,凍結しますからね.そ んなことをやってたんじゃないんですか.だから,たまたま秋だとかそ ういうときには,外でね,作業,農作業なんか,少しやってたようです けどね.」
一方,親亡き後を心配しない親がいる.地域が支えているという認識 を持つていると考えられるGさんとIさんだけは「けっこうなるように なるさと考えるほうなんですよ.」 「後はええようにすればいいやってい う方やから」といいながら,親亡き後を意に介さない.彼等に共通する のは,自分たちの現在がありのままであることを認めている点である.
障害の子どものいる生活を自然のこととして受けとめる.その時点から 自分の生活が創られてきている.共生者の目線で動いているのである.
二人に共通するのは,阪神淡路大震災の被災者という点である.天災が,
親亡き後の心配などは取るに足らないと思わせたのかもしれない.しか し,彼等が子どもの援助を作り出すために活動を起こしている点は重要 と考えられる.その活動が彼等に余裕をもたらしているのではないだろ うか.
親亡き後の生活を,多くの親はもちろん考えている.考えていないと
いう人はいないのではないだろうか.
2003年度から支援費制度はスタ
ドキュメント内
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