-野積地区乗嶺における人々の暮らしと獅子舞-
西川 純礼
190
1.はじめに
野積の づ み地区は八尾町の南部に位置する農村地帯で、この報告でとりあげる乗の り嶺み ねは、野積
地区の11ある集落のうちのひとつである。乗嶺では、伝統的な行事である乗の り嶺み ね紫し野の七社し ち し ゃ の春季祭礼の際に五穀豊穣や家内安全を祈願して、獅子舞が奉納されている。
日本では全国各地で獅子舞が行われているが、近年では、過疎化で祭りの担い手が足 りなくなったために獅子舞が廃れてしまった地域も増えている。そんな中、私は、乗嶺 の獅子舞も過疎化の影響により担い手が不足し一度は休止されたが、2008(平成20) 年の春に6年振りに復活したというニュースを耳にした。そして、乗嶺の獅子舞とは一 体どのようなものなのかと興味を持ち、乗嶺の人々の聞き取りを中心に調査を行った。
ここでは、乗嶺の獅子舞がなくなることなくなぜ復活したのかについて、獅子舞と乗嶺 の人々との結びつきを、乗嶺の人々の語りから考察していきたい。
2.乗嶺集落の概要
乗嶺集落がある野積地区は、富山県八尾市の南部の山間地にある(図1の円で囲った 地域)。
図1.八尾町乗嶺の位置
191
(http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E137.8.29.3N36.35.18.1&ZM=8 をもとに作 成)
八尾町の南部に位置する野積地区には神明し ん め い、北玉き た だ ま、三和さ ん わ、乗の り嶺み ね、青あ お根ね、西川倉に し か わ く ら
、東川倉ひ が し か わ く ら
、 東布谷
ひ が し ぬ の た に
、布谷ぬ の た に、赤石あ か い し、松瀬ま つ ぜの11の集落がある。乗嶺集落は越中八尾駅から南へ5キ
ロメートルほどの所に位置し、野積川の西側、国道472号線沿いに広がる集落である
(図2参照)。
図2.乗嶺集落
標高およそ180メートルから 230メートルの高台にある集落の周りには棚田の風 景がひろがっており、現在でも集落内の農家は棚田での農業を営んでいる。
192
写真 1.野積地区の棚田
この調査をおこなった乗嶺集落は世帯数19戸、人口84人の小集落である。表に2008
(平成12)年12月末現在の野積地区の集落の世帯数と人口を示したが、この地区には 規模の小さい集落が多いことがわかる。報告書の冒頭の「八尾の概要」で示されている とおり、野積集落では1980年まで急激な減少が続き、以降はゆるやかではあるが人口 減が続いている。また、65歳以上の人口が全体の37.3パーセントを占め、超高齢化が 進んでいる。
表 野積地区世帯数と男女別人口(2008年12月末現在)
(富山市のホームページ、http://www3.city.toyama.toyama.jp/jinkou/ 2008年1月 28日閲覧 をもとに作成)
世帯数(軒) 男(人) 女(人) 合計(人)
神 明 53 104 106 210
北 玉 43 57 58 115
三 和 20 35 40 75
乗 嶺 19 41 43 84
青 根 16 31 32 63
西 川 倉 28 41 25 66
東 川 倉 28 49 49 98
東 布 谷 12 12 17 29
布 谷 28 23 38 61
赤 石 6 6 9 15
松 瀬 5 6 6 12
193
小計 257 405 423 828
野 積 園 83 47 36 83
の り み ね 苑
(老人福祉施設) 62 6 56 62
野積地区合計 402 458 520 973
3.乗嶺の獅子舞の概要
ここでは、獅子舞行事について説明し、次に乗嶺の獅子舞の概要と現在の状況を述べ る。
3-1.獅子舞の概要
獅子舞とは、獅子と獅子取りなどで演じられる民族芸能で、獅子頭し し が し らを操る頭持ちと獅 子の胴体部分である獅子幕を支える「獅子方し し か た」、獅子の相手役として演奏に合わせて踊 りを舞う「獅子取り(子役)」、様々な演目を伴奏する「囃子方は や し か た」、祝いの口上を述べる
「口上語り」を構成の基本とする。一部の地域では、これにひょっとこ、おかめなどの
「道化役」が加わる。
富山の獅子舞は大きく分けて「二人立ち獅子」と「百足む か で獅子」の2つに分類すること ができる。二人立ち獅子とは、頭を持つ「前足」と獅子幕を支える「後ろ足」の2人が 獅子頭を横8の字に振りながら踊るものであり、百足獅子とは、獅子の胴体の部分に複 数の人が入るものである。このように富山の獅子舞は2つに分類され、乗嶺では写真2 のような「二人立ち獅子」の型でおこなわれる。
写真2.乗嶺の獅子舞の様子 3-2.乗嶺の獅子舞の歴史と現在の状況
「八尾の概要」で紹介されているように、毎年、4月には、八尾地域内の多くの地域
194
や集落の神社で獅子舞行事が催される。乗嶺集落では、乗の り嶺み ね紫し野の七社し ち し ゃで春季祭礼として 獅子舞がおこなわれる。
乗嶺紫野七社の春季祭礼は、毎年4月3日に姉倉比売あ ね く ら ひ め の
神社じ ん じ ゃの神主により執りおこなわ
れる。乗嶺紫野七社には、天照皇大神、誉田別命、大山久比命、別雷命、豊受大神、天 児屋根命の7体の祭神が祭られている。なお、乗嶺紫野七社は乗嶺集落の下を流れる野 積川のそばにあり、フナが神の使いであるとされている。昔、神が来やすいようにと一 度神社を山にあげたことがあったが、「川のそばに戻して欲しい」とフナからのお告げ があったので再び今の場所に戻したという話が語り継がれている。
乗嶺集落には家が19軒あり、それが4つの「班」に分かれていて、おおよそ5軒で 1班を構成している。祭礼の際には、獅子舞は公民館、乗嶺紫野七社、大黒様、お地蔵 様、特別養護老人ホームのりみね苑の順に回りいったん公民館へ戻り、それから各班の うちの代表の1軒を訪れ、計4軒回った後に再び公民館に戻る。
図3.獅子舞の巡行の流れ
乗嶺の獅子舞行事の歴史は、明治初期に、現在の富山県富山市葛原つ づ は ら(旧大沢野町葛原)
から獅子舞が伝わり、乗嶺紫野七社の春季祭礼で五穀豊穣、家内安全を祈願して、獅子 舞が奉納されたのが始まりである。一説によると、京都から岐阜県高山へと獅子舞が伝 わり、大沢野から高山へ出稼ぎに出ていた人々によって大沢野へと伝えられ、さらに大 沢野の葛原へはメス獅子が、別の地域には夫婦め お と獅子が伝えられたといわれている。
乗嶺の獅子舞は過疎化による担い手不足や、祭礼を行う氏子の家での不幸が重なり、
2002(平成14)年以降獅子舞は休止されていたが、2008(平成20)年4月3日の春 季祭礼で6年振りに復活した。野積地区の11集落のうち、現在、獅子舞行事をおこな っているのは、乗嶺だけである。
乗嶺の獅子舞は、乗嶺青年会の人たちによって運営されている。青年会に入れるのは 15才から40代までの男性で、現在のメンバーは20代が6人、30代が5人、40代が
出発 公民館
乗嶺紫野七社
大黒様 お地蔵様
のりみね苑 公民館
家 家
家 家
195
3人であるが、50代以上の4人から5人のOBも青年会の集まりに顔をだしている。
青年会の役職には会長と副会長があり、会長は会計の仕事も兼ねている。青年会の主 な活動は獅子舞の準備であり、毎年、年始に新年会も兼ねて集まり、その年の春季祭礼 で獅子をまわすかどうかを話し合って決める。獅子舞の際に集落の人が出す祝儀は「花」
と呼ばれている。青年会は、「花」のお返しの意味を込めて、6月の第3日曜日にバー ベキューを開いて、集落全体の交流をはかっている。
3-3.乗嶺の獅子舞の特徴
乗嶺の獅子舞は、獅子方2人、獅子取り3人、囃子方5人、口上語り1人の11人で 構成される。現在は獅子方と笛合わせて9人、太鼓1人、獅子取り3人の13人のメン バーで獅子舞をまわしている。本稿の3‐1で説明したように獅子取りとは子役のこと で、乗嶺の子役には三番艘さ ん ぱ そが1人と獅子取りが2人いる。2人の獅子取りのうち1人は
「金蔵き ん ぞ う」と呼ばれ、もう1人は「アネマ」と呼ばれている。乗嶺では子役を出来るのは
男の子だけである。三番艘は、金色の線が入った緑色の烏帽子をかぶり緑色の衣装を着 ていて、写真3のように移動の時には扇子を持って舞いながら先頭を歩く。「金蔵」は、
獅子を退治する役であり、「アネマ」はいくつかの演目の時に女の子の役を演じる。
また、子役を出来るのは小学生までで、中学生からは囃子方、高校生以上になると獅 子方というように、年齢によって習う内容が決まっている。
写真3.乗の り嶺み ね紫し野の七社し ち し ゃへの移動
獅子舞の演目は神楽か ぐ ら獅子、金蔵獅子、牡丹ぼ た ん獅子、蛇へ び獅子、曲きょく獅子の5種類がある。
演目について、獅子舞が巡行していく流れに沿って説明していく。
まず公民館を出発し、乗嶺紫野七社へ向かう。そこでお祓いをうけてから大黒様へと 移動し、そこで神楽獅子を舞う。これはその家の神や大黒様に敬意を表すもので、子役 の「金蔵」が御幣ご へ いを持って舞う。御幣とは獅子舞で使う小道具で、写真3で「金蔵」が