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河川技術者の役割の変化

第 3 章 河川管理技術の特徴とその変化

3.2 河川技術者の役割の変化

3.2.1 はじめに

1603に江戸幕府が開かれると,日本には戦乱のない日々が訪れ,幕府と藩が人民を統治する 幕藩体制が敷かれた.幕府領や各藩では,それぞれ領内で治水工事や新田開発が盛んに行った.

組織的な土木技術による築堤や水路開削が行われ,水田が飛躍的に広がった.これを基盤とし て,度重なる自然災害や財政的な危機を経験しながら,社会全体として持続的な生産活動を行 われるようになった.

安定的な領国経営を実現するために,幕府領や藩領では,それぞれ勘定奉行や郡奉行など地 域管理を担当する地方役人が置かれた.彼らは,管内の村々からの税収を確保するために,地 域防災や農業生産を支えていた.地方役人の主要任務のひとつが河川管理である.

本節では,江戸時代の河川管理の方法を把握するために,実務を担った河川技術者の位置づ けに着目した考察を行う.

江戸時代の河川管理のしくみを知る手掛かりとして古文書を用いる.江戸時代には農書や地 方書と呼ばれる比較的多くの古文書が残されており,農業生産に必要な利水,治水のしくみを 述べている.これらのうち江戸時代の前期,中期,後期の代表的な古文書を取り上げ,河川技 術者の位置づけと役割の変化を分析することとする.

前期の資料は,17世紀後半の『百姓伝記防水集』である.農業技術全般を網羅した農書であ り,一章が河川管理に割かれており当時の考え方がまとめられている.

中期の資料は,18世紀前半の『享保の修築例規』である.徳川吉宗の行った財政健全化の一 環として,幕府の河川管理の改革を伺うことができる.

後期の資料としては,19世紀の『隄防溝洫志』を取り上げる.治水・利水施設の管理につい て論評した書籍であり,河川管理の考え方を知るのに有効である.

これらの中から河川技術者に関する記述を抜き出し,それぞれの時代に与えられていた任務 を整理する.さらに時間的な変化を見ることによって,河川管理の方法や河川技術者の位置づ け考察することとする.

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3.2.2 『百姓伝記防水集』

江戸時代初期の17 世紀の農村の様子が『百姓伝記10)』に記録されている.著者不詳である が,その具体的な記述内容から,三河から遠州にゆかりのある村役人層が,諸国の情報を収集

して1680-1682年に著したと考えられている.当時の河川管理に対する考え方や,当時用いら

れた土木技術がまとまった記述され,江戸時代前期の自営的農業の全容を知ることができる11)

『百姓伝記』は,全15巻からならなっており,そのうちの巻七が『防水集』として洪水対策 の取りまとめに当てられている.『防水集』の構成(表3-14)は,原文の目録を参考にしつつ,

技術的内容を踏まえ再構成したものである.このうち,「序文」,「大河の堤をつくこと」,「川除 こころへのこと」,「大水をふせぐこと」の河川管理にあたる基本的な心得が述べられている.

表3-14 『百姓伝記防水集』の構成

(河川管理の基本理念)

大河の堤をつくこと (堤防の考え方)

みよとめ堤をつくこと (河川締切による新田開発事例)

雨池,堰,堤普請心得のこと (用水確保の考え方)

川除こころへのこと (河道管理の考え方/土木技術の例示)

大水をふせぐこと (水防活動の考え方)

その他 (海岸堤防,津波被害,土石流対策など)

『百姓伝記防水集』の技術的内容を表3-15に示すとともに,その要点を以下に整理する.

① 池や川は毎年維持管理して,水害を防ぐことが重要.堤防,用水,川除の管理は,農耕が 始まってからずっと農民(地域住民)のしごと,子孫の代の水害を防ぐしごと.

② 堤防は,我々の田畑と家屋を守る城郭.どんな洪水に対しても堤防を切らさないこと.満 水しても越水しても堤防を守ることが重要.

③ 川除は,破堤を防ぐ備えであり,洪水の当たり方を弱めて,堤防を強化し,堤防の全面に 淵が来ないようにすること.常に補修しておくことが常住(持続的な村の生活)の条件.

④ 洪水時には,全員が集まり,堤防を守ること.ただし,現在は奉行衆が堤防の保護を考え ているので,早く参集して,指示に従って行動すること.

⑤ 非常な洪水時には,被害が小さくなるように考えて,堤防を切ることがある.川の淵と瀬 は変化することが多いので注意すること.

『百姓伝記防水集』に記された17世紀の河川管理には,農民,村役人,奉行衆が登場している.

ただし,古くから農民が子孫のために河川を管理してきたと自覚しており,奉行衆を新たな幕 藩体制の下で設置された河川技術者と認識している.戦国時代の地縁的な自衛集団であった村 の社会に,幕藩体制の地方行政が浸透してきたという時代の変化を反映したものといえる.

洪水対策については,すでに堤防を要とする考えがあり,破堤を極力回避することを基本方

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針としている.破堤を回避するために,予防的な河川改修を行うとともに,大洪水の越水は許 容して,全員で水防活動を行うこととしている.組織的な自衛行動であり,村を単位とする「共 助」が確立していた.これを前提として河川技術者が存在した.彼らは,広域的な被害の最小 化を図るため,特定の堤防を切るという非常時の判断を行うことがあった.これが,現在にも 引き継がれている河川技術者による「公助」の発生と考えられる.

3-15 『百姓伝記防水集』の記述内容

抑,水は方円の器にしたがひ,人のこころにかなひ,船をうかべ,筏を流すに便有.宝土のうる をひとなりて,万物を養ふ.一滴をもたつとまずと云事なし.

しかりといへども,洪水・満水に及びては,山を崩し,宝地を洗ひ,人家を流す費あり.天地の 災難なげきてもあまりあり.物の及ばざる事は,大水を手にてふせぐと世話にもいへリ.されども 我々が住国村里に,往古より有来る池・河をば,年々歳々修理を加へ,水災のしのぐ心得肝要なり.

依之,本朝の大河には池・堀のかこひ,普請の仕かた善悪,見及び聞伝たる所を,予,ひそかに書 付,坊水集と名づけ,百姓伝記の類巻にのする.堤・井溝・川除普請は,世に耕作初りし上代より このかた,土民の役たり.末代も猶油断ありては,子々孫々水災にあふべし

大河の堤をつく事

堤は我々が村里の田畑のかこひ,在家のかこひにつく.たとへば武家の城郭にことならず.大切 なる普譜なり.

堤を大河の水かこひにつくる事,いか程つよき洪水有共,我々かかゑの所をきらさぬ様につくが 功者なり.たとへ満水に及びて,堤をのり越水たり共,半日か一日は,手をあててもふせぐ心得肝 要也.洪水たり共,半日か一日の大雨にて満水多かるべし.大雨・大風の二日を過たる事なし.二 時三時をふせぎ,かこへば引水となる.

川除こゝろへの事

河除は堤をきらさぬ備へなり.つねの水にも,川のまがりめありては,水あて,堤の根ほれて淵 となり,次第に堤あせきれるなり.ひたもの堤裏に土を置て,逃げつきに堤をつけば,其処弥よま がりて水あたる.さやうなる処を,川むかひとこなたに水よけをして,水の押付をやわらげ,堤を つよくし,淵には洲を居させ,瀬をちがふる事肝要也.大水の時は,取わけさやうなる所へ水当り,

あぶなし.つねにかこひをするが備へ也.河よけには色々の方便あり.さる尾・石わく・袖わく・

うし,柳を植,竹を植,芝を付,水草を植て置,満水をしのぐ.時に取て不叶.多年の心懸能けれ ば,安々と水難をのがれ,田畠無事にして,在家安穏なり.国々村里の者不心懸にしては,ねみみ に水の入事うたがひなく,作毛を流し,国土のついゑをなす.つねに水なき山川・小川なり共,四 季ともに油断有ては,其費多かるべし.水を流す処をば,急度修理し,拵置べし.是常住の備へ也

川除・石わく・袖わく・さる尾普請仕といへども,押斗て当座になす事,人夫等につき其費多し.

我々が国郷の普請場をば,兼て絵図認置,其図に堤の間数,水の押付,さる尾・石わく・袖わく・

うしのふせ置処を記し置,万一洪水の節,水下の村里より出て,堤をかかゑる人足等のつもりをし てしり,何方より何方まで,何村何千石の人足にて堤をかかゑ,大水をふせぎ分と定,杭に書付を して,つねに川下の村里の土民,男・女・子どもまでも知るやうに云合定置,夜中たり共出集り,

堤をかかゑて水難をのがるる心得かんやうなり.まして御当代は御公儀の御奉行衆,左様なること に油断なし.其節は御指図にまかせ,少もはやく罷出,堤をふせぐことほんいなり.国々村里に御 定の郡司・庄官・五人組,猶以油断致間敷事なり

堤をかかゑる事

我々が住村里も他の村里も,堤のよはき処・つよきかかゑ場の人足,常々たがひに知べし.無勢 なる方,必堤にはやくいたみ付べし.御地頭には,堤のつよみ・よはみ・水当・かかゑ処つねに能 しろしめし,川筋の絵図,双方村々里々の田畠御所務,また在家の水にをぼれて人馬の生死有処ま で御かんがへ,何方にて災難のかろき方を,堤をきりて水をちらし,人馬をたすけらるる.御当世 は国々里々大河有之所は,堤を能つき,さる尾・石わく・袖わくを以かこはせらるれば,水難すく なし.されどもうつりかはりて,川筋は淵瀬のかわること多きなり.