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新たな合意形成手法による川づくり(遠賀川)

第 4 章 河川技術者の先駆的な取り組み

4.3 新たな合意形成手法による川づくり(遠賀川)

4.3.1 はじめに

明治時代以来,遠賀川は筑豊炭田の川であった.石炭は,江戸時代には遠賀川舟運で搬出さ れ,海岸で製塩の燃料として利用されていた.明治時代以降は,機関燃料や製鉄材料として需 要が増え,筑豊炭田は日本の石炭生産の半分を産出した.しかし戦後のエネルギー転換で生産 は急減,1976年までに炭鉱が相次いで閉山した.閉山とともに筑豊の賑わいが失われ,水質汚 濁や地盤陥没など,炭田の歴史は負の遺産となっていた15)

直方市は,筑豊の鉄道結節点にあり,その盛衰は筑豊炭田とともにあった.市を貫流する遠 賀川は,沿川の炭坑を守るため,明治から大正にかけて堤防が整備された.その一方で遠賀川 は,炭坑から排出される洗炭水で濁り,「ぜんざい川」とも呼ばれていた.炭坑閉山後の遠賀川 は,小学生が黒色で描く川であり,住民の日常生活や関心から切り離された川であった15)

そのころ全国的に治水最優先の画一的な川づくりに対する反省から,河川技術者と地域住民 の連携による川づくりが模索されていた.その中で,1992年に市民団体,学識経験者,行政関 係者が集まって玉地方の水と緑の保全を議論する多摩川の湧水崖線研究会が始まった.研究会 は,「三つの原則・七つのルール(表4-6)」に基づいた運営が,建設的に進められていた16)

この運営方法が 1996 年に建設省遠賀川工事事務所の直方出張所長によって遠賀川に持ち込 まれた.以来,「3つの約束7つのルール」を掲げた直方川づくり交流会が組織されて川づくり 構想が練られ,2005年からは緩傾斜河岸という設計で河川事務所が改修工事を行った.この改 修は,地域住民の地域づくり・川づくりの想いを具体化したものとして高い評価を受けている.

本節では,交流会が行った夢プラン方式による合意形成について分析する.そのため交流会の 活動と河川改修工事の経緯を整理した上で,整備後の外部評価の内容を評価する.最後に,夢 プラン方式の持つ,合意形成手法としての特徴と河川管理にとっての利点について考察する.

表4-6 遠賀川の3つの原則7つのルール16) 1. 自由な発言

・参加者の見解は所属団体の公的見解としない.

・特定の個人・団体のつるしあげをおこなわない.

2. 徹底した議論

・議論はフェアプレイの精神で行う.

・議論を進めるにあたっては実証的なデータを尊重する.

3. 合意の形成

・問題の所在を明確にしたうえで合意形成をめざす.

・係争中の問題は,客観的な立場で事例として扱う.

・プログラムづくりにあたっては,

長期的に取り扱うもの及び短期的に取り扱うものを区分し,実現可能な提言を目指す.

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4.3.2 遠賀川夢プラン作成の経緯

直方川づくり交流会は,河川法改正の前年にあたる1996年8月に発足した.きっかけとなっ たのは,当時の直方出張所長が,「直方市を流れる遠賀川の将来の川づくりを,直方市民自ら考 えて提案していただきたい」と,地域の方に働きかけたことである.これに応え,女性11名,

男性11名のメンバーが集まった.交流会には,建設省,福岡県や直方市の職員もメンバーとし て,定期的な意見交換を行うこととなった17)

交流会の独自性は,発足当初から「自ら学習,行政への提案,市民レベルの合意形成」とい う3つの目標(表4-7)を揚げていたことにある.

自発的な学習は,海外を含む先進地視察や専門家による講習会などの形で実施された.また,

実現性を高めるために行政関係者の考えを聞くことも効果的であった.交流会メンバーは,内 外の河川の知識と行政の専門情報を仕入れて見識を深め,実現性のある提言を出そうとした.

なお,行政関係者は情報源として扱われており,行政へのはたらきかけは提言活動によるもの と認識されていた.

交流会からの提言は,「夢プラン」と名付けられた.「夢プラン」の特徴は,実現性が担保さ れていないことである.盛り込まれたアイディアは,交流会メンバーの見る夢であり,実現を 望むものである.しかしながら,その夢が大多数の住民の意見を反映したものであれば,行政 行為としてアイディアが実現される可能性が高まる.

交流会は,これまでに4次にわたって「夢プラン」を発表した.それらは,行政に向けて示 されるとともに,市民にも公開され意見や参画を呼びかけるものであった.交流会メンバーは,

持続的な学習イベントの開催などを通じて,「夢プラン」をより多くの市民に知ってもらう努力 を続けていった.

以下に,「夢プラン」が最発表されるたびに,その内容が具体化し,実現性が高まっていった 過程について紹介する.

表4-7 交流会の3つの目標18)

目標① 直方市の中心を流れる遠賀川について、市民みずからの手で望ましい将来像を考 える。

目標② 遠賀川が地域住民に親しまれ、愛される川になるよう、今後の川づくりのあり方 について関係行政機関に積極的に提案していく。

目標③ 会員相互および行政機関との意見交換のための交流会を開催し、今後の川づくり について市民レベルの合意形成を図ることにより、行政への住民参加を促す。

135 (1) 遠賀川夢プラン1998(遠賀川の将来像)

発足から3年後の1998年,直方川づくり交流会は議論を一枚の絵にまとめた「夢プラン」提 言を発表した.提言には口上(表4-8)が添えられて,交流会の考え方を端的に表している.

この口上で,「50年後」という目標の設定は重要である.50年という時間は,義務教育を終 えた若者が高齢者になる時間である.施設計画として長すぎる期間の目標は,行政機関にとっ ても共有可能である.また,口上の結語は「希望します」となっている.個別施設の要望活動 とは異なり,「夢プラン」へ賛同を求めるのが趣旨となっており,さまざまな立場の人が提言を 受け取ることができるようになっている.

さらに提言には,「誰が」整備するのかを明示していない.現実に河川空間の管理には河川管 理者,道路管理者,市役所などの行政や地域住民などが関与しており,特定の機関が責任を負 えるものではない.それぞれの制度や予算の制約の中での協力イメージを示したのが「夢プラ ン」であった.

「夢プラン」の構成として第一次案(図4-7)は,3kmほどの河川延長について,背後地の特

表4-8 夢プラン1998の口上18)

50年後の遠賀川はこんな姿にしたい!」という想いを絵にしてみました。私たちが理想とする 川は、自然が豊かで、市民の憩いの場であり、安心して川を散歩でき、いつ見てもゴミも無く、水 質もきれいで川に棲む生き物にも優しく、洪水にも安全な川です。そして、そのなかに直方の特色 を盛り込めたら、きっと素晴らしい遠賀川になることでしょう。このような想いをこめて、私たち が理想とする遠賀川の「夢プラン」の実現に向けて「川の自然を大切にし、人にも生き物にも優し い遠賀川」づくりを提案します。

この「夢プラン」は、現在の川の姿から出発したものです。将来、治水のために川を広げ河川敷 を削ることがあるのは承知しています。治水上必要なものには、ある程度柔軟に対応しなければな りません。その場合でも、ここに夢プランで提案したゾーニングには最大限の配慮をされ、「夢プラ ンの精神」を尊重した川づくりが行われるよう希望します。

図4-7 遠賀川夢プラン1998(遠賀川の将来像)18)

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徴を考慮して5つにゾーニングして説明している.それぞれのゾーンには個別施設の提案があ るが,率直な意見を反映した,素朴で理想論的なものが多い.たとえば河川博物館,ウシやヤ ギの放牧など盛り込まれているが,誰がどのように管理するのかは考慮されていない.河川構 造物の素材や形状についても検討されたものではない.このように,実現可能性という観点で は,提言の熟度は低かった.

(2) 遠賀川夢プラン2000(夢の中之島づくり)

第一次案の発表から2年後の2000年,第二次案が中之島づくりに絞り込まれて発表された.

2度目の口上(表4-9)には,市民レベルの合意形成に向けた願いと表現され,合意形成への意 気込みが強く盛り込まれている.

提案事項も,市民の利用の多い遠賀川と彦山川の合流するゾーンの河川空間利用に着目して いる(図4-8).市外からの利用者の多いオートキャンプ場を評価するとともに,水上ステージ の土砂堆積を問題としていた.また遊びを体験できる「春の小川」と環境学習施設「水辺館」

の設置が提案され,一年を通じて来訪者が増えるよう呼びかけている.

表4-9 夢プラン2000の口上18)

平成10 (1998) に『遠賀川の将来について』の第一次案を提案し、住民のみなさんに多自然型川づく

りについて理解をふかめてもらうきっかけとなりました。今回の第二次提案書は、第一次提案書で直方のシ ンボルとなるゾーンとした「日の出橋~勘六橋ゾーン」について、具体的にどうしたらいいのか、どうあっ たらいいのかを議論を重ねて作成に至りました。これはあくまでも直方川づくり交流会の夢プラン。この提 案をきっかけにたくさんの住民の方々に参加していただき、住民の総意として遠賀川の有効な活用が現実に なっていけばと願っています。

図4-8 遠賀川夢プラン2000(夢の中之島づくり)18)