6刷。
1977e
(「教育哲学研究」
所収)pp.32−46。
第4章ズレからの創造 (1)
対立無教育論の統一と指導方略の検討
生徒指導におけるズレの構造は、教師と生徒の教育的関係、授業におけ る教師の教授行動と生徒の学習行動との関係、および学校生活における個 人(個性)と集団の関係にある。それは知情意の各側面において生じ、思 考・感情・行動の上に表れる。その背景には教育の根本問題ともいうべき 二項対立の教育論議があり、今日の教育状況においてもなお繰り返し行わ
れている。
その論議とは、教師の指導性か生徒の自発性かという教育における両極 からの問いかけであるが、ズレの克服をはかるためには二者択一の議論に 終始することなく、その止揚によって指導の原理と方法が編み出されなけ ればならない。これが本章の基底にある問題関心である。ここでは、教師 一生徒の教育的関係における教師の役割を検討し、あわせて授業における 意欲づけと学級適応への方略を構想するにある。
第1節教育的関係と二項対立の教育論
生徒指導(教育)のねらいは生徒の自己実現を図ることにあり、その根 本は「自己指導(教育〉力」の育成にあるが、そのすべては彼らの自発性 だけによって成るのではない。人聞が社会の一員として生きる限り、自己 実現は社会化の過程を経た上で達成されるからである。つまり、完全な自 由解放の中での自己実現はあり得ないのである。そこに教師(大人)の教 育的関与があり、また、生徒のあり方生き方の選択と追求という自主的態 度が期待されるのである。
ところが、教育論には人固を形成する(作る)という「技術論的教育観」
と、自然のままの成長に委ねる「有機体論的教育観」にもとつく議論の対 立があり、その隔たりは実践場面において顕著である。前者においては、
教育者は子どもを一定の目標に向かって型どおりに人間を作ることであり、
形式に適合させることであるとして、その危険性が指摘されている。後者 にあっては、人間は自由に妨げられることなく発育するはずだという考え
方である。
現状では教師中心の教育が否定され、自由な教育論の展開をも妨げてい るように見える。ここでは教育的関係の原理的把握によって、真に教育を 成立させるための創造的な教師役割について検討するものである。そのこ
とは対立する教育論を教育成立(作用)の視点かち見直しを迫ることにな ると思うからである。
1.人間の教育と教育関係の本質
人間は教育を必要とする存在であり、また教育によって価値ある人間に 発達する可能性をもった存在である。このことに関連して、幼児期に文化 的環境と隔絶した山野に投げ出され、その運命のままに孤独にして流浪の 生活を送ったフランスはアベロンの森で発見された野生児ヴィクトールや インドのジャングルで狼に育てられたアマラとカマラの例のような話も伝 えちれている。それは、「人間は教育によって初めて人間となることがで きる」(Dということである。
ルソーにあっても同様の人間理解に基づいて、「エミール」の中で次の ようなことを述べている。
「わたしたちは弱いものとして生まれる。わたしたちには力が必要だ。
わたしたちはなにも持たずに生まれる。わたしたちには助けが必要だ。わ たしたちは分別をもたずに生まれる。わたしたちには判断力が必要だ。生 まれたときにわたしたちがもってなかったもので、大人になって必要とな るものはすべて教育によってあたえちれる。」(2)
このように人間は単に自然的環境に適応するのではなく、文化的社会的 環境の中で出生し、教育によって人間となることができるのである。換言 すれば人間は教育可能的存在であり、また教育と学習を必要とする存在で
もある。
この視点からの教師と生徒の教育的関係の本質的条件は大人と子どもの 差異性にあり、「対等性」には限界があると言わなければならない。子ど
もの自発性と友達皆済集団の偶然性の申にのみ人間形成を委ねることは、
人間的発達のための責任ある教育を不可能とするかちである。子どもとそ の集団の間に教育的作用がはたちいても、それは教育の必要にして十分条 件を満たすものではない。
教育という営みは、子どもの自主性と教師の指導性とが縦横に交錯して 織りなすところに特色があり、その中には「下界と受容」(3)によってもた
ちされる「調和と安定の関係」もあれば、知識・技能や価値・規範の獲得 のために生ずる「対立・葛藤の関係」もあるのである。異なるものや異な る考え方のないところに葛藤は起こり得ず、葛藤のないところでは創造は 期待できないのである。そして、受容と共感のないところでは感情の安定 はないのである。
その相反する関係は教育の過程において必然であり、教育の成果と深く 関わっている。殊に、認知的対立や葛藤を克服するためには、無条件の受 容性による感情的安定と自己受容が前提であり、それは教育における人間 関係の基本でなければならない。情緒的安定と人格の統合なくして真理の 探究も問題の追求も不可能となるからである。教師も生徒も平凡で不完全 な人問であり、従って、感情に及ぶこともあるが、教育における対立と葛 藤は認知的側面に限定されることが望ましい。
教育における二つの関係
対象・状況認知
は、図・4−0に示したよ (目標・課題)
うに縦と横の関係にある。
縦には認識や道徳的価値に 関する対立や葛藤とその克 服の過程があり、横には感 悟と受容による感情的安定 と調和を図る過程がある。
そして、その交点には教師 の教育愛および生徒からの 信頼と尊敬の感情が基本と してなければならず、それ は古今東西を越えた教育永 遠の中心思想である。今日 ではその伝統的教育関係の 上にコミュニケーションの 深化を図ることが望まれる のである。教育とは、ただ
感 悟 受 容 一 致