第 3 章 概念設定
第二部 記述分析
Ⅱ 津和野キリシタン史の記録者たちとその記録
津和野キリシタンに関する記録文書は、多くの研究者たち、とりわけカトリック宣教師 の立場から研究を行う人たちによって残されている。本章では津和野キリシタン史を記録 した文書そのものに焦点を当てて、その記録文書の成立と特徴を考察する。
抑々「キリシタン史」と呼ばれる学問分野は、キリシタンに関する歴史の総称ではなく、
狭義には16世紀中葉にイエズス会士たちにより日本にキリスト教が伝えられてから、禁 教の時代を経て江戸時代の所謂「鎖国」と呼ばれる時代に至るまでの、約1世紀間の日本 のキリスト教史を指している235。その後イエズス会の宣教師たちは国外退去を命じられ、
日本国内を自由に歩き回ることが出来なくなるが、その時代は「キリシタン禁制の時代」
「キリシタン弾圧の時代」などと呼ばれている。当事者であるキリシタンたちは、表立っ
235 浅見雅一『概説キリシタン史』、慶応義塾大学出版会、2016年、2頁。
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てキリスト教信仰を公言することが出来ず「隠れキリシタン」と呼ばれていく。
明治以降、切支丹禁教の高札が撤去され、「隠れキリシタン」の多くがカトリック教会に
「帰正」236していくが、一部の「隠れキリシタン」たちは、カトリック教会とは別の信仰 の道を進むようになる。そのため「隠れ」ていない彼らは「カクレキリシタン」と片仮名 表記されるようになる。「隠れていた」キリシタンたちが隠れざるを得なかった時代を「潜 伏期」と呼び、彼らは「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」とに分類される。研究 分野としては、「潜伏キリシタン」はカトリック教会史に位置付けられ、「カクレキリシタ ン」は独自の宗教事象として研究される。つまり津和野キリシタンたちは「潜伏キリシタ ン」である237。
江戸後期から明治初期にかけて、特に1867年の浦上四番崩れに代表される「崩れ」(キ リシタン弾圧捕縛事件)が幾度となく起こり、それらは「キリシタン弾圧史」「キリシタン 迫害史」と呼ばれる事が多い。だが一方で、浦上四番崩れの出来事については「切支丹の 復活」238、「日本キリスト教復活史」239という題名で著された著作もあり、その際、「迫害 史」「弾圧史」として特徴づけられていないのは、キリシタンたちが潜伏という「死の時代」
からカトリック信仰に「復活した」ことに焦点を当てたいからであろう。1865年以降の長 崎キリシタンについて語られる文脈では「信徒復活」について述べられることが多い。ク ララてる240と呼ばれる女性信徒が、大浦天主堂の主任司祭B.T.プティジャン241のもとに近 づき、耳元で「私たちはあなたと同じ心です(ワタシノムネ、アナタノムネトオナジ)。サ ンタ・マリアの御像はどこでしょう」242と言って自らの宗旨を表明したという。これが「信 徒発見」と呼ばれる、言わば「神話的」物語として印象深く語られるのである。「浦上四番 崩れ」について殆どの著作では上記の「信徒復活」のことも併せて語られているため、著
236 帰正とは、他教派からカトリックに改宗する事を指す言葉。例えば海老澤有道は、潜伏者がカトリッ クに合流することにこの語を用いる。特に、以下を参照のこと。海老澤有道『維新変革期とキリスト 教』新生社、1968年、146-9頁。
237 片岡弥吉『かくれキリシタン ―歴史と民俗―』(NHKブックス56)、日本放送出版協会、1967年、
13-4頁。
238 浦川和三郎『切支丹の復活』上・下、日本カトリック刊行会、1927年。
239 F.マルナス『日本キリスト教復活史』(久野桂一郎訳)、みすず書房、1985年。原著の発行は1896年。
240 プティジャンの前に現われたキリシタンは十数名であったが、その中で名前が分かっているのは、ク ララてると、姉のイザベリナゆりだけである。池田敏雄『キリシタンの精鋭 津和野乙女峠の受難者 たち』、中央出版社、1972年、220-1頁。
241 ベルナール=タデ=プティジャン(Petitjean, Bernard-Thadée 1829-84年)。1860年に那覇に滞 在した後、横浜を経て1863年から長崎に着任。阿部律子「長崎のフランス人神父一覧」『長崎県立大 学論集』(第四〇巻第四号)、2007年、37頁。
242 片岡弥吉他『キリシタン迫害と殉教の記録』上、フリープレス、2010年、171頁。
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作の題名が「きりしたんの迫害」であろうと「キリシタンの殉教」であろうと、その内容 のプロットはほぼ同型であると言って良い243。キリシタン研究の第一人者片岡弥吉の「著 作全集」が『日本キリシタン殉教史』244と名付けられていることから考えても、――たと えその歴史の全てが迫害や殉教だけでなかったとしても――、キリシタンを「代表する出 来事」は「迫害」であり「殉教」である、と理解されていることになるだろう。
さて、これらの「迫害史」の叙述傾向であるが、多くの文献は、明治新政府がキリシタ ンを邪宗門として禁止したことが原因で諸外国から執拗に抗議を受け、止む無く切支丹禁 教の高札を撤去せざるを得なくなった、と理解しており、諸外国とりわけキリスト教国と されるフランス・アメリカ・イギリスなどからの非難が正当なものである、という価値観 に立った理解であると言える。すなわち「キリシタン迫害」の「語り」は、正当に扱われ るべき人権が蹂躙され、潜伏を余儀なくされ、本来守られるべき信仰を保つことが出来ず、
不遇な200年以上を過ごす破目になったが、明治維新になりキリシタン禁制という「死の 時代」は終焉を迎え、諸外国の執拗なる抗議によって悪法を破棄させ、キリシタンたちは
「復活」した、と理解され語られるのである245。「基本的人権の尊重」が根本概念とされ る現代社会においては、明治新政府が行なった切支丹禁教の制度を肯定的に評価すること は出来ず、例えば、近代国家の草創期に政府が行なった宗教政策は国家的混乱を最小限に 食い止める為の知恵であったなどという語りは殆ど見られない。無論、「明治維新至上主義」
肯定論者たちがキリシタン研究を行うならばその限りではないと思われるが、一般的に学 術研究として明治維新期のキリシタン研究を行う者たちの叙述傾向は、「欧米中心史観」的 な近代文明史観に立って語られており246、明治政府のキリシタン禁制政策に否定的な見解
243 尤も、「〇〇藩キリシタンの迫害」のように地域や特定の出来事に特化して著されたものに関しては その限りではない。例えば、三俣俊二、『金沢・大聖寺・富山に流された浦上キリシタン』、聖母の騎 士社、2000年など、三俣俊二の一連の著作は各藩ごとの流配者の扱いが中心となって書かれており、
浦上四番崩れの全体像に焦点を当てることが意図されていない。
244 片岡弥吉『日本キリシタン殉教史』、時事通信社、1979年。
245 例えば、村井早苗『キリシタン禁制と民衆の宗教』(日本史リブレット37)、山川出版社、2002年、
100頁。
246 『世界の歴史教科書 11ヵ国の比較研究』で石渡延男は、日本の歴史教育の問題として「欧米中心史 観」を挙げ、明治維新が肯定的に描かれているとしている。日本のとりわけ中学教科書では、近代化 は近代文明史観に沿って欧米中心主義的に進められた肯定的な発展であると述べ、ここに日本近代史 の問題点を指摘する。この見解については十分に検証すべき余地があるとは言え、幕末明治期の「キ リシタン復活史」の歴史観に当て嵌めてみるならば、確かにキリシタン迫害を肯定的に描く書物が皆 無であることと無関係ではなかろう。近代国家の人権思想的観点から考えるならば、思想・信教の自 由は守られて当然であり、基本的人権の尊重としてこれを否定する事は出来ない。キリシタン史を近 代欧米諸国的視点から描くならば、幕府・明治新政府のキリシタン迫害は「悪」であり、破棄されて
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を述べることが、概ね共通した基本姿勢となっていると言ってよい。それゆえに明治期の キリシタンは「被迫害者」「殉教者」として語られるが、「受刑者」「被告人」という表現は なされない。日本における明治期キリシタン迫害史研究の大部分は以上のような歴史観に 立脚しており、当然の事ながらこの傾向は津和野キリシタン史叙述にも当てはまる。
明治期のキリシタン研究にはいくつかの傾向があり、高木慶子は『高木仙右衛門に関す る研究』247の第三章「キリシタン禁制高札撤去の背景―従来の研究の問題点を洗い直す」
の中で、「これまでのキリシタン流配と信教の自由獲得に関する研究は多くの分野、つまり 歴史学・宗教学・国際政治学・法学そして文学などにおいて取り扱われてきた。しかし、
これらの研究には偏りがあったのではないかと指摘する研究者も出ている」として、従来 行なわれてきた幕末明治期のキリシタン研究の研究傾向を分類している248。その分類を基 にして、論者なりにキリシタン研究の傾向を分類すると以下の3点となる。
ⅰ)キリスト教関係者(特にカトリック)が行う研究。
この研究傾向はキリシタン教会内部の問題に特化したものが多いのが特徴である。激し い迫害にもめげずに信仰を持ち続けた信徒と、それを命をかけて守り通した外国人神父の 宗教心を顕彰するのが通例となる。それゆえにある種のハギオグラフィーとして描かれる 事が多く、そこには「逸話」や「信仰を守り続けた感動秘話」が語られる249。
ⅱ)キリシタン弾圧と信教の自由獲得に関心を向けた研究250
特に明治のキリシタン弾圧が信教の自由獲得の観点から語られる際の主な流れは以下の 通りとなる。
(A)大政奉還により誕生した明治新政府は、形の上では「四民平等」を掲げて国際 的に開国主義を目指したが、宗教政策において旧幕府の禁圧政策を引き継き、
これまでに劣らず弾圧をし続けた。
然るべき悪法となる。だが、それも一つの歴史観であり、江戸幕府がこれを禁じていた事を肯定する 文献が無いという事実は、それだけで歴史叙述の客観性の瑕疵と言うべきだろう。石渡延男・越田稜 編著『世界の歴史教科書 11ヵ国の比較研究』、明石書店、2002年、258-9頁。
247 高木慶子『高木仙右衛門に関する研究―「覚書」の分析を中心にして―』、思文閣出版、2013年
248 高木、同書、64-6頁。
249 津和野キリシタン史における「逸話」「感動秘話」については、本稿第二部第3章にて詳しく論ずる 事となる。
250 この項目は、その殆どが高木慶子の分類をそのまま用いている。高木、同書、64-5頁。