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八尾旧町の景観づくりと住民

ドキュメント内 富山県八尾町の祭と観光 (ページ 155-193)

第 4 章 観光化と地域振興

3. 八尾旧町の景観づくりと住民

後藤 あかね 島田 一

1.はじめに

八尾を訪れる観光客は、1985(昭和60)年頃から増加を続けている。観光客数が増 加した要因の一つとして、毎年9月に行われる「おわら風の盆」が全国的に有名になっ たことが考えられる。ただし、近年では、行政や観光協会などが1年を通して観光客を 誘致する通年観光化を進めていて、「おわら風の盆」の時期の観光客数は年間観光客数 の半数程度となっている。

行政側は通年観光を促進するためにさまざまな事業をおこなっているが、この報告で は、景観整備を中心とするまちづくりに焦点をあてて、通年観光化のために具体的にど のような事業がおこなわれているか、また、事業について八尾の住民たちがどのように 考えているかについて報告し、行政と住民の認識の相違について考察したい。

調査では、八尾旧町のなかで景観整備が進んでいる諏訪町す わ ま ち、鏡町かがみまち、西町に し ま ち、上新町か み し ん ま ち

の住 民を対象として聞き取りをおこない、また、地域の行政機関である八尾総合行政センタ ーでインタビューをおこなった。

2.まち並み整備と住民

2-1.まち並みの景観づくりの経緯

本章の1節でも紹介されているが、まず、八尾のまち並み景観保存や創出に関わる事 業について概要を紹介したい。

八尾町は2005(平成17)年に富山市と合併したが、それにともなって旧町役場は富 山市の地域行政機関である八尾総合行政センターとなった。この機関のなかで、観光化 推進事業や町の景観づくりに携わっているのは、農林商工課と建設課である。

農林商工課では、「おわら風の盆」などの観光 PR や八尾町商工会や越中八尾観光協 会のイベントを補助する活動をおこなっており、建設課ではまち並み保存や修復のため の助成金制度の施行や石畳敷設など、この報告で取り上げる景観保存の事業をおこなっ ている。

八尾行政センター建設課発行の「やつおの住まい」20 ページ、21 ページによれば、

八尾の景観保存事業は、1986(昭和61)年に当時の建設省が提唱した「HOPE計画」

がきっかけで始まった。「HOPE計画」とは、住まいやまちづくりをその土地の文化・

歴史・風土の地域性を生かしながら「良好な住宅市街地」、「地域文化の育成」、「地域住 宅生産の育成」などをはかるというものである。

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八尾町もこの「HOPE計画」に1986(昭和61)年から取り組み、「HOPE計画推進協 議会」が設置され、同じ年に八尾らしいまち並みの再生と快適な住環境の創出を図るこ とを目的とした「八尾町HOPE計画」が策定された。この計画の目的の一つは、「蘇れ、

おわらの町昭和ルネッサンス」をテーマとしてまち並みの保存と再生が図ることであっ た。さらに、木造住宅団地建設推進のための「ウッドタウンプロジェクト推進事業」や 八尾らしい住宅を表彰する「やつおの住まい賞」が設けられ、住まいを取り巻く環境に ついて広く住民と意見を交換し、住民に八尾の地域特性を活かした住まいづくりやまち 並みのあり方に関心を向けさせるための「HOPE 計画町民会議」が開始された。この 会議は3年に1回の割合で開催され、八尾総合行政センターでのインタビューでは、こ れが住民にまちづくりの意識を持たせるきっかけになったとのことだった。

また、1998(平成元)年からは、1986(昭和61)年に旧町の諏訪町の本通りが「日 本の道百選」に選ばれたれたことを背景に、「おわら風の盆、曳山にふさわしいまちづ くり」をテーマとして「八尾魅力あるまちづくり基本計画」が策定された。計画に沿っ て1990(平成2)年から1999(平成11)年まで「八尾町歴史的地区環境整備街路事業」

によって、「八尾らしい景観」づくりのためのさまざまな事業がおこなわれた。

2-2.まち並みづくりの現状

八尾旧町で行われた景観づくりについて具体的に見てみよう。上述のように、固有の まち並み形成の再生と、歴史的景観の保全を図ることなどを目的に 1990(平成 2)年 から 1999(平成 11)年まで、「八尾町歴史的地区環境整備街路事業」が実施された。

この事業でおこなわれたのは、道路の石張り舗装、無電柱化、木製の街路灯の設置、ポ ケットパークと呼ばれる小さな公園や休憩所の整備、土蔵の修復、蓋をして玉石を埋め 込みせせらぎの音を演出する側溝づくりなどである。そのうち、道路の石張り舗装は現 在も続けられている。写真1のような行政による道路の石張り舗装工事は、調査をおこ なった2008(平成20)年の12月にも旧町のいくつかの比較的狭い道で行われていた。

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写真1.石張り舗装の工事中

写真2は、最近に、石張り舗装工事が完了した道路であるが、狭い路地で石張り工事 がおこなわれたことが分かる。写真の手前の道路は石張り舗装されていないが、住民に 理由を尋ねると「車が通る道は石張り舗装しないのではないか」という回答が返ってき た。細い路地を石張り舗装するのは、車が通らないということもあるだろうが、石畳の 路地を多く作ることによって、旧町全体の景観を情緒のあるものにしようとする意図が あると考えられる。

写真2.石張り舗装が完了して間もない道路

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現在も石畳の路地などによって情緒を醸し出す景観づくりが進められているのは、こ の報告の最初に記したように、行政は、1年を通して観光客を誘致する通年観光化を目 指しているからだと考えられる。

八尾総合行政センターの農林商工課によれば、「八尾を訪れる年間観光客数を見ると、

おわら風の盆や曳山祭の時期に集中しているので、他の時期にも分散させたい」と考え ていると言う。おわら風の盆や曳山祭のような行事に観光客が集中するのを防いで、こ れらの行事に頼らずに、1年を通して観光客を誘致するには、八尾の古いまち並みが観 光の資源となる。したがって、行政は、石張り舗装のようなまち並みの創出を積極的に おこない、その成果があがって、報告の冒頭で紹介したように、現在ではおわら風の盆 にやってくる観光客とほぼ同数の観光客が他の時期に訪れるようになっている。

2-3.住民が認識している変化

ここまで行政側のまち並み景観整備について見てきたが、それでは、住民たちは景観 づくりによる変化をどのように認識しているのだろうか。聞き取った住民の回答を町ご とに見ていきたい。

西町の住民の事例を挙げると、ある60代の女性は、「以前は道路の脇に溝があったけ ど工事で埋められたのよ」と側溝工事について語る。彼女によると、西町では景観整備 で生じた目に見える大きな変化はなかったという。また、50 代の女性も「町は古くな ったところを直したりしているけど、特に変わったなと思うところはあまりないよ」と 話す。40 代の女性は「町の風景は大きく変わったところはないと思うよ」と言いなが ら、「最近横道を石畳に舗装したりしてるけど」と、近年、西町でさかんにおこなわれ ている石張り舗装については言及していた。60 代の男性は西町の景観に変化はあまり ないと言ったうえで、「八尾の町の景色で変わったところは、ところどころ、石畳や無 電柱化になったことだね」と語る。このように、西町の住民は自分たちが住んでいる町 の景観が大きく変わったとは認識していない。

次に、鏡町に住む80代の女性は、「道が石畳になったねえ。鏡町は階段もあるしお わらの時なんかはすごくきれいだよ」と話していた。彼女は、鏡町に作られた階段を 下から見た光景がきれいなので好きだということだった(写真3)。観光客もこのよう に感じるらしく、おわら風の盆の期間中、階段の下から写真を撮る観光客が多い。

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写真3.鏡町の階段(おわら風の盆の期間中の撮影)

同じく鏡町に住む80代の女性に景観の変化について尋ねると、「今も工事をしている けど、道が石畳になったことじゃないかな」と地面を指さしながら答えた。70 代の男 性は、「昔の町は町幅が狭かったんだよ。今は町幅が広がったなあ。町幅が狭いほうが おわらの音楽が響いてきれいだったんだけどなあ」と昔を懐かしむように語る。この男 性によれば、町が観光客向けになってきたという。これらの語りから、鏡町の住民たち は、道が石畳になったことを変化として認識していると言える。

「日本の道百選」に選ばれて、行政が八尾旧町の景観づくりを進めるきっかけとなっ た諏訪町に住む50代の男性は「日本の道百選に選ばれてから道路が舗装されて石畳に なり、電柱もなくなったよ」と話す。60代の女性は、「町の見た目はすごく変わったね。

日本の道百選に選ばれてから道路が石畳になったんだよ。その前はコンクリートの道で、

道の脇には水路もあったけど、石畳の舗装のときに埋められたんだよ」と言う。諏訪町 で聞き取り調査をおこなったほぼすべての人が、この諏訪町が「日本の道百選」という 言葉を語りのなかで使っていた。

なお、「日本の道百選」とは、1986(昭和61)年に「道の日」の制定を記念して、当 時の建設省と「道の日実行委員会」から選ばれた日本の特色ある道路である。富山県の なかで、諏訪町本通り(写真4)は、五箇山ご か や まトンネルとともにこの「日本の道百選」選 ばれた。

ドキュメント内 富山県八尾町の祭と観光 (ページ 155-193)

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