第1節、および第2節において、美術教育の理念と生涯学習の理念について概 観を行った。しかしこれらは、あくまで概観であり、今日多様な捉えられ方をさ れている両理念について、そのすべてを語っているものとはなり得ていない。し かし、それらの根本的な部分を踏襲したという意味で、今日の多様な教育論や学 習論の根底を成すものであるということはいえよう。
さて、本節においてはまず、これまでの文献の研究から両者に共通するものを 探り、美術教育と生涯学習の関係について考えていきたいと思う。
次に、高等学校の美術・工芸の教師を対象に実施したアンケート調査を基に、
両者の関係を現場ではどのように捉えているかを見てみる。
最後に、この調査を踏まえた上で、美術教育が生涯学習に対してどのような役 割を担うかを考察する。
1美術教育の理念と生涯学習の理念より
ここでは、前患のラングランの「生涯教育の特性一覧」と、
を基にして、両者の関係を考えてみたい。
「フォール報告書」
(1>ラングランの「生涯教育の特性一覧」より
この一覧は、前節で示したように、当時の教育システムと生涯教育を対比させ たものであるが、ここではさらに、生涯教育と美術教育を対比させてみる。
〈一覧の見方:現在(当時)の教育システムは…崎生涯教育は…→美術教育は…〉
①教育を人生の一時期(青年期)に限定している。
e・…教育を全生涯にわたるものとみる。
→美的態度、あるいは、美的直:観は全生涯にわたるものである。
②知識の習得に集中していて抽象的である。
…V・m的・情緒的・審美的・職業的・政治的・身体的といった多面的な人間に、全 体として具体的にかかわりをもとうとしている。
→美とは、知と意と情がそこから由来するような根源的生の自覚である。芸術は
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知識と道徳の前段階的な位置を占める。
③職業教育と一般教育、定型的な教育とインフi一マルな教育、学校教育と学校 外教育、文化と教育など、さまざまな教育を分離・隔絶している。
⇒入格の全体的・有機的な発達を考慮して、さまざまな教育の問の連携もしくは 統合を意図している。
→芸術表現には感性・知 整セ・徳性などと分化以前の人間性の全体が必要である。
芸術は、科学・宗教・道徳などの入間生活の諸分野との内面的な有機的関連の中 に形作られるものである。芸術教育を通じて真の人間性を育成することも可能で
ある。
④集積された既知の情報を次の世代に啓示することが教育の目的であるとする知 識観にたっている。
C・・Fm識や理性や人格は生成(ある状態から他の状態へ変わること)しているとい う弁償法的な見解に立脚している。だから、人間は探求を続けながら教育活動を 展開している時間的な存在であるとみている。
→美的判断は見続ける限り無隈にあらたな内容を産出してやまない「過程」であ る。美の山来する人間の生も同様に「過程」といえる。
⑤教育的な規制、外部からの強制を加えることによって、既成の文化価値を;習得 させることに重点を覆いている。
ゆ一lひとりがもっている個性や独自性や自分自身の持ち味に従いながら、自発 的・自主的に発達し成長し続けることを重視している。
→美の成立には、一切の束縛から解放して自由な生に帰すことが必要である。・
⑥教育を文化遺産を伝授する手段とみなしている。
… twえざる自己発達の過程そのものが教育であり、教育は成長の手段であるとみ なしている。
→作品は制作の全過程の固定した姿であり、技法や技術は表現のための手段でし
かない。
⑦教育は選別め道具になっている。
⇒未熟な時期の一・回限りの選別は無益かつ有害であると考え、人間がもっている 資質を、…生涯にわたる成長のそれぞれの段階で、余すところなく開花させよう
と念願している。
→子どもたちの生の真実に即し、そこに開かれる芸術の花の美しさが評価されな
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ければならない。選別はコンクールなどにおける「賞」の有害性などに通じる。
⑧教育というものを、学校、大学、技術専門学校など、故意に分離させられてい る分野に限定している。
e…教育というものを、仲間関係、家族、職場、教会、政党、労働組合、クラブな ど、人々の実際生活とかかわりあるさまざまな環境や状況の中にまで拡大させて 考えている。
→芸術は全ての人間のもの、芸術教育はあらゆる人間のためのものである。した がって、生活(人間の生の営み)の中に芸術は存在する。
⑨図書館や講演や学校や大学制度など、教育の媒体となるものや、訓練に一定の 階梯を設けている。
e=・・教育の機会を選択するにあたっては、所与の環境の中に利用可能な媒体がある かどうかということ、および個人や社会の能力にそれが適応しているかどうかと いうことが唯一の決め手であるとみている。
→子どもたちのそれぞれの生の段階や実態に応じて、内容(表現、鑑賞、評価)
が決定されなければならない。
⑩教育は社会の中のごく一一一一一部の人、つまり教師によって行われると考えている。
⇒ときにより、状況の違いに応じて、社会全体が教育の機会を提供するものであ るとみている。
→美術の教師(美に導くもの)は、あらゆる人であり、自然であり、そして自分 自身である。 「見ること」を原理とする美術は、身の図りの全てのもあ、ととが 教師であるといえる。
(2>「フォール報告書」より
フォール報告書からは、次のような共通点を見つけることができる。
この報告書では、学習社会における人間像を「完全なる入間」、すなわち身体 的・知的・情緒的・倫理的統合が達成された人間と捉え、このような人間の形成 こそ教育の基本的目標でなければならないとしている。これはまさに、美術教育 の理念において述べてきたことと、まったく共通する点である。また、学習の目 的は、 「存在」であり、 「生存」であり、「進化」でなければならないとしてい る点も、生の自覚を地盤とする美術教育と通じるものである。
そして、フロムの「持つ様式」から、「ある様式」への転換は、美術教育にお
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ける意識転換の視点と一致する。
なぜなら、「持つ様式」とは、財産、知識、社会的地位、権力などを所有する ことに専念する様式と述べられていたが、これは丁知識としての美術」、あるい は「独善の美術」と通ずるものであるからだ。一方、fある様式」とは、自己の 能力を能動的に発揮することと述べられていた。美的態度は能動的とはいえない かもしれないが、あくまで主体的なものであり、「何かのために」という合目的 的態度や、受動的態度ではないという点で共通するものといえる。生きることの 喜びを確信できるという点ではまったく共通している。また、「ある」というこ とは、何にも制約されず、変化を恐れず、絶えず成長することであり、それは固 定した型や態度ではなく、流動する過程であるとしていることも、美の本質に相 通ずるものである。そして、この「ある」ということは、他者との関係において は、与え、分かち合い、関心をともにすることと述べられているが、これは、美 を感じた時に、それを伝えよう、すなわち、美を共有しようとして制作をすると いう美術の根源に通じていよう。
さて、ここで見方を変えてみる。
ユネスコでは、「平和」という理念を掲げる理想主義的な組織という性格から、
生涯教育を「思想」または「原理」として捉えていた。また、発展段階の異なる 諸国を加盟国とする異質集団であるため、制度や構造のあり方を具体的に示すこ
とはできず、各国の実状にあわせてその実現に取り組むものとしていた。
芸術教育も「人間形成」という、ある種の理想主義的傾向を持っている。また、
その実践に際しては、子どもたちの生の実態に即して行われなければならない。
このような点において、両者はお互いに似た性格を有しているといえよう。
しかし生涯教育の理念が、一方通行的教授活動として捉えられている教育観を 改めるうえで、重要な問題提起になったように、美術教育の理念を正しく理解す ることも、押しつけ(やらせ〉の授業や、放任の授業を見直すことにつながるで
あろう。
〈参考〉われわれは図画工作・美術の授業の陰の部分ともいうべき「やらせ」 (「持つ様式」の 典型〉を直視し、子どもの自発性を活性化し、主体性を育てるように、その授業を創造的に組み 替えなければならない。それが子どもの「自己教育力」を引き出す道である。 (竹内 博編『美 術教育を学ぶ人のために』世界思想社 1995年p.87)
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