第二部 各論
8. 言語意識
8.1.2. 内地の日本人が話す日本語に対する意識
第6章の言語環境,第7章の言語使用でも述べてきたが,彼らが話していた日本語は,
内地の日本語とは異なっていた。では,旧満洲国にいた日本人には,内地の日本人の日 本語がどのように映っていたのだろうか。聞き取り調査の中で言及してくれた大連と撫 順の例を取り上げる。
幼稚園生であったD2は,パッと中国語が出てくることもあったという話を教えてく れた。そんなD2の中国語と日本語に対する興味深い言語意識があった。
まずは,事例 8-5 である。D2 が旧満洲国から帰国し,大阪に戻って来た時の話こと を教えてくれた。内地の学校で先生が話す日本語に対する意識が見られる。
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事例8-5:内地の先生が使う日本語に対する意識
D2 先生の大阪弁がわからなくて私は困りましたね,「これ日本語か?」と思 いましたね,アクセントが違うんですもん
D2 は大阪へ帰国している。したがって,彼が帰国後に通った学校では,大阪方言を 話す先生がいた。その先生が話す大阪方言に対して D2 は,「これ日本語か?」と思っ たという。旧満洲国で話していた日本語とアクセントが全然違ったからそのように思っ たのである。ここでは彼が知っている日本語のアクセントではなければ,日本語として 認められなかったというフレームからの語りだが,次の事例では語彙面にも言及してい る。
事例8-6:内地の友達が使う日本語に対する意識
D2 向こうで育った人は,外地標準語なんですよね。だから東京弁に近いんで す。だから大阪に帰ってきて,「それあかんやんか」と言われたときはね,
何のことかと,「あかん」って「やかん」のことかと。「不好(プーハオ)」
って言われたほうがよっぽどわかる。
ここで見られるのは彼が話す日本語は「東京弁に近い」ものだとするフレームである。
そしてそのフレームから,彼にとっての大阪方言と中国語の相対的な位置関係が見えて くる。彼が育った場所の言語環境は,日本語が優勢ながらも中国語が出てきてしまうよ うな環境であった。それによって,友人から言われた「それあかんやんか」という言葉 は「何のことかと」と考えるのである。ここからわかるのは,彼は日本語の変種よりも 中国語のほうが身近なものだととらえているということである。彼は生まれから12年 ほど中国語を自然習得だったり,学校で学んだりして関わってきた。一方,筆者のよう に内地で育った者でもおよそ10年,英語を学んできた。しかし,英語と日本語の方言 どちらが身近に感じるかと言われれば,ほとんどの人が方言だと答えるだろう。特にそ の方言が大阪のものであった場合には,その結果はより明白だろう。それにもかかわら ず,彼が大阪方言の「それあかんやんか」に対して,「『不好(プーハオ)』って言われた ほうがよっぽどわかる」という意識を持っているというのは,これも旧満洲国を経験し
98 たことによる言語意識の構築と言える。
内地の人が話す日本語は「何のことか」わからないものであったという言語意識から,
彼が考える日本語,中国語,大阪方言に対する相対的な位置関係が特殊なものであると いうことが明らかとなった。
撫順の学校には転校生がやってくることもあった。F1やF2の学校には東京からやっ て来た人,大阪からやって来た人がいたようである。そんな彼らが国語の時間に教科書 を読むことがあったが,その時の感想が出身地によって異なっていた。それを教えてく れたのが事例8-7である。
事例8-7:転校生の出身地によって変わる日本語への意識
S 「咲いた咲いたさくらが咲いた」も「咲いた咲いたさくらが咲いた」って言 うところもきっとどこかにあってさ,それじゃだめですっていう
F1 でも我々直したことないね,直されたことはないね,先生に
F2 大阪のほうから転校してくるとちょっとクスクスと笑ったりしてたからね F1 でも,それにも書いてあったけど,東京のほうから転校してきた人だと,府
立のなんとかってそのころ権威があったんですよね,府立大何女とか,そこ から来た人っていうのは,国語の読み方が全然違うわけ
R 全然違うんですね
F1 すごくきれいに聞こえるわけ,わあ優等生が来たと思って
ここでは撫順出身者としてのフッティングから語っている。撫順出身者である F1,
F2 と転校生という対比構造になっている。そして対比させているのが日本語について である。
大阪から来た転校生が教科書を読むと,「ちょっとクスクスと笑ったりしてた」と言 っているように,「おかしさ」を感じている。それに対して,大阪から来た転校生が教 科書を読むと,「すごくきれいに聞こえる」さらには「わあ優等生が来た」とまで言っ ている。この違いは何なのだろうか。我々にとってもそうだが,彼女にとっても国語の 時間に習っていた日本語が,規範的な日本語だというフレームで捉えていたのだろう。
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だから,東京から来た転校生が話す東京方言,つまり規範的な日本語に近い日本語だっ たために,「すごくきれいに聞こえ」たと感じたのだろう。そして,大阪から来た転校 生が話す大阪方言は,規範的なものではなかったから「ちょっとクスクスと笑ったりし てた」ように,「おかしさ」を感じてたのだろう。
彼女たちは国語の時間に習う日本語,極端に言えば目標言語の日本語を話せる東京の 日本人に対してはプラスに捉え,そうではなかった場合はマイナスの評価をしていたと いう意識が明らかとなった。