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歳のときにこのように克 服する.長女の発達を機に向学心が再燃する.そして,翌年,教育学部

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第4章 全体的考察と今後の課題

Eさんは大学入学に挫折した苦い経験を 43 歳のときにこのように克 服する.長女の発達を機に向学心が再燃する.そして,翌年,教育学部

そのことがEさんを行動化させる.

このように,子どもの発達が動機付けとなり,親の発達に影響を及ぼ す例がほかにもある.

Iさんは

NPO

法人を立ち上げ,地域の障害を持つ当事者や家族の支 援事業をはじめる.Mさん,Aさんも

NPO

法人の理事をしており障害 のある人とともに活動を行っている.Aさん,Bさん,Cさんは知的障 害者グループホームを設立する.Hさん,Gさんは障害者の働く場とし てパン屋を開店し,就労の面倒をみている.また,Jさんは乗馬センタ ー開設,AさんはEさん同様,大学院へ進学し,親の心理相談にのって いる.親の会の活動を行っているBさん,Dさん,Fさん,Lさん,M さん,Nさん,Oさん等もいる.多くの親はこのように障害を持つてい るという事実から毎日の暮しを営み,その結果と直結した活動をはじめ ている.

序論でみたように,知的障害者はコミュニケーションや認知に遅れが あることから,ほとんどの親が困難な子育てを経験している.長年の子 育てから得た知識には説得力があり,実際に役立つ知識や適応の見極め など,親のほうから提示できることが多い.「療育センターや学校で教 育を受けておかげでこんなに成長しました」という親は実際には自身が その大きな役割を果たしていることに気がついていない場合がある.連 携しながら,親自ら教育を作り出していたとさえ思える.むしろ,教師 は逆に親から学ばされていることも多いのではないだろうか.

親は子どもとの相互作用なしには進むことができない状況から,新し

い生き方を生み出している.親になったその日から,子育てという無意

識のうちに親として進む役割がある.子どもにとっても無意識のうちに

とって無意識のうちに意味を持つようになるとわかるのはまだ先のこ と,障害を持つ子どもが成人期を迎える頃である.

5.コミュニティと援助

 人間は関係性の動物といわれ,他者と関係を持つて生きる.社会性が 自覚でき,適応行動がとれていると,気分がよいとされ,逆に社会性が 欠如した状況下ではストレスが生じるようになり,病理性の心理反応な どがでてくる.このように私たちは社会という枠の中で人間同士密接に 関係づけられている.

 その社会の中で,障害を持つ子どもの親はどのように位置付けられ,

どのような関係を築いているのか,あるいはどのような役割を担ってい るのか,心理状態をふくめ考えてみる.

 障害を持つ子どもが生まれて,はじめに社会的なかかわりが生じる場 所は医療機関である.多くの親は子どもに異常が発見されたときに,医 療の専門家との関係がはじまる.出産に異常があれば,すぐに医師から 説明があり,治療が始まる.概ね,子どもが

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歳になる前くらいに全員 が障害の判定を受けており,医師との関係をはじめていることがわかる.

そして,その事実から自分が障害を持つ子どもの親として認識するよう になる.

医師から障害の告知を受けたときのような気持ちをDさん,Bさん,

したから,おかしい,おかしい,おかしい.だから,あ,やっぱりおか しいんだ.でもその雰囲気と場所,空気は覚えています.今,それをス タートにしたんだなということはありましたけどね.

でもいまだにその,『遅れちゃったよ』,といった先生は,もう

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近い んですけれども,まだ診察してらっしゃいますし.でも,その言葉自体 が人間としての先生として,発せられたことばなんでしょうけれども,

先生の人間性からすれば,先生がただ何にも考えないでいってしまわれ たことばであって,許される部分の人格なんです.あの,いい方ちょっ と難しいかもしれないけど.そうじゃなくて発したことば,のように,

私は許します.今になれば.」

「近所のお医者さんでは,知的障害があるってことは,どなたもわか らなくって.でも,ここに,昔天皇陛下が,ご存知でしょうけど,疎開 してたらしたことがあったのね,戦争中に.侍医という方がいらっしゃ いましてね.この子生まれたのは

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年ですから,もう,戦後大分経っ ておりますけどね.まあ,多分名医だったろうと思うんですけど.外科 の先生だったと思うんですけど.うちの子連れていきましたら,私,足 のことが心配で連れて行きましたらね,すぐ, 『この子はでき損ないだ』

といいましたの.ひじょうにまあ,びっくりはしましたけれども,絶対 そんなことはない,でき損ない,その言葉にすごく憤慨したもんですか ら,そんなことはない,と思いましたけれども,やっぱり少し育ってっ て行きます,ね.やっぱり上の子達とは大分違うな,とは思いましたね.」

「やっぱり,こう,自分の心の中では,もしかしたら,そうなんじゃ

と思いながら,すごいショックだった.また,その女医さんが憎たらし いいい方するの.向こうは医者だから,淡々としていうんだけども.何 ていうかな,やーな感じ.『結局,ちっちゃいときの遅れていうのは,

最初このぐらい遅れていても,だんだんだんだん,この平常値に移って 行くんですけれども,知恵遅れのこどもというのは,ついていかないん ですよね,このままなんですよね』こういういい方して.その時聞いた のはわたし一人.帰りに悔しくてさ.(泣く)今でも覚えてる,私….

あんまりもう,思い出さないんだけどね.人にはいわないの,あんまり.

あんまりいわない方かな,あんまり.私ほら,馬鹿だから,いうと涙が 出るんだ.だから,いわない.」

 それぞれの方には

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年から

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年前の記憶であるが,すぐ最近の出来

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