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土地利用と地域防災と河川技術者

第 5 章 これからの河川技術者の役割

5.2 土地利用と地域防災と河川技術者

前章までの結論を踏まえ,現在の河川管理について,さらに総括的な分析を加える.まず,

土地利用の変遷に「土木技術」が果たした役割と,洪水への対処のために発達した「地域防災」

について総括する.次いで現在の河川技術者の位置づけと求められる役割を考察する.

5.2.1 土木技術と土地利用

古代には,朝鮮半島から水田稲作とともに伝わった土木施工技術の進化によって,土地開発 が拡大した.縄文時代には主な土木工具は石器だったが,弥生時代には木器,古墳時代には鉄 器が使用されるようになった.木製農耕具の時代は干潟周辺の低平地が耕作され,鉄製刃先の 時代には沖積平野の外縁部が開墾されるようになった.開発の自由度が高まるにつれ,洪水に 対する安全度が高い土地利用が選択された.

飛鳥時代には,仏教技術ともに労働集約的な農業水利事業が伝わった.さらに大和政権は,

遣隋使や遣唐使を通じて中国大陸の先進技術を直接導入した.先進技術のため池や導水路など は,土木技術を身につけた官吏や僧侶の指導で築造された.やがて,律令体制の整備とともに 水利技術は中央から地方へと伝播していった.技術の普及に伴い,構造平野や氾濫原の安全度 の低い土地の開発も可能となり,地域の特性に応じて輪中堤や水屋などの水害対策が採られた.

中世を通じて,各地域で自律的な土地の開発と管理が拡大していった.

江戸時代になると耕作可能な土地と利用可能な水資源のほとんどが開発された.有限な土地 でのコメ生産を最大化するため,流域管理技術が発達し,各河川には管理担当の技術者が置か れた.ただし,当時の河川管理施設は洪水外力に比べて規模が小さく,氾濫は防止し得なかっ た.技術者は,農村の農民を指導しながら,水害予防に万全を期し,洪水には被害を最少化す る洪水対応を行った.二線堤や乗越堤,遊水地などはその技術的対応の一部である.また彼ら の技術は,現場にある自然材料を利用し,経験に基づく定性的判断によって洪水形態に応じた 創意工夫を凝らすものであった.江戸時代には,水害を繰り返し受けながらも,流域管理技術 によって持続可能な土地利用を実現していた.

明治時代になると,合理主義的な河川工学がヨーロッパから導入された.また,コンクリー トや鉄などの強度の高い土木材料が多用されるようになった.これによって土木施工の自由度 が高まり.人口増,産業化,都市化に対応して,連続堤防・ダム,排水ポンプなどが建設され た.江戸時代に比べて,治水安全度は向上し,土地と水資源の利用度は高度化されて,現在に 至っている.

この過程で土木技術は,土木施行技術,農業水利技術,集落自衛技術,河川管理技術として 進化してきた.いつの時代でも土木技術の進化が,土地利用の拡大と高度化を実現してきた.

現在直面する国土問題の解決のためにも,土木技術そのものの新たな研究と開発が求められて いる.

150 5.2.2 水害発生と地域防災

縄文時代の人々は,自然環境に依存した生活を送っており,自然の一部であったともいえる.

洪水現象が発生しても,被害を受けにくい場所に避難することが容易であった.

弥生時代に水田稲作が始まってから,人々は河川周辺の自然環境に働きかけるようになった.

水田でのコメづくりは人口増加をもたらし,人々は拓いた水田を管理しつつ,継続的に新たな 水田開発に努めた.古代には人口も少なく,土地利用の規模は小規模なものであった.そのた め人々は,自然条件や技術的制約の下で,任意の土地に水田を拓いていた.鉄器の普及した古 墳時代には,水害リスクの小さな土地が選択されていた.

ところが飛鳥時代以降は,律令体制に基づく土地政策が始まり,人口が増加し,新たな水田 開発が必要になった.それまで利用されなかった相対的に安全度の低い土地が開発されるよう になった.そのため,災害被害が発生するようになり,人々は災害への備えと対応が必要とな った.これが「自助」のはじまりである.

その後も中世を通じて土地開発が続けられ,氾濫原にも水田が拡大していった.水害の常襲 する土地では,被害を共有する人々が協力して地域ごとに自衛対策を採るようになった.これ が,地域の安全度を向上させる水防であり,「共助」のはじまりである.

江戸時代には,可能な限りの土地に水田が拓かれた.各地の領主は,コメ生産の最大化(税 収の確保)のため,流域全体での洪水被害の最小化とリスクの分散を図った.これは行政的な 治水の一環であり,「公助」のはじまりとなった.これによって,日本の地域防災の根幹をなす

「自助・共助・公助」の態勢が完成した.

ただし,現在との比較において注意すべきことは,水害発生の頻度である.

江戸時代の河川は堤防等の整備が十分ではなく,毎年のように水害が発生していた.住民は 水害の予兆に敏感で,水防活動や避難行動について実体験による知識をもっていた.江戸時代 の地域防災は,住民が河川施設の能力を熟知し,不十分な安全度を前提として安心感を高める しくみであった.河川技術者は,安全と安心を向上させるために地域住民を指導する一方,コ メ生産への被害を全体として最少化するために一部の浸水被害を容認する決断を行っていた

明治以降は,洪水の頻発と被害の激甚化に対応して,洪水処理のための治水事業が進展した.

事業の成果として,治水安全度の向上,地域間の不公平の解消が図られるとともに,洪水頻度 は低下している.また殖産興業政策が採られ,土地利用は水田中心から各種の商工業振興に転 換した.コメ生産への依存が減少し,氾濫原に住む地域住民の洪水への関心が低下している.

安全度に対する認識が失われた結果,根拠のない安心感が広がり,地域社会の水害対応能力が 低下している.

このような状況変化から地域社会の脆弱性が高まっており,生命や財産を守る「自助」と「共 助」が弱体化している.一方,近年の災害の激甚化に伴って,「公助」である防災行政の充実が 求められている.「公助」の立場からは,災害時の対応ばかりでなく,防災情報や災害学習を通 じて地域社会に関与し,地域の「自助」と「共助」の機能の維持,向上の支援が必要である.

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5.2.3 河川技術者に求められる機能

土木技術と土地利用の履歴,および,土地利用に付随する水害発生と地域防災の関係を表5-1 に要約する.土木技術の進化,土地利用の変遷,地域防災の発達は相互に深く影響を及ぼして きたことが明らかであり,土木技術の担い手である河川技術者は,歴史を通じて土地利用と地 域防災に直接的に関与してきた.いることが明らかであり,これからも責任ある役割を担うこ とが期待される.

そこで,河川技術者が土地利用と地域防災のために果たすべき機能を,歴史認識の共有,地 域防災の支援,合意形成の促進の3点に要約して示す.

(1) 歴史認識を共有する機能

河川は,有史以来の土地利用の履歴を映しながら流れている.水田稲作が始まってから,河 川は沖積地の移動を制約されはじめ,江戸時代にいたって流路を固定されている.さらに明治 以降は,堤防が強固になって氾濫も制約されるようになった.また,水田のための水利用も,

湧き水や小河川に始まり,河川に堰を立てて用水を引くようになった.江戸時代には,河川を 付け替えまでが行われ,流域の表流水の利用は限界に達していた.現在の水資源開発はダムや 河道堰によって行われている.

このような認識がなければ,河川の現状を正確に認識することはできない.しかし,河川の 歴史について,明治以前の情報は少ない.河川技術者も,歴史に関する主体的な発信は行って いない.これからの河川技術者には,担当する河川の履歴を研究し,地域の知的財産となるよ うな情報共有を図ることが望まれる.

5-1 土木技術と土地利用と地域防災の歴史的関係

土木技術の進化 土地利用の変遷 地域防災の発達 弥生/古墳

(6世紀まで)

土木施工技術の進化

(石器から木器,鉄器へ)

水田が干潟近辺から,

沖積地外縁部へ 安全な土地の選択的利用 飛鳥/奈良/平安

(7 - 11世紀)

農業利水施設の普及

(ため池・導水路) 構造平野へ水田拡大 危険な土地への進出

=自然災害と対応(自助)

鎌倉/室町/戦国 (12 – 16世紀)

地域自営技術の発展

(輪中堤・水屋など) 氾濫原への水田拡大

地域の安全度の向上

=自衛的な危機管理

=地域主導の水防(共助)

江戸時代 (17 – 19 世紀)

河川管理技術の実践

(河川付替,二線堤,遊 水地,日常的補修など)

土地と水資源の枯渇 持続的な土地利用へ

流域でのリスク分散

=洪水被害の最小化

=行政による治水(公助)

明治以降 (2021世紀)

河川工学の発達 材料強度の向上

(ダム,ポンプなど)

産業化と都市化 土地利用の効率化

治水による安全度の向上 水害頻度の低下 超過洪水に対する脆弱化