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第三部 結論

10. 本研究のまとめ

各論のまとめ

第2部各論を章ごとに確認していこう。

第6章言語ドメインでは,市場では他民族も日本人相手には日本語を用いて会話がな されていた。市場ではなく,街中でも中国料理店でも同様に日本語だったことが明らか となった。しかし,ロシア人のチョコレートのお店とパン屋では安東では指さしでのコ ミュニケーションだったのに対して,大連ではロシア語だったということが分かった。

自宅では中国人使用人に中国語を使う家庭もあれば,日本語を使う家庭もあった。使 用人がいなかった家庭でも,自宅に訪問販売員が来た場合は,中国語を使っていたとい う。

安東の学校では,朝鮮民族がいても日本語での会話がなされていた。そして,撫順の 学校では,英語の授業もあったが,戦争激化とともに次第に英語の授業は自習の時間と なった。また,音楽の時間ではドイツ語の音階が用いられていた。

大連の幼稚園では,日本語が出てこないときに中国語がパッと出てくることもあった という。学校・幼稚園をまとめると,安東,撫順では友達同士の会話では日本語の使用 が中心だったのに対して,大連では中国語が使われることもあったことが明らかとなっ た。

終戦によって日本人の立場が逆転したが,ソ連軍による日本語使用が見られた。つま り,立場の逆転はあっても言語の逆転までは起こっていなかったことがうかがえた。

上記のように,少なからず中国語に触れる機会があった者たちとは反対に,全ドメイ ンで中国語を知らないという者がいた。

本章を通じて,旧満洲国を一つ枠組みで捉えずに,個別の事象をより詳細に見ていく ことが重要であることが示唆された。。

第7章言語使用では以下のことが明らかとなった。

①安東

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日本人の日本語使用については,「九州弁と混ざった日本語」が使用されていた。朝 鮮人の中学同級生も,日本語を使用していたが,彼らの日本語もまた,A2 と変わら ない「九州弁と混ざった日本語」であった。

A2が言及した中国語はおよそ9割が正しい中国語であった。

終戦直後に,ソ連兵が「これありますか,これありますか」といった簡単な日本語を 使用していた。

②撫順

中国語の授業の最初に中国語による号令がかけられていたが,正しい中国語になって いるものの,号令としては不適切なものもあった。

日本人の日本語は,安東同様に「九州弁と混ざった日本語」が使用されていた。

中国人店員による日本語の歌と「ぬくい」という西日本の方言使用があったことを確 認できた。

フランス人シスターとは日本語では話した記憶がなく英語が使用された。

音楽の授業のドイツ語が正しい音階を使っていたことを確認することができた。

③大連

D2が言及した中国語使用例のうち,正しい中国語が18例,ローカルエラーの中国語 が7例,グローバルエラーの中国語が実質3例であった。

中国人による中国語使用の言及例の中に,間違った中国語が存在していた。

内地からやって来た日本人が大阪方言を使用していた。そのおかげで,転校生と自身 の日本語が違っていたことを自覚したことが明らかとなった。

三つの地域の各言語の使用例を確認してきた。安東と撫順で同じ「九州弁と混ざった 日本語」を言及していても,具体例を挙げると差異があった。また,中国語の使用例の 例示の数も異なれば,学校で耳にした言語も異なっていた。

第6章に続き,旧満洲国の言語研究においては,地域あるいは人ごとに特徴を確認し ていく必要があることが明らかとなった。

最後に,NHK アーカイブスにて,さらに地域の特定ができなかったが,残留孤児の 家族による「混合型」の使用が確認された。これは今後の接触言語研究のために新たな

131 データを提示することができたといえるだろう。

第8章では言語意識を分析した。以下がその結果である。

①安東

学校で習った日本語に,特別な意味を持たせている者がいることが明らかとなった。

日本語は複数の日本語があったとする意識を持つ者がいることがわかった。それは

「自分が生まれ育った言葉」「生活するのに必要な言葉」「協和語の日本語」であった。

旧満洲国へ入って来たばかりのソ連兵に対し,日本人が日本語を用いたという回想が あった。したがって,彼らに日本語が通じるという意識を持つ者がいた。

日本人から見ると,朝鮮民族の人は働くために日本語が必須であると考えていた。

終戦を迎え日本人の地位が逆転したことにより,言語意識が逆転した例が確認できた。

日本人の中に中国語は「本を読むとき」に使うものだとする意識がある者がいた。

②撫順

F1は,教師ならば正しい日本語を使わなければいけないという意識があった。

東京方言話者に対しては肯定的に捉え,そうではなかった場合には否定的な評価をし ていた。その基準は国語の時間に習う日本語を話せるかどうかであったという意識が明 らかとなった。

社会的状況に関係なく,F1 もまた,英語に対して肯定的な評価をしている一方で,

ドイツ語は,「ぶってる先生」が知識自慢のために使ったものだととらえている。

F1は多言語に対して否定的な評価はしていない。つまり,その多言語環境に適合し,

様々な言語と向き合っていたといえるだろう。このように,多言語環境を享受していた 人もいたということが明らかとなった。

③大連

大連で育った彼は,日本語は日本語でも大阪方言が分からなかった。さらに,大阪方 言よりも中国語のほうが分かりやすいとする意識さえも持っていた。つまり,中国語の ほうが身近な存在として考えていたということが明らかになった。

彼は間違った中国語を話すのは日本人であるというフレームを持っていることが確 認できた。

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旧満洲国の日本人と内地の日本人との間で,中国語に対する意識が全く異なっている ことが明らかとなった。

第9章言語とアイデンティティでは以下のことが明らかとなった。

①安東

A1 は下仕事をしない日本人見て,自身のアイデンティティを構築していた。それに よって,内地の日本人が下仕事をしているのを見て,「日本人ってこんなことまでしな きゃいけないのかなって思」ったという。つまり,ここで初めて「旧満洲国出身の日本 人」というアイデンティティが形成されただろう。しかし,引揚げ後の生活では「旧満 洲国出身の日本人」というアイデンティティを持ち続けるのではなく,「内地の日本人」

へ順応していこうという姿勢が見られた。

A1のような人がいる一方で,“日本に来ている”という気持ちを持ち続ける者もいた。

つまり,順応できなかったのである。

安東の事例では,「内地の日本人」へ順応していこうとし順応できたものがいる一方 で,順応できなかった者もいることが明らかとなった。

②撫順

引揚げまでの彼女は日本人を「お行儀が良い人」というフレームでとらえていた。し かし,引揚げ後に見た「日本人」がそうではなかったことに驚いてはいるが,彼女もま たそれを受けいれた。その結果「内地の日本人」へと順応することができている。

③大連

D1 は立場の逆転を経験したことで,その後の人生に大きな影響を与えられている。

また,D2も大連で育ったことで,日中両方の感覚を持ち合わせた自己形成をしている。

このように大連という言語環境を経験したことで,言語に関する影響だけでなく自己形 成という面においても影響を与えているということが明らかとなった。

④大連・奉天

内地の引揚げ先で,言葉によってつらい経験をしたが,その経験が彼自身に大きな影

133 響を与えていることが明らかとなった。

⑤方正県

残留孤児のNHK4がアイデンティティを答えなかったのに対して,妹のNHK5は「他 人のうちにいるような感じ」「自分の国ではないという感覚」だと言っている。このよ うに,残留孤児の姉妹であっても環境の違いでアイデンティティに差が出ることがある ことが分かった。

この各章のまとめに従って地域の特徴をみていきたい。まずはまとめの結果を表に示 す。対象は各章で必ず出てくる安東(表 10-1),撫順(表 10-2),大連(表 10-3)であ る。

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表10-1:安東の特徴

観点 結果 特徴

言語ドメイン

市場:日本語

日本語が圧倒的 街中:日本語

中国料理店:日本語 学校:日本語 終戦後:日本語 訪問販売:中国語 ロシア人のパン屋:指さし

言語使用

日本人:「九州弁と混ざった 日本語」

間違ったと言い切れない 言語使用

朝鮮人:「九州弁と混ざった 日本語」

ソ連兵:簡単な日本語 日本人:9割正しい中国語

言語意識

習った日本語が特別な意味 国語教育を経た 特有の日本語意識 複数の日本語があった

朝鮮人は働くために

日本語が必須 言語使用の 目的意識が明確 本を読むための中国語

地位の逆転と言語意識の逆転 終戦後の日本語 意識(不)変化 ソ連兵にも日本語が通じる

言語とアイデ ンティティ

中国人と比較し「日本人」

「内地の日本人」への移行 引揚げ後に

「旧満洲国出身の日本人」

「内地の日本人」へ順応 成功

「内地の日本人」へ順応

未成功 未移行