第二部 各論
8. 言語意識
8.2.1. 旧満洲国の日本人が話す中国語に対する意識
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ださい」っていうわけだよ」と言っている。戦争が終わるまでは,訪問販売の中国人が 家に来て中国語で会話をしていたことを言語ドメインの章で述べた。その時に「カンカ ン」という言葉も使われ,彼が考えた意味は「見ろ」だったのだろう。訪問販売員のこ とを彼は押し売りと評することもある。つまり,強引だったのだ。だから訪問販売員の
「カンカン」は「見ろ」という意味だと考えたのだろう。しかし,戦争が終わると,彼 は自宅の家財道具を売ってお金を稼がなければならなくなった。皮肉なことに,買って もらう相手はそれまで訪問販売員していた中国人である。そんな時にA2は「カンカン」
という言葉を使っていたのである。買ってもらわなければならない立場になった時,同 じ「カンカン」という言葉でも彼が意図していたのは「見てください」,「ご覧ください」
(謙譲)だったのだろう。つまり,彼自身の経験から「カンカン」という言葉に対する 意識が全く逆転したのである。
次のA3の事例は中国語自体に対する意識である。彼女は中国語を難しいものと考え ていたことを教えてくれた。
事例8-13:中国語を難しいものとするフレーム
R 日本語の授業みたいのはあったんですか?いわゆる国語の授業みたいのは A3 あるある
R それはどうでしたか?
A3 そのときはすんなり受け入れてたよ,中国語の授業のほうが難しかったよ,
やっぱり
R 難しかったですか
A3 うん,外国語だもん,こっちにしてみればね R 中国語は勉強したかったですか?
A3 あんまりねえ,必要がないもん,本を読むわけじゃないし
彼女は中国語の授業に対して難しかったとするフレームを持っている。その理由は外 国語だからと述べている。言語ドメインを見てみると,旧満洲国では日本語だけでも生
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きていくことが可能そうである。彼女は生活のために中国語を覚えなければならなかっ たとは全く考えていなかったのである。つまり,彼女にとっての中国語はCSL(Chinese as a Second Language)ではなく,CFL(Chinese as a Foreign Language)であった。さらに彼女 は「必要がないもん,本を読むわけじゃないし」とも述べている。中国語が必要になる のは「本を読むとき」という意識があることがうかがえる。彼女にとって中国語はCFL であり本を読むためのものだったということが明らかとなった。
8.2.1.2. 大連
次の事例は言語ドメインの章でも言及したものだが,ここでは中国語をどのようにし て学んだかという意識について述べていく。言語ドメインで明らかにしたように彼は幼 稚園でパッと出てきた中国語を使うことがあった。そのため,中国語は幼稚園の言語環 境によって覚えたものだと思われるかもしれないが,そうではなかったという。
事例8-14:中国語を日本人の大人から学んだというフレーム
D2 あの,学校に中国人がおりましたんでね,あの,学校が日本人学校ですけど,
中国人それから今でいう朝鮮人韓国人ですか,いましたから R みなさん一緒に同じ学校だったんですか?
D2 同じクラス,それからあの,幼稚園入ってて幼稚園にも中国人の友達がいま したよ,その連中が,我々呼びかけるときはパッと日本語出てこない,中国 語でやるんですよ,「小孩来来」って言うんですよ,だから我々もね,つい うっかりっていうか,あの日本人がだいたいそうでしたけど,「お金がない」
なんて言うときは「銭没有」って言うんですよ,で,向こうはね,わからん でもないらしいですよね,「没有銭」って言わないと通じないんですよね R 語順が日本語の語順になっている
D2 はい大概そういうように日本人は言うわけですよね,大人につられて「没有 銭」って言わないで「銭没有」「銭没有」って,それが不思議っていうか,
それでも通じるから不思議ですよね
D2 は非文の中国語を使っていたということを知っていた。当時からその意識があっ
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たかはわからないが,その非文の中国語は日本人の「大人につられて」言っていたとい う。幼稚園に中国人の友達がいたにもかかわらず,日本人の大人から中国語を学んでい ったのである。なぜ母語話者が周りにいるのに非母語話者から学んでいたかという理由 はいくつも考えられる。中国人と接するよりも日本人の大人のほうが接する時間が長か った,自宅でも中国語をよく使っており両親が言っていた中国語に影響を受けたなど推 測すればきりがない。しかし,彼がどうして日本人の大人から学んだという意識がある かについては,考えられる理由は少ない。なぜなら,その彼が使ったと言及したものは 間違った中国語だったからである。母語話者であれば,語順の間違いをほとんどしない はずである。このような語順の間違いは第二外国語学習者だからこそのもので,だから そうするのは日本人だと考えているのだろう。言い換えれば,彼は間違った中国語を話 すのは日本人であるというフレームを持っているのである。ただし,日本人が間違った 中国語を話すのではなく,間違った中国語を話すのが日本人ということである。このよ うに,間違った中国語に対する言語意識が明らかとなった。