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 その相反する関係は教育の過程において必然であり、教育の成果と深く 関わっている。殊に、認知的対立や葛藤を克服するためには、無条件の受 容性による感情的安定と自己受容が前提であり、それは教育における人間 関係の基本でなければならない。情緒的安定と人格の統合なくして真理の 探究も問題の追求も不可能となるからである。教師も生徒も平凡で不完全 な人問であり、従って、感情に及ぶこともあるが、教育における対立と葛 藤は認知的側面に限定されることが望ましい。

 教育における二つの関係

      対象・状況認知

は、図・4−0に示したよ        (目標・課題)

うに縦と横の関係にある。

縦には認識や道徳的価値に 関する対立や葛藤とその克 服の過程があり、横には感 悟と受容による感情的安定 と調和を図る過程がある。

そして、その交点には教師 の教育愛および生徒からの 信頼と尊敬の感情が基本と してなければならず、それ は古今東西を越えた教育永 遠の中心思想である。今日 ではその伝統的教育関係の 上にコミュニケーションの 深化を図ることが望まれる のである。教育とは、ただ

感 悟 受 容 一 致

戦後教育を振り返ってその論点となっている特徴的表現を手元の教育関係 書誌から拾ってみると、表・4−1のとおりである。その中には教育の一 場面を強調するものが多く、必ずしも教育の本質を問うもではない。この ことは、教育成立のための教師役割からの見直しを迫られていることを意

味している。

 関係の書誌には       衰.4_1二項対立的な教育用語の例

教師蛇心と生徒中

心との両極かち捉 えた対立的表現が 多く、最近では、

「生徒中心主義」

とも言える考え方 が、教育界の常識 となっているよう に思える。そのこ とは子どもの目の 高さに立つ教師、

子供の友達のよう な教師、いわば民 主的な姿勢の教師 像を強調するもの である。換言すれ ば、対等性の強調

であり、.「教師中

心主義」の否定で

ある。

 今日、「強制は

子どもの自主性を重視するもの 教師の指導性に重:点をおくもの 1子どもは無限の可能性をもつ 1追い込まれてこそ主体となる 2有機体論的教育観 2他律をもって自律の心を育てる 3子どもと同じ目の高さに立つ 3主体性は他律的制約によって生 4ともに育ちあう共育関係に まれる

5対等の立場にたった相互的関係  1 4絶律こそ自津の前提である

6雄のよう嫌の関係  15鯖は拒遡ることから始まる

7子どもから学ぶ         S琶の中は大入が中心である 8子どもが教師を形成する      7教育の本質は強制である 9私とあなたの援助的関係      8軒置権威と信頼の教育(関係)

10教師が変われば子どもも変わる   9教師中心の授業は改めるべきか 11「育てる」から「育とうとする」へ 10子どもに好かれようとして教育 12子どもの側に立つ支援発問      を放棄している

13支援を軸に授業の発想を変える   11G制の伴わない教育なんて成り 14子どものための評価活動       立たない

15自問自答態勢の確立と相互交流へ  12建前や流行に与していないか 16子どもが学ぶことをつくること   13学習のすべてを子どもに委ねる 17子どもを前面に出す        ことは指導(教育)とは言えぬ 18子どもを信じ子どもに委ねる   14活動あって学習なしの授業多し 19子どもが学校の主人公で主役だ   15教師申心の授業こそ自然で本態 20指導から援助と支援へ       16教師は嫌われることが大切だ 21子どもの自主性を尊重せよ     17授業は教師主導が当然なこと 22子ども中心の授菜に変えること   18教師中心の授業(教育)が本当 1−2人間観   3−11教育的関係

12−22教育の過程

1−4 人間観  5−13 教育的関係

t

I14 18教育の過程

教育の本質である」などというのは禁句であるが、教育の本質には「拒否」

と「強制」をともなうとする教育観を否定することはできず、むしろそれ は教育不易の原則であるように思える。拒否と強制を完全に排除するとこ ろでは、教育は成立しないからである。また、教師の解説や発問、指示が 教室から消えることは決して望ましいことではなく、確かな説明と解説、

的を得た発問、適切な助言、そして時と所にふさわしい指導は今と昔を問 わず教育における不易あ方法原理である。「生徒中心主義」というのは教 育的関係の本質ではなく、教育過程における限られた一場面を強調するも

のである。その理解のないところでは「教えるべきことを教えず、考えさ せるべきところを考えさせない」いわゆる教育不在を招く危険が潜んでい

る。

 一方、子どもは本史的に学ぶ意欲をもち、自分のよさと可能性を発揮す る内的創造性をもっている、という考え方は常識となっている。この立場 からは、教育の過程において子どもの自主性を重視することは当然の理で ある。現にクラブ活動などにおいては上級生を中心として、自主的積極的 に汗を流して励んでいる。その姿には教室では見られない別人の観さえあ る。その原動力はどこから湧出するのであろうか。

 ここに至って二項対立を止揚する理論と方法を編み出すことが望まれる のであるが、教育関係の本質をふまえ、教師の役割という視点からの議論 がなされなければならない。そうでなければ単なる言葉だけのきれいごと に終わってしまうのである。

 学校教育は、教材を媒介として教師と生徒の教授一学習の関係において 進行するのであるから、教師の指導的役割は不可欠である。このことは教 育的関係の原理であり、教師と生徒の対等性の制限である。人間の本質と 教育の原理的把握によれば、他律は自律の心を育て、自律によって他律を 受け入れるのである。この両交通的相互作用こそ、教育関係の本質である。

 3.教育の成立と教師役割の問題

 教育は「教える一学ぶ」(教授一学習)という関係たおいて進行するこ とに異論を唱える人はないであろう。人物、識見において優越する教師に よって啓発され、知識・技能を獲i得しながち自分の行動をよりょく変えて いくところに教育を受ける意味があるのである。従って、教師が反教育、

反道徳、反妥当であり、教えずして傍観者であればそれはもう教師ではな い。豊かな学力と深い見識をもち、ユーモアのある教師にこそ子どもは魅 力を感じ信頼を寄せるのである。

 前章において、ブーバーの「教育における相互性の制限」につて言及し たが、それはまさに教育関係における教師の優越性が基本にあることを指 摘したものと解することができるのであり、だからこそ教師役割を付与す ることができるのである。全き相互性の関係論に立てば、教育者の指導性 とその自覚と責任が不問となる。このことは子どもの「自主性尊重主義」

の教育が陥りがちな放任の弊と無関係ではない。教育と援助関係には、一 般のそれとは異なった特殊性が内在するのであり、「生徒が教師の立場に 立てばそれは教育関係の終結であり、友情という全く別の関係に転じてい

る」とブーバーは指摘している。(4}

 学校教育は教材を媒介とする教師の教授行動と生徒の学習行動によって、

知識・技能や価値・規範の獲得を主たるねらいとしている。それは、対立 や葛藤を経て可能であり、同時にそれは無条件の尊重という受容的関係に よって支えられた感情基盤の上に成立するのである。したがって、教育関 係においては対立と葛藤は不可避であり、受容と共感は不可欠である。教 師の役割と任務とは、そのような教育の成立を可能とする十分条件を満た すことを期して問われなければならない。さもないと「教師中心主義」か

「生徒中心主義か」の対立論の統一は不可能である。

 一般に、役割には厳格性が付随し、かっ「場」や「役柄」にふさわしい 行動の仕方を要求する。つまり、役割には「演ずる」という性格が付随し、

カウンセリングにおける「一致」の要請に反するところがある。このこと は「役割」と不可分である。しかし、事態が真剣であるとき、人間は「演 ずる」ところを超越した、自分自身としての全力投入があるのである。そ れは使命感であり、教育愛でもある。そこには厳しさもあり、優しさもあ

り、また自由も強制もあるのである。

 厳しさとは「対立と葛藤の関係」であり、優しさとは「感悟と受容の関 係」である。ここに教師役割の本質があり、それは教育の成立する根本条 件である。その過程において拒否と強制があっても、感悟と受容の上であ れば、それは排除されるべきではない。むしろ、自律を促す契機となる。

「生徒中心主義」の陥りがちは放任の弊は、この自覚の欠けることから生 じるのではないかと思われる。「活動あって学習なし」との批判もここか ら生じるのである。

 このような観点からは、教育的に制御された「感悟と受容」・「対立と 葛藤」の関係を組織立てる教師役割の実践が、教育作用の上に負の結果を

もたらすことはなく、いきいきとして活力に富んだ教育状況を醸し出すの である。この二つの関係を成立させ、安定させるものはコミュニケーショ ンの円滑化であり、深化である。それは新しい教育的関係を築くポイント のように思える。葛藤の克服も受容による安定も、それは言葉によるので あり、適切なコミュニケーションは、それ自体が常に自己形成の機能を持 っているからである。

 4.教職の持つ権力と権威の問題

 法令に規定する教職員には、公的地位に基づく教育に関する権力や権限 が与えられている。この問題は前章のズレの構造において検討したところ

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